2021年11月号の第一特集テーマは「『ごはん』の季節」です。自転車で世界一周を果たした旅行作家の石田ゆうすけさんですが、海外ではなかなかおいしいごはんに出会えなかったと言います。その中でも強烈な味がしたアフリカの米とは――。
海外で印象深かった「ごはん」といえば、台湾の池上弁当だ。かつて天皇にも献上されたという池上産の米は甘味があって、不思議なくらい旨かった。
ただこの話は以前書いたので割愛する。するともうネタがなくなる。おいしい米は海外ではやはり普通には行き当たらない。
逆の意味で記憶に残っている米なら数々ある。先に書いた二話もそう。ただ、インスタントのミニッツライスもオランダの"レトルト食品風炊飯米"も、まだ食べられるからいい。
アフリカのセネガルの話だ。
西アフリカでは米がよく食べられている。アフリカイネという粒の小さな米で、パラパラした食感。この米で炊いたごはんにごった煮をかけたものが屋台料理の定番だ。
セネガルの首都ダカールで食べたものは旨かったが、田舎だとごった煮の具が減って旨味調味料を濃縮したような味になり、毎日食べるのは辛い。そこで夜だけでも自炊しようと市場で米を買った。
透明のビニール袋に入れてもらったそれを見ると、黒い小さな粒がたくさん入っていた。おや?と思ったが、屋台のごはんと同じ米のはずだし、いつも普通に食べているのだ。問題ないだろう。
その夜、人気のない草原にテントを張り、ごはんを炊いた。
暗闇の中、草原の虫の声に交じってグツグツ沸騰する音が聞こえてくると、ドブと化学薬品が混じったようなにおいが漂ってきた。なんだろう。屋台のごはんもたまににおうが、ここまでじゃない。調理のときだけにおうのかな?
ごはんが完成し、おそるおそる食べてみると、口内に魚の腐ったようなにおいが一気に充満し、ガスが爆発するようにブハッと全部噴き出しそうになった。
なんとかこらえて無理やり呑みくだし、ヘッドランプをつけてごはんを見ると、調理する前と同じように黒い粒が点々とついている。「ごましお」をかけた白飯みたいだ。粒を指でつまみ上げると、小石のように硬い。指先で強く圧すると、つぶれて粘土状になった。固ゆでした卵の黄身のようなネチッとした手触りだ。においの主はこれか?と鼻に近づけてみると、うおおおうっとのけぞった。極小なのになんたるパワー。これじゃまるで......よそう。最低な例えしか出てこない。
色とにおいから察するに、ヘドロが固まったものだろう。あるいは田んぼの泥か。
見える範囲で黒い粒を手で取り除き、白飯だけを食べてみたが、においは米に染みついていた。しかし、食べないと自転車をこげないし(自転車で旅をしているのだ)、食べていたらそのうち慣れるやろ、と無理やり口に押し込んでいったが、どんどん気分が悪くなってきて、このまま食べ続けると吐くなと思った。おかずの野菜炒めをぶっかけて混ぜてみたが、においは全然消えない。結局ギブアップし、炊いたごはんをそっくり捨てるという許し難いことをしてしまった。毎日ペダルをこいで飢えた獣と化す自転車旅行者が、炊き上がったごはんを地面に捨てるなんて、花好きが手塩にかけて苗から育てた花を、開花寸前に池に投げるようなものだ。
しかし、屋台ではそんなににおわないのに、なぜだろう。特別粗悪な米を売りつけられたのだろうか。
この先まともな米が入手できるかどうか不安になってきた。ここセネガルはブラックアフリカ(黒人が住むサハラ以南のアフリカ)の最初の国で、これから1年以上は旅する予定なのだ。そのあいだずっとこのような米を食べ続けなければならないのだろうか......。目の前が真っ暗になってきた。
翌日、森の中から村が現れた。歩いて散策する。
家の軒先におばさんがいた。あぐらをかいて座り、大きなザルに米を広げ、手をひょいひょい動かしている。えっ、まさか、と注視すると、そのまさかだった。米の中に無数の星のように混じった黒い粒を、おばさんはひとつひとつ手でつまんで取っていたのだ。
おばさんの背後には地面にむしろが敷かれ、米が山のように積まれていた。これを全部手でやるというのか?
呆気に取られて見ていたが、そのうち心がほどけてきて、頬が緩んだ。自分は何をひとりであんなに暗くなっていたんだろう。
その夜も草原にテントを張ると、米を少量ずつ鍋の蓋にとり、ヘッドランプで照らしながら黒い粒をひとつひとつつまみ出していった。なんてことはないのだ。キャンプの夜はいくらでも時間があるんだから。
アフリカの名誉のために付け加えておくと、そのあと買った米は、黒い粒もなく、アフリカ米特有のクセはあるものの、臭くて食べられないようなものはなかった。結局、最初に買った米だけが特殊だったのだ。
あのにおいは一体なんだったんだろう。振り返るたびに白昼夢でも見ていたような曖昧な気持ちになるのだが、ただ、最初のひと口目の衝撃と、直後に感じた絶望の記憶は、まわりの情景や虫の声と一緒にいやに鮮明に蘇ってくるのだった。
文・写真:石田ゆうすけ