錦糸町北口で半世紀にわたって愛され続ける、町場の焼き鳥屋「鳥平」。家族経営のこの酒場も、平常営業ができない状態が長く続いた──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第十二回は、未曾有の危機を乗り越えようとする、朗らかで力強い家族愛に迫ります。
緊急事態宣言が解除され、街の酒場に人が帰ってきました。ずいぶん、久しぶりです。
最後にこの街で飲んだのはいつだったか。思い返しながら馴染みの通りを歩き、懐かしい扉を開ける。店のほうでも、さあ、営業再開は喜ぶべきこととしても、果たしてみんな、帰ってきてくれるのか。営業時間も、東京都の場合なら、午後8時にはアルコールの提供を停止しなくてはならない。5時に店を開けても正味で3時間。限られた営業時間と、減額される協力金だけでこの先を乗り切る糸口をつかめるのか。飲食店サイドも安閑としていられるわけでないでしょう。
緊急事態宣言期間中の酒場を訪れ、苦境にあってどんな対応をしているか、今後、営業再開のときには、どんな営業を目指すのか。そんなことを伺って参りましたシリーズも数えて十二回です。錦糸町北口で、親子三代で頑張る焼き鳥の名店「鳥平」を、宣言解除も近いと思われた、9月22日に訪れました。
錦糸町駅北口。東西に走る北斎通りを渡った一本先の小道に、「鳥平」はあります。昭和46年にこの地で開業。現在、店を切り盛りするのは代表の新澤裕子さんと、その長男である店長の陸(りく)さん。裕子さんの父、陸さんにとっては祖父にあたる創業者の井出広明さんを“マスター”、その連れ合いである喜久子さんを“ママ”と呼びます。つまり、親子三代。現在は、陸さんが店長として焼き場も調理場も掛け持ちしながら、店を回しています。訪れた9月22日時点では、お昼の弁当と、夕刻からはテイクアウトとノンアルコールドリンクでの営業に、フル回転していました。
陸「4月下旬にお酒を出せなくなってからは、お休みをいただきました。6月にいったん店を開けたときはお客様もすぐ戻ってきて、ありがたいと思っていたのですが、また、あっという間にお酒を出せなくなった。でも、また閉めるのも嫌だなと思って」
昨年以来、「鳥平」では行政からの要請通りに対応をしてきたといいます。
裕子「昭和の頃には焼き鳥のお土産や出前もしていたんですけど、テイクアウトはそれ以来です。今回やってみて、店内とテイクアウトのオーダーが重なったときなどは、スタッフもバタバタしてたいへんでしたね。店内営業だけでも手一杯なのに、テイクアウトやお弁当となると、その仕込みにも手間と時間がかかります。まして、店を開ければ人件費も、かかりますよね。去年の緊急事態になった頃は協力金もあって楽観視していましたが、これだけ長くなるとだんだん不安になってきて……。店を開ければ、赤字も出ますよ。でも、だからといって、何もせずに休業してしまっていいのか。今は店長(陸さん)を中心にやってくれていて、開けたいっていう気持ちが強い。だったら赤字になっても続く限り開けようと。そういう形で、やっているんです」
陸さんの胸には、不安もあったという。酒類提供を実質禁止するという異常事態において、要請に対応せず、酒を提供する飲食店が見受けられるようになったからだ。
陸「普通に営業してほしいという声は多く、要請を守ることに何の意味があるのだろうって思った時期もありました。そのときは母とも言い合いになったり。でも、今は、守ってきてよかったと思っています。実は昨晩来られたお客さんが、こんなことをお話しされたんです。酒を出して完全にオープンにしますよという店には、この状況で行きたいとは思わない。ちゃんと酒が出せるようになったら、今、我慢している店をしっかり応援したいよね、と」
陸さんは、ノンアルコールドリンクを飲みながらそう語るお客さんに、とても感動したそうです。
陸「僕自身、お酒を出してない酒場に行ったことないから、お客さんの心境はよくわからない(笑)。でも、酒を出す店が増えているなかでうちに来てくれるっていうのは、本当にありがたいことだと思います」
陸さんは現在25歳。まだ若いけれど、店を手伝い始めたのは高校1年生のときだから、経歴はすでに10年。当時の店では焼き場はママ、調理場はマスターが担当していたといいます。
陸「マスターと意見が合わなかったりして、ぶつかることもありました。でも、マスターが言っていることが全部、正しいんです。僕は隣についてマスターの仕事を見ていた。そのうちにママが足が痛いと言って焼き場に立たなくなり、代わりに僕が焼くようになった。それからまた少し経って、今度はマスターも疲れが出て、僕が調理のほうにも入って、母とふたりでなんとか回してきました。ちょうど高校の頃、ばあちゃん(ママさん)が、もう店をやめる、ってしょっちゅう言っていて、うちはボトルキープの期間が2ヶ月だから、店をやめる2ヶ月前には常連さんに伝えないといけないって、いつも僕が言われていたんです。それが、なぜかとても嫌で。店を継ぐ気持ちはまったくなかったけど、ばあちゃんが店を閉めるって言うのが本当に嫌で。絶対に閉めてほしくないっていう気持ちは、そのとき、もう、持っていました。だから今、こうして店をやっているんだと思います」
陸さんは、マスターにぴたりとくっついて、6年間、仕事を教わった。そしてマスターが現場を離れてからは、「鳥平」と付き合いのある業者や、以前から店に飲みに来ていた飲食店の先輩に、野菜や魚の仕入れなども教わってきた。
そして、この4月。長年にわたって「鳥平」を率いた創業者の広明さんが他界した。引退から4年、84歳だった。翌日には緊急事態宣言発出という、4月25日のこと。裕子さんは、葬儀の準備もあることだから、緊急事態宣言発出後の休業を決意。「店を休んで、ゆっくりと家族で見送ることができました」と、おっしゃいます。その口ぶりは、実に淡々としている。
しかし、創業者であり、一家の大黒柱であったマスターの逝去は、コロナ禍という過酷な現実に追い打ちをかける、精神的にもたいへん厳しい経験だったと思われるのです。酒の提供ができない中でテイクアウト、お弁当、ノンアルコール営業を行えば赤字も出る一方で、真夏にはオリンピックというお祭りが開催されていた。飲食店だけがなぜ?と思わなかったのでしょうか。
裕子「なんで飲食店だけがダメなの?といつまで言っていても何も前向きにならない。だから、オリンピックはオリンピック、うちは、うち、と考えた。そうしないと折れてしまうから、一切、そういうことは考えていませんでした。これも、一生続くことじゃない。いつか必ず夜は明けるってことだけを思って過ごしていましたね。また、お客様と乾杯できる。あなたも一杯どうぞって、お客さんに声をかけてもらえる。そういうときが絶対に来る。そう思って緊急事態宣言のルールに従い、凌いできました。だから、オリンピックをやってるからといってストレスを感じることもなく、それは別物として捉えていました」
オープンした昭和46年は西暦にすると1971年。つまり、「鳥平」にとって今年は、錦糸町で50年の、記念の年なのです。だからこそ、裕子さんの胸にも、陸さんの胸にも、創業夫妻が頑張ってくれたこの店を守ろうという、強い気持ちが湧いているのかもしれません。
裕子「お客様の前でも言い合いになるくらい、よく夫婦で喧嘩していました。父は80歳まで、母は82歳まで店に出ていました。喧嘩相手がいなくなったからか、母も、がくっときて。だから今は、母の様子を見てから、この店長の下にも子供が3人いますから、そちらの学校のことなんかもあって、一日はあっという間に過ぎてしまいます」
もとより裕子さんは店の代表者。陸さんに店長を任せつつ、店の経営も見ている。超多忙な日常の中で、いつか夜は明ける。そう思えた理由は何か。伺ってみました。
裕子「たぶん私の性格(笑)。楽観的なのかな」
陸「僕も、おんなじです(笑)」
裕子「じゃあ、もとは、父の性格かもしれませんね。私は若い頃、外で働くようになったとき、父に言われたことがあるんです。どんなにいい時も、どんなに悪い時も、同じ状況は続かないからねと。この父の言葉はその後の人生の中で、ああ、本当だなと思うことがあって、心に染みついています」
カウンターの向こう側に立ち、調理をしながら客の様子にも目を走らせ、ときおり、声をかけたりするマスターであったらしい。その姿を陸さんは、威厳がある姿だったと振り返ります。
現在も、「鳥平」のお客さんには、マスター時代からの人は多い。中には、高校時代に親に連れられて来て、もう60代になっている人もいるという。そして「鳥平」のお客さんには、特徴があるらしいのです。
裕子「ありがたいことに、『鳥平』ではひとりでじっくり飲んで食べて帰るというお客様が多いんです。グループでいらっしゃっても騒ぐような方はいないし。飲みのプロというか(笑)、自分の世界を楽しんでくださるお客様たちですね」
陸「そうした店の雰囲気は、マスターがつくったものかもしれません。僕は、素人からこの店でたたき上げて、今、ここに立たせてもらっている。だから、これからまだまだ勉強ですけど、この店の雰囲気を受け継いで守っていきたい。とはいえ、これから1年ほどで、ワクチンが行き渡って、特効薬もできるのかどうか。あるいは、店を開けた後も、席の間隔を広げて感染対策をするなら、以前のようにお客さんを入れることはできないので、その分の補償はどうなるのか。とにかく、コロナがインフルエンザぐらいに扱えるようになるのを待ちながら、営業をしていくしかないですね」
実に冷静に、しかも、的確に状況を見ている陸さんが25歳だと改めて気付き、若いのに、しっかりしておられますね、と声をかけた。
「自慢の息子です!(笑)」
即答したのは、裕子さんだった。たしかに――。
そして迎えた、10月1日。緊急事態宣言が解除され、20時までの制限はあるものの、実に81日ぶりにアルコールの提供が解禁されました。それからしばらく経った10月20日に、再開後の店の状況はどうなっているのか、あらためて店長の陸さんに話を聞いてみました。
陸「おかげ様で馴染みの方だけでなく、新規でご来店の方もお立ち寄りくださって、緊急事態宣言前に近い状態で営業させてもらっています。店内に活気が溢れていて、『嬉しい!』『楽しい!』というのが率直な感想です。久しぶりのお客様が『ずっと来られなくてごめんね!やっぱりお酒がないとさあ……』と素直におっしゃっていて、やはりみんな同じ気持ちだったんだなと安心しました。このままリバウンドする事なく、徐々に解除されて行くことを願うばかりです」
下町の50年酒場の営業再開に、乾杯!
*要請に従い、当面は営業時間などに変更あり。またランチ営業を行う日も。詳しくは電話やTwitter(@Torihei_Kinshi)などで確認を。
文:大竹聡 写真:衛藤キヨコ