琵琶湖「鮒寿し」紀行
「生水の郷」で育まれる幻の米

「生水の郷」で育まれる幻の米

寿司の原型と言われる鮒寿し。その原料は、ニゴロブナと米と塩といたってシンプルだ。魚治の鮒寿しに使う米は、「針江」と呼ばれる水郷地帯で作られている。田んぼは徹底した無農薬、無化学肥料。春先になると卵を抱いた湖魚たちが水路を伝って登ってくる。「いのちのゆりかご」と呼ばれる田んぼは今、稲刈りの最盛期を迎えている。

鮒寿しの米

「魚治」の鮒寿し造りには欠かすことが出来ない米は、海津から20分ほど車で走った「針江」という水郷地帯で作られている。10年前、左嵜さんはある百貨店の催事で針江の米農家・石津大輔さんと知り知った。琵琶湖に生活の糧をえている2人は同世代ということもあり意気投合。その後、左嵜さんは石津さんに「滋賀旭」という幻の米を紹介される。ちょうど50年ぶりに鮒を漬ける木桶を新調した時だった。

石津大輔さん

「鮒をつける桶はプラスチック製が主流なのですが、大阪のとある職人と縁があって、昔ながらの木桶で鮒寿しを漬けようと決心しました。そんな折、滋賀で戦前に栽培していたという滋賀旭という米があるということを聞いたのです」

滋賀旭はササニシキ系統の米だが、コシヒカリ全盛となって以降、作り手は誰もいなくなった。ササ系の米なので水分量が少なく、さっぱりとした食味が特徴だ。それまで、左嵜さんは水分が多く、甘さとコクのあるコシヒカリに別の品種の米をブレンドして鮒寿しの「飯(いい)」に使っていた。

「そもそも水分の多いコシヒカリ系の米は、炊いて食べるにはおいしいお米ですが、発酵の元となる菌にとっては必ずしも良くはなかった。初めて滋賀旭だけで漬けた本漬けが、それはおいしかったんです。昔ながらの味とでも言うのか、懐かしい味がしました。以来、木桶の本漬けは石津さんが作る滋賀旭と決めているんです」

いったいどんな場所で作られているのだろうか。まず、石津さんに案内されて針江の集落を歩いた。驚いたのは至る所に湧き水の取水口「川端」がある。この伏流水は琵琶湖の西側に連なる比良山地に降った雪や雨が、伏流水となって湧いているのだそうだ。針江ではどの家の母屋にも川端があり、生活と密接につながっている。今でも泥のついた野菜を洗ったり、捥いだばかりのトマトや胡瓜を籠に入れて冷やすなど、もうひとつの「台所」として活躍していると石津さんは言う。

トマト

「伏流水は一年中澄んでいて濁ることはありません。水温は一年を通じて12度前後なので、夏は冷たく、冬は温かく感じます」
川端には鯉が泳いでいた。飯粒が残ったお櫃などを浸けておくと掃除をしてくれるそうだ。夏場は野生のクレソンが取水口を覆ってしまうほど茂る。石津さんによると、各家々の川端は水路によってつながっていて、その水は集落を流れる針江大川を経由して琵琶湖に注ぎ込む。だから針江の人々は普段から隣で暮らす人を気遣い、水を汚さないように心がけるのだそうだ。

石津さんに鮒寿しの原料となる米の田んぼに案内してもらった。田んぼを駆ける風には確実に秋の気配がした。石津さんの田んぼは「命のゆりかご」と呼ばれている。

「春から初夏にかけて、雨で田んぼと琵琶湖をつなぐ水路が増水すると、コイやフナ、ナマズが水路を伝って田んぼにのぼってきます。琵琶湖に比べて水深が浅く、直射日光の影響で水が温むのが早い水田は、プランクトンも多く、魚たちの絶好の産卵場所なのです」
魚が泳ぐ水田とは驚いた。孵化した稚魚は、稲の間に身を隠し、天敵から身を守る。ある程度の大きさまで育った稚魚は夏、水田の水を落とすと同時に琵琶湖に戻るのだそうだ。

「昔はこの一帯ではどこでも見ることができた光景なんです。ただ近年では琵琶湖の開発やほ場整備事業によって、田んぼと水路の間に落差が生まれ、魚がのぼる魚道がなくなってしまいました。何より農薬、除草剤の影響で田んぼそのものが、魚が暮らすことできない環境になってしまったのです」

石津さんの田んぼになぜ今も魚がのぼってくるかといえば、徹底した無農薬、無化学肥料の米作りを実践しているからだ。

かつて琵琶湖畔の田んぼは子どもたちの遊び場でもあった。左嵜さんは、祖父から田んぼで鮒をとる「にわか漁師」がいたと聞いたことがある。

「鮒寿しの原料となる二ゴロフナは、普段は琵琶湖の水深30メートルの場所に生息しているのですが、春になると産卵のために接岸し、浅瀬で産卵をするのです。今はこの地域でも石津さんの田んぼでしか見ることできません」

希少な滋賀旭は収穫量も少ない。石津さんは他にミルキークィーンやいのちの壱という品種を栽培しているが、契約栽培なのでその年の新米は常に完売状態だ。ただ一部の品種は通信販売にも応じてくれる。また米はもちろんだが、その米を原料とした「お餅」がすこぶる旨い。毎年、年の瀬になると全国から餅の注文が殺到するという。

お餅

琵琶湖湖畔で10代にわたって家業として農業を続けている石津さんも、実は魚治の鮒寿しに出会って、その旨さと奥深さに開眼した。そもそも、この地方で鮒寿しというのは、ある時代までは家庭の味だったそうだ。

「春先になると琵琶湖で穫れたニゴロブナをもらって、自宅で漬けていたのです。自家製とは聞こえはいいですが、いわば放ったらかしですよね。発酵食品なので物によっては、鼻の曲がるようなキツイ臭いもする。決して得意な食べ物ではありませんでした」
確かに「鮒寿司」は「臭い」という先入観があるが、魚治のそれは違う。いったいどんな作り方をしているのか。いよいよ被災を免れた魚治に鮒寿し作りの現場にに足を踏み入れるのだった。

料理

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針江のんきぃふぁーむ

公式サイト

文:中原一歩 撮影:海老原俊之

中原 一歩

中原 一歩 (ノンフィクション作家)

1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。