「酒を出せない酒場たち」~いつかまた、あの店で呑もう!~
世の中にはいろんなバーがあるけれど、大事なのは、"対人間"だと思います──代々木上原「カエサリオン」
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世の中にはいろんなバーがあるけれど、大事なのは、"対人間"だと思います──代々木上原「カエサリオン」

個性的な飲食店が数多く点在する、代々木上原。この街で珠玉のカクテルを提供し続けるオーセンティック・バーが「カエサリオン」だ。30年近くに渡って酒飲みに愛されてきたこの店も、長い休業から明けた──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第二十回は、若い世代からもアニキ的な信頼を集める名バーテンダーに、“酒場のおもしろさ”を伺いました。

新型コロナウイルスに翻弄され続けた2021年も、もうすぐ終わります。飲食店への営業時間短縮要請が撤廃されて2ヶ月。飲食店、とりわけ酒場では、ようやくひと息ついているところでしょうか。それとも、今こそが正念場と、力を振り絞っているときでしょうか。

酒の提供ができないという、前代未聞の厳しい夏を過ごした酒場にとって、客足が従来レベルに回復するかどうかは、この先の店の存続にかかわる重大事です。過去を振り返っている暇などないというのが現実でしょう。しかし一方では、そんな大事な時期だからこそ、多くの酒場がコロナ禍に講じてきた対応法を共有することにもまた、少なからぬ意味があるのかもしれません。

酒場はコロナ禍に、いかに対応したのか。そこで見たこと、考えたことは何か。そして今、見えている光景はどのようなものか。そんな疑問に対して、年末の繁忙期にも関わらず快くお話を聞かせてくださったのは、代々木上原のバー「カエサリオン」です。

外観

休業期間に、店と自分自身のオーバーホールをした

オーナーバーテンダーの田中利明さんは、2020年4月の、最初の緊急事態宣言発出の時期を、こう振り返ります。

「4月、5月と休みました。その時間を利用して店の壁と床をペンキで塗り直しました。最初は表の壁と倉庫だけと考えていたんですが、せっかくだからと思いましてね。もともと1993年の開業のときも自分で塗ったのですが、新しくペンキを塗っていて、その開業の頃のことを思い出しましたね。床のあちこちに傷があるんですが、これは、あのときについた傷かな、とかね。まあ、酒場ですから、いろんなことがあるんです。バブルの余韻が残っていたし、団塊の世代がまだ40代ですからね。本当にケンカが多かった。胸倉つかんだり、後ろへ回って椅子から引きずりおろしたり。酔っ払って、椅子から落っこちて救急車を呼んだり。そういうことが毎週のようにあった。今は、みなさん、ジェントルマンでね。言い方はナニですけれど、逆にちょっと物足りない(笑)」

オーナーバーテンダーの田中利明さん
オーナーバーテンダーの田中利明さん。

田中さんは、コロナ以前から着手していた水道管の交換に続いて、給湯器やトイレのタンク、床なども交換。コロナ禍の休業を利用して店のオーバーホールをした。

自分自身のオーバーホールもしていました。太陽の光を浴びない生活が長いから、この時期にすすんで日向ぼっこをした。何でもないことなんですが、ちゃんとやってみようと思って。普段は立ちっぱなしの仕事なので三点倒立をしてみたり、普段の動きを逆にしてみるということで、後ろ向きに歩いたり、左手で食事をしてみたり。些細な刺激を日々に取り入れ、その違和感を楽しむ。毎日狭い空間で過ごす私の、飽きないための工夫なのかもしれません

緊急事態宣言明けからは、営業を再開。夏から冬場まで、「客数は若干減ったかな」くらいの感覚だったという。しかし、驚くべき変化も起こっていた。

ボトル

「若い人、特に初めての方が増えましたね。しかも、バー自体が初めてという人もいるんです。それから、親子でいらっしゃるケースもある。だから、お客さんの平均年齢が一気に下がりました。金曜、土曜などは、20~30代が中心。我々など50代は、完全にオッサンです。なぜ、こうなったかは、わからない(笑)」

当時を思い返すと、ワクチンの目途はまだ立たず、高齢者や特定の持病のある人が新型コロナウイルスに感染すると重症化の懸念があるとされていた。一方でGo Toトラベルを利用することによって人々の移動範囲はひろがり、晩秋から冬に入ると感染者は徐々に増加し、年末年始で、爆発的に増えた。12月には午後10時まで営業できたが、2021年に入り、緊急事態宣言が発出されると、酒場は午後7時に酒の提供停止、8時閉店となった。

店内
グラス

「正月明けは時短で営業しました。あのときは6時オープンだったかな。その後、時短営業時のオープン時間は段階を踏んで5時、4時と早めて。自粛要請が明けて、店を再開してからも今は4時オープンで、今後も固定しようと思っています。終わりは、夜11時までに入店された方は11時半ラストオーダー。11時で誰もいらっしゃらなければ、閉めます。最近は、年をとってきたのかな。夜10時を過ぎてくると、だんだん心の火が消えてくる。そろそろ終いでいいかなと(笑)」

田中さんは、いつものことながら、飄々と語る。その語り口もまた、この店に来る楽しみのひとつだと、コロナ禍にあってたいへんだったことさえ楽しく聞かせる話術に触れて、改めて思う次第です。

「今も、朝は6時半には起きていますが、夏の休業中は未明に起きていた。1時とか2時とか。目が覚めちゃうんですよ。毎日店には来ているけれど、やるべきことは早い時間に終わってしまうから、家で酒を飲み始めるのも早いし、夜8時くらいには寝てましたね(笑)。飲んだ量ですか? 夏はジンを飲んでましたね。3週間で1ケースくらいのペース。すぐなくなるんですよ(笑)」

コロナ禍において、むしろ、この非日常を楽しんだ

金銭面ではどうだったのか。田中さんは、行政からの協力金は、たいへんありがたかったと振り返る。

もともと、店の経営を筋肉質にしていました。業務用の冷蔵庫を置いてないですし、氷のストッカーは電気を食わない。だから、エアコンをあまり必要としない春と秋は、一般家庭より電気代はかかりません。それから、ここで働いていた最後の人が恵比寿で独立した9年前からは、わたし一人でやっています。だから人件費はかからないし、ここは古い店ですから、現在の相場からしたら、家賃もかなり安いと思います。適当にやっているように見えて、細かいところは堅いというか

心の中に不安はなかったのでしょうか。田中さんはしばらく考えてから、こう言いました。

店内
本

「いつまで続くのだろうとは思いましたよ。でも、当初から、半年、1年では終わらないとも思っていた。まあ、とにかく初めてのことですから、むしろ、この非日常を楽しんだと言えるかもしれない。これほど連続で休むことも初めてだし、短時間の営業にしても、自らそんなことするわけがない。ただね、ごくたまに、資生堂パーラーに勤めていた時代に上田和男さんの下で一緒に働いたサンルーカルバーの新橋(清さん)、ル・ザンクの樋口(保彦さん)、ロンケーナの中村(一徳さん)、オスカーの長友(修一さん)という仲間たちと電話で話しました。彼らの声が聞けたのは、やはり、支えになりましたね

田中さんの言う、サンルーカルバーの新橋さんには、当シリーズの第2回でお話を伺い、新橋さんの口からも、先行きが不透明なときに電話で話し、情報を交換できたことは励みになった旨、発言がありました。若い頃にともに修業を積んだ仲間は、困ったときに気軽に何でも話せる。お互いが、経験を積んで、頼れる存在になっている。そういうことを再認識したということかもしれません。田中さんはもうひとつ、コロナで休んだ間の、よかったことを話してくれました。

田中さん

長年、迷惑かけている家族です。私が家に帰る頃には寝ているし、朝は起こすなと言ってきたから、なかなか一緒に食事することもなかった。それが今回、私が家にいるから、いろいろ話をする時間がとれた。家内もそうですけど、息子たちとも話ができて、それはとても良かった。息子たちと喋ってみて、疎外感はなかったですね。意外によく話を聞いてくれた」

田中さんは、店に来る若い人と会話するように、息子さんたちとも話をしたという。

最近の若いお客さんは、会社の中での人間関係という意味で、誰とでも距離がありすぎるように見えます。たとえばこの店に初めて来た若い人に聞くと、先輩や上司に、一度行ってみろよと言われたから来ました、というような人がいる。これは若者に責任はない。その先輩や上司が、まずは若い奴を連れて来いよと、私は思います(笑)。でもそういう現実ならば、若い人たちは、バーみたいな寄り道をする場所、いわゆる遊び場を、先輩や上司から教わっていないわけです。実際、若い人が、カウンターの中の私たちに、そういうアニキ的なものを求めている。職場でこんなことを言われたけれど、どう考えたらいいのだろうか、とか。酒の話をしているうちに、いつのまにか、そういう話になっていたりするんです」

田中さん
お酒

かつて、酔ってはケンカをしたり粗相をしたりする先輩たちの相手をしてきた田中さん。創業年の1993年にはまだ28歳だった。そして今、56歳になった田中さんが、20代、30代にとっての先輩、上司、アニキとしてカウンターの中に立っている。もとよりカクテルの技は名人級。お客さんとの接し方や話術にも定評があるベテランが、これまであまり知ることのなかった若い世代に戸惑いながら、ダジャレも下ネタも知らない彼らに、興味を持って話を聞いているのです。

「男女間の話はあまり、聞かないですね。何事も失敗したくないと思っているのか。男女間ではどちらかが土足で踏み込むようなことがあってもおかしくないのに、話を聞いていると、男女とも遠慮しあっているようなのです。男の場合は特に、リスクを回避するためなのか、先回りばかりしているように見えますね。私が言いたいのは、リスクなんかないんだということ。もっといったら、大事にしたいお前自身なんか、いないんだ、自我滅却だということですよ(笑)」

グラス
窓
ボトル
入口
カクテル

田中さんは、急激に増えた若いお客さんに対して、楽しく飲んで、洒落のきいた会話もできる大人になってほしいと思っている。腹を割って自分の言葉で語れる人になってほしいと思っているようです。

まだお客さんが戻っていない店もあります。酒飲みはシビアですからね。30年も賃金が上がっていない日本の状況下で、しかもコロナがあったのだから、行く場所の選別も厳しくなりますよ。実際に新規開店に行ってきたよという話題をあまり聞きません。みなさん、いろいろ見て歩かなくなっているんです。世の中には、いろんなバーがあります。しかし、珍しいものや新しいものは一過性のもの。大事なのは、“対人間”だと思います。それはつまり、酒場のおもしろさというか」

酒場のおもしろさ。それも、店ごとに異なるおもしろさにこそ、客がつく。2023年に開業30年を迎えるカエサリオンには、コロナ禍を経た今、そのおもしろさを嗅ぎつけた若い世代が集まり始めている。

田中さん

*最新の営業時間など、詳しくは電話で確認を。

店舗情報店舗情報

カエサリオン
  • 【住所】東京都渋谷区上原1‐33‐16
  • 【電話番号】03‐3485‐2907
  • 【営業時間】16:00~23:00(最終入店)
  • 【定休日】日曜
  • 【アクセス】小田急線・東京メトロ「代々木上原駅」より2分

文:大竹聡 写真:衛藤キヨコ

大竹 聡

大竹 聡 (ライター・作家)

1963年東京の西郊の生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社、広告会社、編集プロダクション勤務を経てフリーに。コアな酒呑みファンを持つ雑誌『酒とつまみ』初代編集長。おもな著書に『最高の日本酒 関東厳選ちどりあし酒蔵めぐり』(双葉社)、『新幹線各駅停車 こだま酒場紀行』(ウェッジ)など多数。近著に『酔っぱらいに贈る言葉』(筑摩書房)が刊行。