大阪キタのビルの谷間にひっそりと佇む食堂、昼下がりからショーケースの料理をつまみに一杯やって、〆の豚汁で胃と心を満たす、そんな常連たちのゆったりとした時間が流れている――。
大阪キタのど真ん中。大型商業施設が立ち並ぶ裏路地に、戦後すぐに開業の「大栄食堂」はある。観音開きの木製扉を開けると、こじんまりとしたフロアに丸椅子が10席ほど。
この食堂の「顔」と言えば、“ショーウインドウ”の役割を果たす、おかずのショーケースの存在だろう。つまりは道行く人が、おかずを“覗き見”できるのだ。その棚には、だし巻きや肉じゃが、イワシの煮付け。さらにはハンバーグやミンチカツなど、衒いのない和洋のおかずが所狭しとゆうに30種。厨房を仕切る3代目・中村壮吾さんによると、「チェーンのお店に慣れている子たちが、ウチみたいな古い食堂に入るのは勇気がいるやろうから」と、このスタイルを貫くらしい。
ある日の午後。BGMにボートレースのラジオ中継が流れるフロアでは、お客さんそれぞれが思い思いの時間を過ごしている。限られた時間のなかで空腹を満たすランチタイムとは打って変わり、一杯飲みを楽しむひとり客の多いこと。
「サラリーマン時代は、しょっちゅうお世話になってねぇ」と、数年ぶりに再訪したという男性客は、「おかずの種類が多いさかい、目移りするけど、結局はいつもコレやな」と、煮汁がええ具合に染みた肉じゃがをつまみながら、ビールをちびりちびりと飲っている。
フロアをキビキビと動き回る、壮吾さんの母・恵美子さんによれば「ウチには、半世紀近く通い続けてくれるお客様も多いですよ。今日はなんだか、久しぶりにお見かけするお客さんも多くって」と嬉しそうだ。「ほんまやわ。ワシかて久しぶりや」とは、鼈甲メガネとチェックスーツがお似合いの旦那。聞けば、近所で紳士服専門店を営んでいるそうで、25年ぶりに「大栄食堂」を訪れたらしい。「このサラダなんか、40年前と一緒の味やで」と、ミモザ風のマカロニサラダをつまみながら目を細めている。キャベツやハムなど具だくさんのマカロニサラダは「親父の代からレシピを変えていません」と壮吾さん。マヨネーズに、ちょっとだけニンニクを忍ばせているそうで、ほのかにアリオリソースの風味が漂う、ビールを飲まずにはいられない味わいだ。
もちろんメニューには、具がちゃんぽん並みに入るラーメンなど、食べ応えのある品もあるし、ショーケースに並ぶ小針2品を選べる定食も20種近く。品書きの迷宮をさまようのも「大栄食堂」ならではの幸せだろう。飲んだ〆に、「豚汁(ブタジル)」を注文するお客も多いらしい。よくある味噌仕立てではなく、鶏ガラスープの風味を生かしたほんのり中華味。注文を受けてからスープを火にかけ、豚バラやモヤシ、ニンジンなどを入れてひと煮立ち。鶏ガラの旨みが生きた清々しい後味ゆえ、飲んだ後にシャキッとした気分になれるのだ。
朝から晩まで、息つく暇もなく料理を作り続ける壮吾さん。曰く「正直、経営的にはしんどいっす。原価を考えたら、ウチの近所にある唐揚げとか坦々麺などの専門店やってるほうがラク(笑)」と苦笑する。それでも、戦後すぐにお祖父様が開業した食堂を守り続ける理由は、「ウチの地主さんも、“お客さんに愛され続ける、昔ながらの食堂を残さんとあかん!”って応援してくれはるから、なんとか続けられています」。地価が高騰し続け、家族経営の食堂が減少の一途を辿るなか、影となって支える地主さんにもアッパレである。
様変わりが甚だしい梅田のど真ん中で、変わらぬ時間といつものおかず。そんな小さな幸せを、皆それぞれが思い思いに噛み締めている。
これからもずっと続いて欲しい。
失いたくないものは、すぐ近くにある。
文:船井香緒里 撮影:竹田俊吾