家の中に身を潜めていたくなるような暑さです。本誌連載、「『岬屋』の和菓子ごよみ」では、東京・渋谷にある上菓子店「岬屋」の季節の和菓子を、毎月紹介しています。WEBでは、本誌で紹介しきれなかった「おいしさの裏側」をお伝えしていきます。本誌連載と併せてお楽しみください。
小さな鮎が、箱の中に並んでいる姿はとても愛らしい。
「硬そうに見えるけど、カチカチに硬くはないよ。これは“半生”菓子なの」と主人の渡邊好樹さんは言う。
これまでに登場した上菓子に比べると、水分がぐっと少なく、多少日持ちがする。干菓子とも違って表面の質感は滑らかで、つや感もある。
今回見せてもらうのは、“寒氷(かんごおり)”。寒天と上白糖を煮溶かし、色づけして固めた菓子だ。
「空気を含んで白濁しているところが、厳寒の頃にできる厚い氷のようにも見える。そういうイメージも、名前に由来しているかもしれないね」
「岬屋」では、夏はこの寒氷を、鮎の形に仕上げる。「空気を含ませる」というのはどういうことなのか?
つくり方を見ていこう。
「型を見るかい」。
主人は鮎の抜き型を取り出した。
薄いブリキ製の型は初代が手作りしたもので、現在使っている型は、それをもとに、型屋さんにつくってもらった。尾ビレの近くはスーッと狭まっていて、シンプルで繊細なデザイン。
「うちのおじいさんは凝り性だったから、人に任せるのが嫌いだったんだろうね。だから、鮎の型も自分でつくったんでしょう」
材料は、上白糖、糸寒天、ごく少量のハッカ油と色粉(青色)。砂糖がかなり多く感じられるが、この単位で400個の鮎を一度につくるという。
水で戻した糸寒天は、新しい水とともにさわりに移して火にかけ、煮溶けたら上白糖を加える。
寒天の白いアクが浮いてきた。かなり煮立っているように見えるが、
「まだまだ。ここから温度を110℃まで上げるよ。寒天液(錦玉液と呼ばれる)にしっかり火を入れないといけないんだ」
と主人は温度計をチェックする。
温度計がない時代は、煮え加減を手で(!)確かめていたという。
「長いしゃもじを突っ込んで液をからめとって、息を吹きかけて80度くらいまで下げるの。それを親指と人差し指でつまんで、離して、長く糸を引くようなら110度まで上がっている印。寒天がきちんと煮えていないと、糸は長くひかないからね」
温度が上がるまで待つ間も、さわりにつきっきり。温度計はあくまでも目安の一つで、じっとさわりの中を見つめ、泡などの状態を見守っているのだ。時折、液面の縁についた泡を、濡れ布巾で拭き取る。ほんとうに、和菓子づくりは待つ時間が多い。
でもね、と主人。
「職人は気が短いほうがいいと言われるよ。“待つこと”は、覚えさえすればいい話だから。ただ気長に待てちゃうような人は、タイミングを見逃してしまうんだね」
つまり、いかに気配りできるか、様子を見極められるかが大事なのだ。
「錦玉液を、グラニュー糖でやるところもあるよ。上白糖よりも精製度が高いから、早く煮立つんだね。そういう点では扱いやすいけど、上白糖には旨味があるからね。時間がかかるけど、うちは上白糖でやってるの」
次第に泡が大きくなってきた。全体を混ぜる。ふわぁーっと、白い泡が広がる。
「水の沸点は100度でしょう。だから、110度まで温度が上がると、最初に入れた水はもちろん、砂糖の中の水分も抜けていくわけ。純粋に寒天と砂糖だけの状態になる。そこまで温度を上げないと、きちんと固まらないんだよ」
温度が上がったのを見極めて、主人はぐらぐらと煮立ったさわりを持ち上げ、水をためた桶の中に移動させた。
桶の中でさわりをゆっくりと回転させ、まずはさわりの側面から、均一に冷やす。
ある程度まで温度が下がったら、ハッカ油を加える。ほんの少量だが、瞬間にヒューッと香りが広がり、火口をつかう作業で暑くなっていた作業場が涼しくなったようにさえ感じる。なんと清涼感があることか。
続けて、水で溶いた青色の色粉を加える。
少量で深い湖のような、少し碧がかった青色に染まった。
ここからが、「空気を含ませる」作業。主人は長いめん棒で、さわりの中をぐるぐると混ぜ始めた。
さわりに付いて冷えた部分をめん棒の先でこすり落としつつ、さわりの中をくまなく移動させる。むらなく、均一に冷ましていくのだ。冷えかけの泡を中心に入れることで、そこが核となって固まり始めるという。
「めん棒は、回すんじゃないんだよ」
右手は、棒の下を軽く支える支点となり、左手でめん棒の上を動かして、先を回転させる。下の手が右方向に回る時は上の手は左方向、両手は逆の動きをしつつ、さわりの丸みも利用して、滑らかに円の大きさを変えていく。
さわりの側面から螺旋状に落ちていくように、大きく棒を動かしていたと思えば、クルクルと小さな円を描きながらさわりの底を移動させたり。じぐざぐと縦方向にすべらせたり。支点の位置や握り方を変えながら、麺棒を自在に操る。これは機械にはできない動きだ。だんだん寒天液の色も変わってきた。
さわりの底が透けて見えていた時は、青かった寒天液が、空気を含ませることで白濁し、いつしか水色になっていた。
ペーパーを敷いた羊羹舟(長方形の型)に流し入れると、寒天液の爽やかな水色がさらに際立った。これを一晩おいて固める。
仕上げは型抜き作業。
一晩かけて固めた生地を、ピアノ線を張った糸ノコのような手製の道具で、まずは薄く均一な厚みに切っていく。
鮎の型で抜き、板を使ってポンと取り出す。その繰り返し。生地の余りがほとんど出ないようにきっちりと抜いていく。
最後に取り出したのは、なんとスパイスのシナモン!
爪楊枝の頭にシナモンをつけ、ちょんと置けば、鮎の開眼。シナモンの茶色は、水色の体色によく映える。なるほど、茶でも黒でも赤でもない、絶妙な色だ。
できたてをその場でいただくと、口どけの軽やかさに驚いた。
「砂糖の甘味を超えているでしょう」と笑顔の主人。
すーっと溶けてべたつかないし、全く嫌味のない甘さだ。雲を食べているかのよう、と言ったらよいだろうか。
「100℃を超えることで、砂糖の質が変わるのね。さらに、空気を含ませていじめているから、口当たりがよくなるの」
寒天のおかげか、折れる時にしなやかさも感じる。ハッカの香りもひんやり爽やかで、気持ちは夏の清流に。
文:岡村理恵 写真:宮濱祐美子