湖が茜色に染まる頃、待ちに待った夕食がはじまる。天然のうぐい、鯉、琵琶鱒、鮎、鰻___。食卓には琵琶湖の幸が次々と並ぶ。普段、「川魚」と一緒くたにしているこれらの魚だが、実は海の魚に負けない繊細な旨さと、そして、郷土ならではの調理の奥深さがあった。
午後5時。窓の向こうに広がる琵琶湖を眺めながら、「湖里庵」の夕食が始まる。はやる気持ちを抑えて席に着く。板場に対してカウンターがやや斜めになるよう誂えてあるのは、どの席からも湖面が一望できるようにという左嵜謙祐さんの思いが込められている。
「遮るものを何も作りたくなかったのです。食事はもちろんですが、この雄大な風景がはるばる海津まで足を運んで下さったお客様への最大のおもてなしだと思っています」
板場に立つ左嵜謙祐さん、着物姿で給仕をこなす奈緒子さんもまた郷土の湖(うみ)を眺めながら仕事をしている。二人の出会いは、謙祐さんの修業先である京都の名料亭の調理場だった。
さて、待ちに待った食事の始まりだ。まず、先付け。涼しげな切り子の小鉢に盛られたのは、琵琶湖の沖合で穫れた「うぐい」という魚だった。皮付きのまま骨切りをし、皮目をさっと炙った焼霜のお造りを胡瓜と一緒に土佐酢で和えてある。うぐいの身は淡泊だが、皮目に何とも言えない脂の旨みを感じる。その脂の風味とさっぱりとしたお酢の酸味、胡瓜のコリコリとした歯触りが実に良く合う。夏の名残を噛みしめているような前菜だ。たまらず日本酒を注文。まずは湖里庵から目と鼻の先の場所にある地元の酒蔵、吉田酒造の「竹生島」を合わせる。
「湖里庵」のコンセプトは、「魚治」の代名詞である「鮒寿し」を食材として取り入れた「鮒寿し懐石」だ。季節の八寸には、木の芽をあしらった小鮎の握り寿司、ずいきのごま和え、鴨ロース、手長エビの素揚げなど土地の食材と共に、鮒寿しの「ともあえ」「甘露漬」が登場した。
鮒寿しは琵琶湖に生息するニゴロブナを塩漬けにし、炊いたご飯を重ねて漬け、自然発酵させた保存食だ。この状態で二年、寝かせて熟成させたものを本漬と呼ぶ。「ともあえ」は、ふなと一緒に漬けた飯(いい)を本漬けのふなの身と和えたものだ。この珍味はこれみよがしに頬張るものではない。箸先にちょこんと乗せて舌先へ。たちまちヨーグルトのような豊かな酸味とまろやかな香りが湧き上がる。鮒寿しというと「臭い」と言って敬遠する輩もいるが、この「魚治」のそれは全くの別物だ。本漬にしたふなを酒粕で漬け直した「甘露漬」は、甘い酒粕の香りが鼻にプンッと抜ける乙な味。鮒寿しが苦手な人の口にも合うこと請け合いだ。
「魚治」のある海津は、奥琵琶湖と呼ばれる湖の最奥部の入り口にあたる。窓の外には海津大崎という湖に突き出た半島を眺めることができる。この一帯は湧き水の宝庫で、琵琶湖で最も水質が良い地域として知られる。
「淡水魚は同じ魚でも生息している場所の水の状態で明らかに味、香りが違います。だから、同じ魚でも身質も脂の乗り方も違う。よく淡水魚は泥臭いという言い方がされますが、それは環境がそうだからです。淡水魚の身は、生息している場所の水の香りがすると言われていますし、私もそう思います」
川と湖、私たちは普段、意識せずに一緒くたにしているが、それぞれ、環境も水質も、そして水温も違う。謙祐さんは湖の魚を川魚とは呼ばず、敢えて「湖魚」と呼んで峻別している。
叩きおくらとなすの上品なお吸い物の後、湖魚の中でも水の香りを堪能できる逸品が登場した。鯉の洗いだ。丸々と肥えた1キロの超の鯉は、琵琶湖伝統の「魞(えり)」と呼ばれる定置網で獲れたものだという。漁師から直接、仕入れた後、ポンプを使ってくみ上げた地下水(伏流水)の生け簀で、2~3日活かして腹の中の餌を切る。こうすることで鯉の状態も落ち着き、味も良くなるそうだ。
驚くのは鯉のおろし方だ。通常、海の魚はうろこを落とした後、えらと内蔵を取り出してから水洗い。その後、腹から包丁を入れて中骨を残し三枚におろす。しかし、鯉など一部の淡水魚は、ウロコがついた状態の丸のまま大名おろしの要領で骨から身を削ぐようにして、豪快にさばく。水に晒すことはしない。そして、最後に皮といっしょにウロコを剥ぐようにして三枚おろしが完成する。
脂の乗った鯉の身は、ほんのり黄金色の照りが出る。包丁にまとわりつく脂の、ねっとりとした感触を感じながら、謙祐さんはすぐさま、寝せた包丁の刃で、その半身をそぎ切りにしてゆく。この時、京都の夏の風物詩である鱧の骨切りよろしく、チリチリとした小気味良い音がする。これは身に対して垂直方向に伸びる鯉の小骨に包丁の刃が当たっている音なのだという。そぎ切りにした鯉の身は、切った傍からさっと水に晒す。
「洗いというと氷水を使うのが一般的ですが、私は使いません。氷で冷やしてしまうと魚の細胞が壊れてしまいますし、急激な温度変化で身が固くなってしまいます」
祖父の時代までこの地域の生活用水は地下からくみ上げた伏流水と琵琶湖の水だった。伏流水は夏でも10度以下でひんやりとしていて、この温度帯が、削ぎ切りにした鯉の身を締めるのに最適なのだという。
「削ぎ身を水に晒すのは、鯉そのものの筋肉の収縮を利用して、雑味の元となる余分な血を身から抜きたいからです。こうすることで清涼感のある洗いになります。他の地域では鯉の泥臭さを消すための仕事と言われますが全く考え方が違います」
牡丹の花びらのような鯉の洗いは、涼しげなガラス鉢に盛り込まれる。まず、何もつけずにいただく。ちりりと締まった鯉は噛むほどにほのかな甘味が湧き上がる。これはいい。舌に心地よい冷たさが、すっと心身を覚醒させる。鯉の洗いには酢味噌が定番だが、謙祐さんは鯉の本来の持ち味が失われるからと、爽やかな橙を使ったちり酢を添えた。隠し味の一味唐辛子が絶妙なアクセントだ。
続くお造りは、目にも鮮やかな琵琶鱒だった。清涼感のある鯉とは対照的な、まったりとした旨みと香りが醍醐味だ。琵琶鱒は梅雨から夏にかけてが旬。お盆を過ぎると脂が抜け、身が痩せる。だから「あめのうお」と呼ばれるそうだ。続いて、川海老のかき揚げ、鮒寿しの「飯」とチーズに見立てたパスタ、本漬けにしたふなの頭の部分を使った吸い物がテンポよく続く。
午後18時半。食事に気をとられていて気がつかなかったが、空がえも言われぬ茜色に染まっていた。その茜色を移し込んだ湖面の見事なことと言ったらない。
「ひとつとして同じ風景はないのです。ただ、日没の空と湖(うみ)が私の一番好きな時間です。この絶景を見て頂きたくて、夕食の開始を少し早いですが5時と決めさせていただいています」
少し風に当たって涼まれますか、と言って、謙祐さんは窓を開け、江戸時代の石積みの上に造った欅の濡れ縁に案内して下さった。酒で火照った身体に湖を渡る風が心地よい。しばらくの間、我を忘れた。
どれくらい経ったのだろうか。天然の鮎が焼き上がった。琵琶湖の鮎は遡上しないので、川底の苔を食んで育つ鮎とは別物の香りだ。
食事の〆は炙った鮒寿しに熱々の出汁を張って頂く「鮒寿し茶漬け」。飲んだ後には最高の〆だ。この日は特別に、琵琶湖の天然鰻の蒲焼きを炊きたてのご飯と共に頂くサプライズにも恵まれた。
実は謙祐さんは、ごく最近になって献立に海の魚を使わないと決めたそうだ。海津は、日本海に最も近い港、という土地柄、グジや松葉ガニ、ノドグロだってすぐ手に入る。日本海に面した福井・敦賀から、担ぎの魚屋がやってくる。きっかけは台風が直撃して、一時的に大津市にある料理屋を借りて、出張料理をしていた時、ふと自分は何をしているんだろうと、思いその場に突伏してしまったという。
「琵琶湖を見ながら仕事をするのが当たり前だったので、さほど意識をしていなかったのですが、大津の町中で海の魚を使って料理をしている時、海津に生まれた自分が、あえて海の魚を調理している理由が分からなくなったのです。当然、海の魚を出す店はいくらでもある。だとしたら、自分がやるべきことは違うのではないか。いつもあるはずの故郷の湖がない場所だったからこそ、大事なことを気づかされたのです」
以来、頼まれない限り、献立に海のものを入れることはなくなった。使うのは全て、地のもの。つまり、湖と湖に注ぐ河川でとれたものだ。謙祐さんにそう思わせたのも、この「湖里庵」からの景色だ。
ニゴイという魚がいる。一般には流通しない。春から夏にかけて旬を迎えるニゴイは抜群に旨い。けれども、鮮度が落ちるのが極端に早く、別名「京知らず」と呼ばれている。実は琵琶湖の魚は全般的に、鮮度が落ちるのが早い。だからこそ、全国から選りすぐりの食材が集まる京都でさえ知られていない魚種がいくらでもある。かつてはそれがハンデとなったが、今は違う。この土地にわざわざ足を運ばなければ、食することができないこと自体に価値が見出されるようになったのだ。
謙祐さん、奈緒子さんとそんな話をしているうちに、とっぷりと陽が暮れた。そして、その夜は岸辺に打ち寄せる波の音を枕によく寝た。早朝、あの濡れ縁で夜明けを待った。湖を渡る風の音、刻々と色を変える空、威風堂々とした湖。忙しさにかまけて忘れていた人間として大事なことを取り戻したような、そんな気持ちになった。
文:中原一歩 撮影:海老原俊之