梅田から阪急電車に揺られること10分。下町情緒たっぷりの豊中・庄内に、鉄板台を据えた大衆食堂「ここや」がある。鉄板焼と多彩な惣菜が揃い、昼呑みの幸せオーラが漂う食堂は、人情味に溢れていた。
鉄板台のある大衆食堂とは、大阪でも珍しい光景だ。畳1畳分ほどの大きな鉄板が、コの字カウンター内に鎮座。豪快な調理風景や湯気立つ香りもまた、杯を進ませるのだろう。午後すぎだというのに、ジョッキや瓶ビール、コップ酒が行き交い、ざっと見渡しただけでも、昼呑み客の割合は9割超え(!)。初めての客にはスタッフから「お水にします?お酒?」との一言も。ひとり呑みのご常連たちは、好みのおかずをつまみながら、実に幸せそうに、ちびちびとやっている。
阪急大阪梅田駅から北へ約10分。下町の活気が息づく豊中・庄内に「ここや」はある。「先代の祖父は、広島・福山で漁師をしていたんですが、一念発起して大阪へ」とは、三代目の兼田貴史さん。親戚が営む、とん平焼きの名門・お初天神「本とん平」を手伝うために、家族総出で上阪したという。「祖父母も父も、長い間、親戚の店で働いていたと聞いています」。かくして鉄板焼をウリにした食堂を開いたのは昭和44年のこと。「魚に強い祖父が魚料理や惣菜を、父が鉄板焼を担当していました」。
熱でうねりを帯びた分厚い鉄板台は、「ここや」の半世紀以上の歴史を刻む。「新調すると、味が変わってしまいそうで……」と、創業以来使い続けているのだ。兼田さんはいっときも手を休めず、傾斜のある鉄板を巧みに操る。
「『ここや』といえば、とん平焼やで」。焼酎水割りを呑みながら指南してくれたのは、強面ながらじつは気が優しい、グッさんこと山口さん。25年間、ほぼ週2ペースで通っている。ガラスのショーケースを物色しながら「今日は野菜の炊いたんを食べてから、とん平焼や。この食堂はなぁ、何でも旨いし、バランスよく食べて呑めんねん」。
グッさんのとん平焼が出来上がった。「ここや」のそれは、小判型に広げた生地に、分厚い豚ロース肉と、溶き卵をのせて焼くスタイル。ケチャップとマヨネーズ、自家製ソースが、ジューシーな豚の旨味と呼応する、最強といえる酒のつまみだ。
「ここや」へ通い始めて29年というアキラさんは「大学を卒業してからというのも、ほぼ毎日来ています」と、まずはハイボールを勢いよく。「とりあえず大根ください」と頼んだおでんは「薄い色やのに、しっかりだしが染みてて旨いんですよ」。
そんなアキラさんも語りはアツく、「ここやは、何を食べても当たりばかり。鶏のもも焼も旨いっす。基本、タレ焼きなんですが、僕は塩コショウでってお願いします。ハイボールにめっちゃ合うから」。
グッさんと呑み交わすアキラさんは、「楽しい時間、楽しい人と出会えるのが“ここや”で~」とギャグをかます。常連も、初めましてのお客さんも、ふとした会話がきっかけで飲ミュニケーション。これって、店と客の信頼関係が紡ぐ「ここや」ならではの包容力。
「ほんまにいいお客さんに恵まれています」。夜の部のおかずをショーケースに次々と並べながら、兼田さんの奥様・恵美さんはにこやかに話す。それら小皿は、去年10月、やむなく30円値上げして280円にしたらしい。「正直、心配でした。だけど常連さんたちが、“もっと前に、値上げすべきやった”とか、“上げてくれて良かった”って。その言葉を聞いて、ホッとしました」。
その小皿は、造りやてっぴ(フグの皮)があれば、ホタルイカの酢味噌和え、イワシの煮付けなど和惣菜から、ハンバーグやフライものまで20種以上あるだろう。「アキラくんのように毎日とか、パチンコの合間に1日数回来てくれるお客さんもいらっしゃるからねぇ」と言う恵美さんに続けて、「季節の食材を使いながら、料理も味付けも単調にならんよう工夫しています」と兼田さん。
「僕は中2の頃からもう40年、仕事の合間に毎日来ていますよ」と話すのは、大盛りのサラダ2皿と、カツカレーを平らげるマサアキさん。その隣では、「私はもう仕事を引退した身でね。“ここや”での週1回の昼呑みが、人生の楽しみの一つ」と、おでんをアテに日本酒をツイーッとやる通称・会長さんの姿も。
「この店は、子連れのお客さんも多いねん。せやからタバコは、外で吸うのが、暗黙のルールや」と、グッさんとアキラさんは店を出たり入ったり。
「三世代で来てくださる方も多くてね。だから、お客さんの家のような存在になれたら」。そう話す兼田さん夫妻と一緒に、店を切り盛りするスタッフもずっと同じ顔ぶれ。だから人に会いに、呑みに行く。「ここや」にしかない旨さと笑顔が、心と胃袋を温かく満たしてくれるし、「明日の活力源」になるのだ。
文:船井香緒里 撮影:竹田俊吾