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雨に親しむ「業平傘」|「岬屋」の今月の和菓子㉝

雨に親しむ「業平傘」|「岬屋」の今月の和菓子㉝

しっとりと街を濡らす雨の季節が到来しました。本誌連載、「『岬屋』の和菓子ごよみ」では、東京・渋谷にある上菓子店「岬屋」の季節の和菓子を、毎月紹介しています。WEBでは、本誌で紹介しきれなかった「おいしさの裏側」をお伝えしていきます。本誌連載と併せてお楽しみください。

湿気のある季節に似合う菓子

「岬屋」を訪れた日は、朝から雨が降っていた。
女将の渡邊英子さんは、「今日の菓子にはちょうどよかったかもよ」と出迎えてくれた。

作業風景

ニッキ(独特の香りと辛みのある、肉桂の樹皮を乾燥したもの)を効かせた焼き生地で粒餡を包み、閉じた傘のような形に仕立てるこの菓子には、歌人・在原業平の名がついている。菓銘の由来は定かではないが、おそらく『伊勢物語』の「東下り」の段で、かきつばたの句を詠んだ頃、つまり入梅の季節を現わしているのだろう。
「この菓子はね、湿度がないとうまくつくれないんだよ」
と主人の渡邊好樹さん。この時季につくるのは、傘をモチーフにしているためだけではないらしい。“湿気が必要”な理由は、生地づくりを見れば分かるという。順を追って見ていこう。

渡邊好樹さん

漉し餡入りの贅沢な生地

材料は、小麦粉、寒梅粉(もち米の粉)、上白糖、ニッキ粉、漉し餡、水。そして、中に包む粒餡の玉。

材料

はじめに、餡玉を布巾の上でころころと転がして、細長い円錐形に整えておく。

作業風景

続けて、生地づくり。さわり(打ち出しの銅鍋)に上白糖と水、漉し餡も加工し混ぜ合わせた後、小麦粉と寒梅粉、ニッキ粉をふるって加える。

作業風景

「焼いて仕上げる生地の中に漉し餡を入れることって、そうないと思うよ」
確かに、生地にまで漉し餡が入っているとは、なんと贅沢なのだろう。

作業風景

「餡の味にしたいわけじゃないんだ。餡を混ぜると生地がしっとり仕上がるし、しかも、そのしっとりが長続きするからね」と主人。
話しながら、主人は生地の状態を見て水を足し、また混ぜるを数回繰り返した。焼き上がった後に形を整えられるよう、柔らかく薄い生地にするためだ。

作業風景

銅板はギリギリの弱火で

とろとろの生地ができると、主人は銅板をのせた焼き台、“平台”に火を入れた。平台はガスを火床にした焼き菓子用の道具で、桜餅の皮などを焼く時に使う。主人は、銅板の下を何度も覗き込んでは火加減を調節していた。
「この菓子は火加減がとっても大事。ギリギリまで弱火にしないと」
銅板の隅を指先でちょんちょんと触って温度を確かめ、いよいよ焼きに入る。

作業風景

はじめにお玉で生地をすくい、銅板に落として丸く広げる。さらに、片端をお玉の底ですいっと伸ばし、円をひき伸ばす。
「お玉を押しつけてはだめなんだ。指先のちょっとした力加減で広げるの」
まるで、水風船のような形だ。

作業風景

生地に火が通って、透明感を帯びた茶色になったらひっくり返し、数秒で網の上へ移動させる。片面をしっかり焼いていれば、裏はサッとで火が通るのだそう。

作業風景

焼き始めてからも、主人は絶えず銅板の熱を加減し続けた。
「一般的な生地ものは、火力で浮かしながら焼かないといけないから、温度が低すぎても、銅板にはりついちゃう。でも、この生地は餡も入って甘いから、少し温度が高いと焦げてしまう。そこが難しいところだよ」
例えば桜餅の生地なら、粉100に対して砂糖は30。業平傘の生地は粉100に対して砂糖は80、つまり、3倍近くの砂糖が入った上に漉し餡も加えているから、より焦げやすくなる。消えるか消えないかのギリギリの火加減を維持し、一枚一枚、集中して薄く美しく焼き上げる。

作業風景

「ほら、こうやって少しまだらに焼けているでしょう。これが、それぞれの傘の景色になるからね」と主人。

作業風景

包んで、しっとりとした傘の風情に

仕上げの包み作業は、女将さんも一緒に。粗熱のとれた生地に粒餡をのせ、転がして巻きつける。
「ぎゅっと押しつけてはダメだけど、皮と餡の間に空気が入ってもいけない。軽く転がして、ぴったりと巻きつくようにするの」と女将さん。

作業風景

口が開いた部分を軽くつまみ、巻いた部分を支えながら軽くひねると、ひだが現れた。
「ひだを持つ右手は動かさずに押さえているだけだよ。細かな仕事は、左手のコントロールが大事なの」

作業風景

中心に竹串を刺し、傘の柄に見立てる。
「ここのひらひらしたところが、いろいろな形になるところがいいの。アンバランスは日本の美意識だと思うよ」

作業風景

最後に、先端を軽く折り畳み、風情のある傘が出来上がった。

作業風景

食べてみると、皮のおいしさに驚いた。しっとりと柔らかく、薄い餅のような生地かと思うほど。なめらかで歯切れがよく、口の中で粒餡と一体になって、ニッキが香る。ニッキと粒餡が、こんなによく合うとは! 
餡を包んでいないひだの部分は、生地そのものの風味と食感が楽しめてそれもいい。

作業風景

この生地は、時間がたつと乾いて割けやすい。女将さんいわく、「破れ傘になっちゃうこともある」から、湿度のある季節にしかつくらない。また、なるべくよい状態で食べて欲しいから、
「予約で取りにいらっしゃる時間を教えてもらって、その時間に合わせて餡を巻いて仕上げるのよ」
焼いた生地の菓子も、つくりたてが一番。できるだけ時間をおかずに食べたい。
ぱくっとそのままかぶりつかず、竹串を抜いて、外した串を菓子切りの代わりに。一口ずつ切りながら召し上がれ。

卯の花きんとん
業平傘は要予約。350円。販売は6月末まで。

店舗情報店舗情報

岬屋
  • 【住所】東京都渋谷区富ヶ谷2-17-7
  • 【電話番号】03-3467-8468
  • 【営業時間】10:00~16:00
  • 【定休日】日曜、月曜(節句、彼岸を除く。夏季休業あり)
  • 【アクセス】京王井の頭線「駒場東大駅」より徒歩7~8分、小田急線「代々木八幡駅」、東京メトロ「代々木公園駅」より徒歩10~12分

文:岡村理恵 写真:宮濱祐美子

岡村 理恵

岡村 理恵 (ライター)

群馬県生まれ。出版社勤務を経て独立し、食を中心としたライター・編集者に。料理はもちろん、畑や漁港からスーパーなど食に関わる現場、食卓をつくっている人々に興味あり。