東京・幡ヶ谷。甲州街道から路地を一本入ると、魚料理が自慢の酒場「魚貞」がある。40年以上続く居酒屋は、長い休みを経て、ようやく通常営業を再開した──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第十八回は、若い世代や海外からの客も多く訪れるという酒場の店主に、話を伺いました。
10月25日に、時短営業の要請も解除された飲食業界ですが、それから1ヶ月以上の月日が経ちました。多くの店で、客足はかなり戻ってきたけれど、以前のようにはいかないという話が聞かれます。また、飲みには来ても帰る時刻が早く、以前なら、まだまだこれからという頃合いに、街中から人が減ってしまう。そんなことも言われています。例年であれば、忘年会が続く季節は、飲み屋さんにとって、一年で最高の書き入れ時。ここをどう乗り切るかは、酒を出せない夏を乗り切ってきた酒場の、まさに正念場でしょう。
そこでこのたびは、昭和56年創業の居酒屋「魚貞」をお訪ねし、ご主人の石川宏之さんにお話を伺いました。
京王新線「幡ヶ谷駅」の地下改札を出て、甲州街道の北側で地上へ出ると、店まではもう、1分ほどだ。路地を行くと、喫茶店のその先に、「魚貞」はあります。間口はさして広くないけれど、扉を開けて中へ入ると、奥が深い店なのです。入って左手に座敷、まっすぐ進んだ左手はカウンターで、その向こうには、板さんとご主人の姿がある。カウンターの客が背にしたスペースも小上がりで、店の奥には半個室的なテーブル席。さらに、2階があって、ここは宴会もできる広さだ。
コロナ禍によく聞いたのは、ある程度規模の大きい店のほうが厳しいということ。たとえばひとりで経営している飲み屋さんの場合、行政から支給される協力金で店の家賃もご自身の生活費も賄えてしまうが、大きい店になると、維持費が高いし、従業員もいるから、そうはいかない。だから、でかい店のほうがきついんだ。そういうお話しだった。その観点からすると、「魚貞」のような、比較的に大きな酒場は、かなり厳しい状況に置かれたと想像がつく。コロナ禍の最初の頃から、どのように対応してきたのか、率直に聞いてみた。
「最初は戸惑いましたね。補助金は当初は一律8万円で、それで給料を払えたし、うちの場合は、家賃がかからないので助かっていましたが、その金額が後に半分ぐらいに減らされてからは、貯蓄を切り崩して凌いできました。板前さんやホールのバイトさんの給料と、うちの女房と私のと。あと、義母が店の持ち主なので、その給料も払って。まあ、おばあちゃんは身内だから、ちょっと待ってって言えるのはありますけど(笑)。バイトの子たちにも、急に休めって言っても可哀そうだから、最初のうちは半額だけでも払って、その後は1万円とか、お小遣い程度。でも、学生さんで、仕送りもある子だから、なんとか頑張ってくれて、今も、うちに来てくれているんですよ」
石川さんは穏やかな口調で語る。しかし、現実はどんなものだったのだろう。コロナ禍が長引く中で、行政からの要請に対応しているのにもかかわらず、協力金が減額されるのです。
「協力金の申請期間の、前年の売り上げに対して何パーセントというかたちに変わりました。前年の売り上げが悪い月だったら、今年、申請する協力金も少なくなるんです。最低が4万だったかな。月にして120万とか。うちの忙しい時期の3分の1です」
その間も、行政の要請に従えば、売り上げは上がらない。
「営業が8時までという時期がありましたね。来てくださる人はいらっしゃるんです。短い時間でも来てくださる。でも、それは、10人に満たない。8時までの営業では、どうしても、そういうことになります。そうなると、仕入れたお魚も無駄が出るから、ランチに回すしかない」
店は、魚料理が中心。毎日、河岸から新鮮な材料を仕入れ、店で仕込みをして提供するスタイルを変えない。できあいの酒肴を出さない。ネタも、いいものを揃える。つまり、朝から晩まで、無駄なく、手を抜かず、仕事をする。そのことをよく知る常連たちに長く愛されてきた。フライものや大型の魚の仕込みなど、朝、店に出てきてからではランチに間に合わないものは、前日までに仕込みを終える。
「以前は、日曜だけ休んでいたんですけど、最近はもう、歳だから、祝日も休んでます」
石川さんは今年66歳。日曜のほかに、祝日に休んでも当然と、普通は思う。ただでさえ、奥さんと一緒に若い頃から働きづめだったのだ。でも、もしかしたら、石川さん夫婦は休んで当然とは思ってこなかったのではないか。
先代から引き継いだこの店を支えながら、多くの客を満足させ、家に帰れば4人のお子さんを育て上げた。その年月は、ひとつの家族の歴史だ。休んでいる暇などなかった日々の記憶でしょう。そこでは、休むことの優先順位が、あまり高くなかったかもしれない。
そんな石川さんが休まざるを得なくなった理由。ひとつは、言わずもがなの、コロナ禍である。しかし、実はそれだけでもないのです。
「去年の暮れに心臓の手術をしたんです。ちょうどコロナだから、ゆっくり休めてよかったね、なんて言ってくれる人もいましたけど、こっちは死ぬか生きるか。必死だったんですけどね(笑)。今年の1月半ばあたりから店を営業しようと思っていたんですけど、また緊急事態宣言になって。酒もやめさせられているから、家にいても、することがない。結局、緊急事態宣言の間中、休むことになりました」
そして、秋。10月1日からは、ランチ営業と夜は時短での営業を開始した。今年は、年初から、満足に商売をした日が1日もない。その分の、いくらかでも取り戻すべく、営業を再開した矢先のことだった。
「10月25日から営業時間も自由になるということで、その前の土曜日に、豊洲に仕入れに行きました。一軒一軒回って、魚介や野菜などを仕入れてきたんです。そしたら、今度はうちの女房が家の掃除中に肋骨を折っちゃって。魚はブリなどの大型のものや、名物の鯨、それから野菜なども全部キャンセルしたんです。平日はホールのバイトがいないから、女房ひとり。骨折していては、痛くて仕事できませんからね。まあ、運が悪いというか。2週間ちょっとの間、また営業できなくて、11月に入ってからやっと通常営業に戻ったんです。営業再開して思うのは、お客さんの帰りが早いこと。10時ぐらいになると、ほとんど誰もいないですね。なので、11時前には掃除も終わってしまう。それでも、おかげさまで、金曜、土曜あたりは混んで、お断りすることもあるぐらいなんですけど」
昭和56年創業の店は、現在、41年目の歴史を刻む老舗だ。古いお客さんもたくさんいらっしゃる。
「先日は、引っ越されて一年に一度くらいしか来られない方が見えました。お話しされていたのは、病気のことばかりでしたね(笑)。でも、一方では、意外と若い方も増えています。テレビドラマ『ワカコ酒』の舞台になっていることから、あの番組を観て来てくださっている方が、結構多いです。韓国から留学で来日していた韓国人の学生さんも、ドラマが縁で来てくれるようになったんですが、その子がこの店の近くの会社に就職したからって、先日も、上司や後輩を連れて飲みに来てくれました。最近では、女性ひとりで来て10時くらいまで飲むというような、リアルなワカコちゃんみたいなお客さんもいます」
石川さんは、若いお客さんたちとの連絡手段に、実はSNSを活用しているという。
「一生懸命、インスタを覚えまして(笑)。電話でやりとりしなくても、メッセージのやり取りで予約も受けられるとわかりました。便利ですよね(笑)。でも、スマホの使い方はずいぶん覚えたはずですが、バイトの子にメール送ったつもりが、酒屋さんに、給料取りに来てくださいって送っちゃったりね(笑)」
演劇が好きで、時々大阪からやってくる若い女性のグループとの連絡も、スマホで行っているという。コロナ禍にあっても、お店、開いてますかと、連絡が来る。それが嬉しい。若い女性たちにしてみれば、この店が出す、当たり前でいて、だけどきちんとおいしい酒肴を楽しみにしているのだろう。石川さんは言います。
「うちは昔からの店だから、そんなに変わったものはつくらないし、つくれない。だけどそういうものを、お客さんは喜んでくださるし、満足してくれているようで。だから、私も、変わらずにこのままの感じで、普通のものを普通に出していく。そもそも凝ったものなんてつくれない(笑)。それで、今66歳の私が、あと9年、75歳まで頑張ると、この店もちょうど50年になる。その頃までは、頑張りたい。逆に、その頃が潮時かなとも考えています」
コロナ禍にあって、満足な営業ができない期間に、病を得て、奥様はケガもされて、本当に厳しい時間を過ごしてきた。それでも、石川さんは、今日も河岸で仕入れたおいしいネタで、石川さんいわく、普通の料理を出す。たとえば、マグロ。普通のトロや赤身でなく、こちらだと、ほほ肉、かまとろ、脳天の三点盛りなどが、さらりと出てくる。
鯨にしても、ニタリクジラとイワシクジラの食べ比べができたりする。石川さんが手の空いているときなら、これは、いったいナンですか?などと質問しながら、飲み、料理を楽しむことができる。煮魚で一杯というような、大人の飲み方も、ここなら覚えられる。そのことを、古いお客さんばかりでなく、女性も含めた若い世代のお客さんたちが、知りはじめている。
普通にうまいものこそ、本当に欲しいもの――。コロナ禍を乗り切る老舗酒場が、それを教えてくれるのです。
*最新の営業時間など、詳しくは電話で確認を。
文:大竹 聡 写真:衛藤キヨコ