自身は孤高の道を。けれども人からは頼られ、相談事に応え、面倒をみることの多かった小川原センムが、数少ない対等な相手として親しくつきあったのが、墨田区本所吾妻橋の地酒専門店「ニシザワ酒店」の西澤亨(とおる)さんだ。西澤さんは、センムが心を許し、珍しく人に甘えるということをした稀有な相手だった。 蔵元と酒販店として出会った二人は、後に西澤さんの二男・貴夫さんと小川原家の長女・佳子さんが結婚したことで、姻戚関係にもなる。人生後半で得難い友となり、深い信頼で結ばれた二人の友情は、センムが亡くなるその日まで15年間続いた。
西澤さんとセンムとの出会いは、2002(平成4)年のこと。当時は、酒類販売免許の規制緩和、日本酒の級別廃止などで酒造・酒販業界が揺れていた頃だ。酒販店の二代目経営者として業界の現状に危機感を感じた西澤さんが、今後を模索するなかで神亀酒造を訪問したのが二人の最初の出会いだった。
「ニシザワ酒店は私で二代目です。うちは、父親の時代から業務用の専門店としてそこそこ順調な商売をしてたんですよ。ところが、規制緩和で大手の商社が酒販業に入ってきたことで、酒の安売り競争が始まった。これでは、酒を大量に扱うような商売じゃないと生き残っていけないだろうから、逆にうちのような小さなところは特殊なことを考えていかないと駄目だろうな、と思ったんですよね」。
どうしたものか、と思案していたところに、純米酒だけを造っている稀有な蔵として神亀酒造の話題が耳に入ってくる。そこで西澤さんは二男の貴夫さんと連れ立って蓮田の蔵へ。初対面の二人に対して、センムは終始優しく親切な態度であったという。
「初めて会ったのに何時間も相手をしてくれましてね。センムが本音で話してくれたから、私の心の中にもお話が素直に入ってきました。私も今までの飲食業界相手の商売のことや世の中の移り変わりについて細やかに話を聞いてもらっているうちに、これからはセンムさんが言うように純米酒に特化したほうがいいのかなって。貴夫もそう考えたようで、じゃあ、これからは全部純米酒だけで行こうと。最初から極端だったですね(笑)」。
たった一度の対面で、西澤さんは小川原センムを全面的に信頼。店の業態を段階的にではなく、一度にガラリと大きく変えようとする西澤さんの英断には、蔵元としてセンムも心を動かされたようだ。
「うちの酒を全部扱っていいから、それでやってごらん」というセンムからの提案がなされ、希望する全量の酒が西澤さんの店には入るようになった。神亀酒造との取引を順番待ちしていた酒販店も多い中、いきなりの取引成立。西澤さんの背水の陣、といった覚悟をセンムも応援しようとしたのだろう。
「2002年当時は、純米酒というのもまだまだ世の中には少なくて。うちは、ずっと業務用の大手の酒しか扱っていなかったから、最初は売る地酒がなんにもなかったんですよね。だから、神亀だけ(笑)。ただし、試飲用にお燗をつける道具は最初から置きました。お酒は嗜好品だから、実際に飲んでもらわないとわかってもらえないですからね。けれども、せっかく店を業務用から小売り用に改築しても、最初の一年間は、お客さんはゼロでした(笑)。でも、センムはがらりと変わった店内を見て『よくやった』って言ってくれましたね」。
棚には神亀だけ、という店内で踏ん張ったあとは、センムに薦められ、紹介された地酒蔵へと足を運んだ。棚の上の銘柄は「るみ子の酒」(三重)、「丹沢山」(神奈川)、「京の春」(京都)と少しずつ増えていく。だが、2年目も客足は鈍いままだった。
ニシザワ酒店の周辺は、灘伏見の大手ナショナルブランドの酒を看板に掲げる老舗飲食店が多いエリアだ。先代の時代は、近隣の屋形舟との取引や、上野、神田、浅草といった繁華街のお得意様を多く抱える筋金入りの業務用酒販店だった。
「それまでのお客さん達には、灘の樽酒のぬる燗が一番いい、という人が多かったですからね。私がお取引先で純米酒を薦めてみても『どうも、この味は、だめなんだよな』と言われてばかりでしたね」。
けれども、西澤さんが得意先からの拒否を受けても揺るがずに済んだのは、センムの存在だけではなく、自身の舌と身体が「純米酒がいい。純米酒でいく」という確信を支えていたからだ。
「純米酒ならね、食べ物を美味しくしますでしょう。お燗にしたら、身体も楽なままで飲めますからね。センムは『冷酒を自分の身体であっためて、それから分解していくんじゃ身体が疲れちゃう』と言ってました。神亀のお燗酒は、飲む努力をしないでも自然と五臓六腑にしみわたっていく。これはいいや、と私自身が思いましたね」。
その西澤さんの持論を最初に受けいれてくれた飲食店は、昭和33年から続く浅草観音通りの名店「志婦や」だ。そもそもは、魚屋だったという人気の居酒屋は、厚揚げ、にこごり、つくねといった往年の居酒屋料理のほか、新鮮な魚介類、特に貝類の料理を得意としている。
貝類の旨味と温めた純米酒の旨味、この二つに共通するのは、コハク酸の存在だ。小川原センムの口癖のひとつは、「ほれ、これを食って、それでこれを飲んでみな」だったが、「志婦や」には、まさに純米酒の燗酒と引き立て合う料理が揃っていた。長らく灘の酒一筋にやってきた浅草の名店に、初めて入った地酒の純米酒は、西澤さんの営業による神亀酒造の酒だった。以来、この店は、西澤さんとセンムが二人連れ立って毎週通う場所になっていく。
(続く)
文:藤田千恵子 撮影:伊藤菜々子