「酒を出せない酒場たち」~いつかまた、あの店で呑もう!~
戦争のとき以来なんですよ。これだけ長い期間、店を閉めたのは──神田「みますや」

戦争のとき以来なんですよ。これだけ長い期間、店を閉めたのは──神田「みますや」

東京の居酒屋遺産と称される、神田「みますや」。創業115年の歴史を誇るこの店も、酒を出せない日々が長く続いている──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第七回は、老舗酒場を巡る人々の“店への愛着”を考えます。

コロナ禍も早1年半。酒場をはじめとする飲食業界にダメージを与え続けています。4月下旬には、酒場に対して酒の提供を停止せよという、信じられない要請も出た。その異常事態は、6月下旬からの20日間の一部解禁期間を経て、9月末まで続く見込みとなっています。

店の歴史、業態、規模にかかわらず、一律に酒の提供を禁じられた酒場は今、どうしているのか。今後に向けて、どう考えるのか。現場の生の声をお届けするシリーズの七回目は、老舗中の老舗「みますや」にお邪魔をし、お話を伺います。

外観

お客さんがひとりでも来ていただけるんだったら、ありがたいと思って

今回、店を代表して取材にご対応をいただいたのは、岡田かおりさん。この店の三代目のご主人である岡田勝孝さんの次女で、お兄さんやお姉さんも一緒に店を守っています。

「うちは、昨年からずっと要請のとおりです。だから4月25日から6月半ばまでは完全にお休みして。いったん解除になってから、3週間くらいでまた緊急事態宣言になりましたよね。このとき、近所の会社の方たちからランチやらないの?と声をかけていただきまして、どうしようかなと思ったのですが、今回はやってみることにしたんです」

岡田かおりさん
岡田かおりさん

居酒屋の名店「みますや」は、実はランチの名店でもあるのです。

「うちは昭和30年代後半からランチをやってきたんですよ。神田には職工さんがたくさんいたんですけど、家庭の主婦も外へ出て働くようになってお弁当を持たせてもらえなくなったらしいですね。そこで、近所で働く職工さんたちからの要望に応えて、ランチを始めたと聞いています。私が小さい頃もまだ小さい印刷や製本などの会社がありましたし、うちとしては、ランチをやることに存在価値があったのかなと思って、今回は開けてみることしました」

ランチ営業の案内プレートには、焼魚定食、煮魚定食、牛煮込定食、新香、みそ汁、小鉢、色々おかず選べます、とある。さて、ではそのおかずは何かと思って目を移すと、縄のれんの横に木製の看板がさがっていて、ご飯は大が70円、小が60円と書かれ、その横に、おかず60種類とある。主菜、副菜合わせての数だが、この品数、昼食時に用意するのは並大抵ではないでしょう。夜は居酒屋として、昼は飯屋として、下町・神田に住まい、あるいは集う人たちの、舌と胃袋と心を満足させてきた。明治33年創業の「みますや」の底力を見る思いです。

ランチ営業の案内プレート

「コロナ前だと、ランチには120人から130人くらいのお客さんがありました。今はそれが、多くても40人から50人です」

そして今、「みますや」は、アルコールなしの時短営業も行っているのです。午後5時開店、7時ラストオーダー、7時45分閉店。居酒屋の名門が酒を出さない。そこには、どんな光景が広がっているのでしょうか。

「ノンアルコールのビール、ハイボール、サワー、カシスオレンジなどをお出ししています。店の入り口でお酒は出さないとお伝えして、そこで帰られる方もいらっしゃいます。それでも入っていただけるのは、昔から来てらっしゃるお得意さんが多いですね。飲み物はノンアルでも、いつも注文するおかずを頼んで、1時間くらいで帰られる。あるお客さんは、肉豆腐や牛煮込み、どじょうの柳川がお好きで、あとは、こはだ酢とか」

料理
柳川鍋1,050円

どじょうと、馬刺しはこちらの名物。ほかにも食べ尽くせないほどの酒肴がある。ノンアルコールの時短営業中のため、料理のメニューも絞っていますというので、どんなメニューがないのか聞いてみました。すると、かおりさんは壁にかかった木製の品書き札を指さしながら、

「これは、ある。これも、ある。ある、ある、ある、ある……」

刺身の札から指さし確認を始めて、右から左へいくと、やがて焼き魚の札が出てくるのですが、絞っているというわりに、あるのです。

「通常は70から80種類です。今、生ウニとかすごく高くて、お出しできないんですけど、でも数えてみると、けっこうありますね(笑)。やってないのが10品くらいでしょうか」

壁にかかった木製の品書き札

引き戸を開けて店内に入ると、正面左にテーブル席、右手に小上がり。正面、真ん中の大テーブル。その左手には、広い座敷があって襖もついているから宴会もできる。中央の右手奧に帳場があり、突き当りが調理場です。ご家族とスタッフを含め、この酒場で働くのは16人。そのうち厨房で腕を振るうのは4人で、現在の帳場には、かおりさんが座る。

明治時代から苦労をして維持してきた持ち家だから、地代家賃の負担はないが、その他の固定費はかかる。先行きの見通しがきかない現状で、伝統ある居酒屋「みますや」はノンアルコールでの営業に踏み切ったのです。

「最初は、ダメだろうなと思っていたんです。でも、開けてみたら、お客さんが来なかったのは大雨の日、1日だけ。お客さんゼロが続いたら止めようと思っていたんですけど、意外なことに、やってみると、ひとり、ふたりと、こんな時期なのにいらしてくださるんです。うちのメインはお酒です。そのお酒をお出しできない。それを伝えても、以前からうちのお客さんだった方々が足を運んでくださる。それなら続けようと思いました。ひとりでも来ていただけるんだったら、ありがたいと思って

店内座敷
店内厨房
酒メニュー
店内テーブル
グラス
看板

帳場に座るようになって感じるんです。父はこういう光景をずっと見ていたんだなって

訪れたのは8月20日の午後。会話が途絶えると、広い店内は静寂が支配する。老若男女の笑い声も、店員さんたちの張りのある声も響かない。明治期に創業した酒場は関東大震災のとき、火災によって焼失。その後、家族で懸命に働いて、昭和3年に建てた現在のお店で、昭和の戦争も生き延びてきた。

「祖父母から聞いた話ですが、戦争中、お酒や食料も手に入らなくなるまで営業をしていたときは、マッチ棒で、その日のお客さんの数を数えていたそうです。それくらい、お客さんも少なくなってしまったんですね。そんな戦争のとき以来なんですよ。これだけ長い期間、店を閉めたのは

戦後も「みますや」は頑張り続けた。周囲の店が暖簾を下ろした後、最後に灯りを消すのが「みますや」だった。かおりさんには、夜中まで店を開けていた3、4歳のころの記憶があるという。

「父も中学時代から店を手伝い、私も高校から大学まで店に出て手伝いました。子供のころは居酒屋の娘であることが嫌だなと思っていたのですが、店に出ると、お嬢ちゃんなのかい?と声をかけられ、昔、お父さんはこうだったとか、おばあちゃんが帳場に座っていたよねと、たくさん話をしてくださる。店をつぶしちゃダメだよ、頑張るんだよと、声をかけてくださる。そのとき、いい商売なのかなってはじめて思えた(笑)。一日汗して働いた方々に、うちの暖簾をくぐったら年齢も職業も関係なく、ポケットマネーで、安くておいしいものを召し上がっていただきたい。父が昔から言っていることですが、これがあったから今までやってこられたのだと思います。父ももう歳ですし、コロナのこともあるから今は店には出ていません。それで私が帳場に座るのですが、店を開けているときに、あそこから見ていると、お客さんたち、とても楽しそうなんです。仲間内で他愛ない話で大声で笑ったりね。ああ、父はこういう光景をずっと見ていたんだなって、最近、感じることですね

店内
店の歴史を長く見守ってきた、帳場

この店をなんとしても守らなくてはならない。その強い思いが、伝わってきます。

「お客さんに会えないのは、寂しいですね。あの方、どうしてらっしゃるかなと気になります。コロナ前は、多いときには130人くらい入りますから、営業中はお客さんにニコリともできないような感じ。夕方5時から夜10時までスタッフみんなで走り回っているような状態でした。でも、今は暇だから、お客さんとお話ができるんです。こういう店ですからお名刺をいただきませんので、お顔はわかっても、名前を知らないお客さんも多いんです。でも、今、そういう方がふらりと来ていただけると、ああ、いらっしゃい!ってなる。いつもひとりで大テーブルで飲んでいた方と、他愛のない話ができたりして、その方のことを初めて知るわけです。先日来られた方は、2年くらい来られてなかったから心配していたのですが、ご病気をされていたそうなんです。今はお酒飲めないから、かえってノンアルコールでちょうどいいんだよ、なんて、いろいろお話をしました。ありがたいことです、本当に」

いずれ酒も制限付きで解禁になり、お客さんも戻ってくるだろう。そのときに向けて、かおりさんは今、どう考えるのか。

「私個人の考えでは、コロナ騒動がすっかり収まるまでは、5人、10人で賑やかに飲むというのは難しいようにも感じています。2、3人の気の合う方々で来ていただければ、いちばんいいのかな。そして、まともな営業をしたい。やっぱり、お客さんに会いたい。それが一番なんです

たったひとりでも来てくれるお客さんがいるなら店を開けよう。そう決心をした店で、お話を聞いていたちょうどそのとき、ひとりのお客さんががらりと戸を開けて入ってきた。隅のテーブルに座る。かおりさんが、いらっしゃいと、声をかける。どうやら、常連さんのようです。おつまみを2品ほど、飲みものは、ノンアルのチューハイです。「みますや」でノンアルを飲む。どんな感じなのか、伺いますと、こうおっしゃった。

「水を一杯も飲まないで、カラカラに渇いた状態で来ると、うまいんですよ(笑)」

それがコツなのだ。すばらしい発想。そして、にじみ出る店への愛着。こういう常連に私もなりたいと、多くの呑ん兵衛たちが賛同してくれるのではないでしょうか。客と店との関係は、突き詰めれば1対1。「みますや」には、こういう個人が、きっと、たくさんいる。そう思うと、今度店を訪ねたときに、また新しい「みますや」が見えてくるのかもしれません。

岡田かおりさん
今回の取材には同席いただけませんでしたが、三代目店主の岡田勝孝さんに、「酒場としての営業が再開できたとき、お客さんや常連さんにどんな言葉をかけて迎えてあげたいか?」と、かおりさんを通じて聞いてみました。勝孝さんから返ってきたコメントは、「オレ、まだ、生きてたよ!」。三代目の元気な御姿にも、また会えますように!

*緊急事態宣言中、昼はランチ営業、夜はノンアルコールで営業している。最新の情報は電話にて確認を。

店舗情報店舗情報

みますや
  • 【住所】東京都千代田区神田司町2‐15‐2
  • 【電話番号】03‐3294‐5433
  • 【営業時間】11:30~13:30 17:00~22:00(L.O.)
  • 【定休日】日曜 祝日
  • 【アクセス】東京メトロ「淡路町」、都営新宿線「小川町駅」より各徒歩3分、JR「神田駅」より徒歩7分

文:大竹聡 写真:衛藤キヨコ

大竹 聡

大竹 聡 (ライター・作家)

1963年東京の西郊の生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社、広告会社、編集プロダクション勤務を経てフリーに。コアな酒呑みファンを持つ雑誌『酒とつまみ』初代編集長。おもな著書に『最高の日本酒 関東厳選ちどりあし酒蔵めぐり』(双葉社)、『新幹線各駅停車 こだま酒場紀行』(ウェッジ)など多数。近著に『酔っぱらいに贈る言葉』(筑摩書房)が刊行。