三鷹駅からすぐ近く、もうすぐ40周年を迎える居酒屋「婆娑羅」。コの字カウンターでしみじみ飲めるいぶし銀のもつ焼き酒場も、長い休業が明けて、ようやく日常を取り戻しつつある──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第十九回は、店と客、店主とスタッフ、世代を超えて通じ合う「酒場愛」をお届けします。
2021年12月。JR「三鷹駅」北口にある老舗酒場は、コロナ以前と変わらぬ構えで、客を迎えていました。店の名は「婆娑羅(ばさら)」。1982年創業だから、年が明けると2022年は、開店40年の記念の年になります。
長く支持され、愛されてきた飲み屋さん。三鷹にこの一軒ありと多くの人が語ってきた店ですが、コロナ禍に見舞われたこの2年に限っては、試練の連続だった。特に今年。酒の提供を禁じられた期間は5ヶ月弱に及ぶ。この間、老舗は何を考え、来るべき明日に向けて、どう対応してきたか。いつか必ず来る客との再会の日に向けて、どんなことを積み上げてきたのか。今回は「婆娑羅」のご主人、大澤伸雄さんに、お話を伺います。
「婆娑羅」のマッチ箱の朱色の表面には、婆娑羅という店名と電話番号、裏は白字に炭文字で、箱の左肩に小さく“モツ焼”、中央に大きく“酒”、右下に“三鷹駅北口”と刷ってある。つまり、もつ焼きの店なのです。
しかし、一歩店内に入り、白い漆喰壁に貼ってある定番の品書きを見れば、辛味大根タラ子、だし巻たまご焼、名物どじょう鍋、ネギソバ、五〇年ぬか漬などの文字が飛び込んでくる。
そして、小学校の教室にかかっていそうな丸い壁掛け時計の横の黒板には、こんな文字が見える。皮ハギ肝合え、白子とアンキモの盛、アジなめろう、絶品しめさば、厚岸ホッケ焼、カキふっくら焼、煎りむかご……季節感あり。定番ものあり。酒飲みが欲しいと思うツボを見事に突いてくる。そして、メインのもつ焼きがあるのです。
創業以来一貫してうまい酒と肴を安価で提供してきた大澤さんは、コロナ禍の当初、迅速に対応したといいます。
「最初は対岸の火事だった。それからクルーズ船が来て、そのうちに、テレビでニューヨークの病院で女医さんが泣き叫んでいる映像を見て、休まないとダメだなと思いました」
行動は素早かった。付き合いのある信用金庫へ相談し、緊急融資を申請。当時はまだ、他に申請者が押しかけていなかったから、融資は数日で実行されたという。
「これで一応の防御態勢がとれた。吹けば飛ぶような店は、お金がなくなったら立ち行かない。それに、歳をとっているオレが一番、感染の危険にさらされるからね」
政府が緊急事態宣言を発出する前の4月1日。「婆娑羅」はひと月の予定で休業に入り、その後、状況は変わらず、6月上旬まで、2ヶ月以上にわたって休まざるを得なかった。
「先行きはどうなるか、わからない。それでも、雇用調整助成金や東京都の協力金、家賃への補助も始まりました。そうして経済的なバックボーンができたから、焦らず自分のペースで生き抜けばいいんだと思えた。だから、やれば売上になるけれど、そこから利益を出すのは難しい弁当の販売やテイクアウトには、手を出さなかった」
昨年に関して言えば、6月には緊急事態宣言も東京都独自の規制も解除され、その後の感染対策をしながらの営業は、困難な中でも無事に続いていた。そうして、年末を越えた今年1月。年初から緊急事態宣言が発出され、店はまた、休業に入る。その間も、延期されたオリンピック開催へ向けた流れもあった。その頃、大澤さんは、どんな思いだったのでしょう。
「ちょっと疑心暗鬼になってたよね。だって、政府の流す情報がくるくる変わるから。この調子だと、店はずっと休みかなと、覚悟はしていました」
3月に一度緩和されたものの、4月下旬からの緊急事態宣言中は、酒類の提供自粛が要請された。
「酒を出すな、なんて。とんでもねえことを考えやがるな、官僚はって思って(笑)。戦略がないから酒場に八つ当たりしているようにも思えた」
横で聞いていたスタッフの城戸尚子さん(通称ナオちゃん)が、こう教えてくれました。
「大澤さんはコロナで休業する最初の頃から、店の外に黒板を出して、そこに自筆で、いろんなことを書いてきたんです。その写真を店のインスタにも上げていたんですけど、今、読み返すと、そのとき、そのときの心をよく表していると思います」
たとえば今年の5月7日付け。
“酒類は禁止”と言う そんな生半可な商い勘弁してください。 ならば五月末日まで休業といたします。どうかお元気で御無事で、コロナ沈静を願って、再会を バサラ
「4月、5月は近くに新しく引っ越してくる人も多いので、その人たちがこれを見て、じゃあ、明けたら来てみようって。そういうお客さん、多かったです」とナオちゃん。
翌週、14日付けも引用しましょう。
いまだ衰えないコロナ、むしろ大活躍の様子…。我等まだまだ静かに暮らすばかり 長い休業ですがいつかは終わるコロナの日々、再開がいつになっても体を丈夫に鍛錬して、料理もたくさん修練して万全の心で待っています。バサラ
まるで語り掛けるような手書きの言葉。それが道行く人の心にとまる。黒板の前にはノートを置いて、好きなことを書いてもらえるようにもしていた。そこには、律儀に丁寧な文字で、お互いに頑張りましょう、店が営業できるようになったら、きっと来ます、そういう意味の言葉が記してあった。
「黒板にメッセージを書いて、その前に伝言ノートを置いておく。すると、オレのメッセージにみなさんがお答えしてくれるの。本当にアナログなんだけど(笑)。でも、あれを読んでいたから、長く休んでいる間も、店を再開すればお客さんは来ると確信していました。パソコンで打った休業の案内じゃなくて、肉筆だから、足を止めてくれる」
ナオちゃんも、このノートを読んで思うところがあったといいます。
「今まで知らなかったお客さんのお名前を知ったり、こういう字を書く方だったんだとか、いろんな面が見えてきました」
大澤さんのメッセージが道行く人や婆娑羅の常連さんの心を打つのは、それが本心からの嘘偽りのない言葉だから。実際、大澤さんは、メッセージに書いたとおり、身体を鍛えたのです。
「休んでいると、足腰が弱るし、お客さん対応の勘所も鈍る。だから最初の頃は本読んだり、散歩する程度だったけれど、今年はジムで身体を鍛えた。ちゃんとマシンつかって筋トレをする。でも、調子にのってやりすぎると、体中に痛みが走る。これは危ない(笑)」
いつも、店のことを考え、従業員のことを考え、そして何よりお客さんのことを考える。そのお客さんに、十全に対応するために、今年73歳の大澤さんは身体を鍛えたのだ。
そして迎えた10月。無事にお客さんを迎えることができたのです。17日の黒板にはこんなメッセージが書かれていた。
再会できて本当にうれしいです。が、只今席の間かくを開けて営業しております。せっかくの来店なのに! 予約の電話いただければありがたいです
店には新しい発見もあったといいます。
「10月1日の解禁のときは、お客さんがどっと来たら対応できるか不安で、恐かったですよ。ただ、休業明けの発見だったのは、若いお客さんがすごく多くなったこと。なんだこの現象は?と思ったくらいですよ。初めての若者が、ひとりふたりで来るんですよ。そして、静かに、いい酒の飲み方をして帰る。全然ふざけた飲み方をしない。きっと、想像力を働かせて、熟慮してから店に入ってきている。驚いたけれど、そういう若者は、目立たないが昔からいた。今も確実にいるんですよね」
コロナ禍を経て、人は、ただ騒いだり、憂さを晴らしたりするための酒より、本当においしい酒を飲むことを優先するようになっているのかもしれない。気の進まないお付き合いの酒を飲むくらいなら、ひとり、あるいは気の合う人とふたりでゆっくり、うまいつまみでしばし飲みたい。そんな、穏やかな酒だ。
大澤さんも、こう言う。
「飲み方が変わったのは、いいことだと思う。店のほうも、お客さんをガンガン入れる商売はもう流行らないというか、そうしてはいけないことですよね。酒をこよなく愛する人はやっぱり静かに飲みましょうねって、これだけですよ。そういういい飲み屋文化が、また築かれるようになります。まあ、そんな担い手になれればいいかな、この店が」
実は今、「婆娑羅」では代替わりの準備に入っている。長年、大澤さんが立っていたもつ焼きの焼き台には3年ほど前からナオちゃんが立つ。女性の焼き方は珍しい。しかも大澤さんは、山口瞳の名作「居酒屋兆治」のモデルになった大将に可愛がられ、もつ焼きの仕込みの手ほどきを受けた人。その目、技、心意気を、ナオちゃんが受け継ぐのです。楽しみです。
「私は、この店がすごく好きで。仕事が終わって、ふらっと立ち寄ることができ、久しぶりの人同士がばったりここで再会する。そんな場所でありたいと思っているんです。大澤さんが積み重ねてきたものを大事にして、でも、どこか、私らしくできるところがあればいいなと思うし。今、それを探している途中でもあります」
ナオちゃんは、仕入れも仕込みも調理ももつの焼き方も、そしてお客さんの対応も、すべて、大澤さんから学んできた。さぞや、大澤イズムが染み込んでいることでしょう。
「ずっと一緒にいるから、どんどん似てきますね。親子みたいに(笑)」
来年は開店40年の記念の年。大きなコの字のカウンターの片隅で、その年月を思いながら、しみじみと飲みたいものです。
*最新の営業時間など、詳しくは電話やHPなどで確認を。
文:大竹聡 写真:衛藤キヨコ