舌先にちょこんと乗せた鮒寿し。なぜそれがこんなにも刺激的な旨さを伴うのか。鮒寿しが出来上がるまでの工程をたどってゆくと、それは海津の気候風土とこの地に暮らす人々の生活の集大成であることが分かる。余韻の中から立ちのぼる、澄み切った味わいが酒を呼び、ふと時を忘れる。
箸先に鮒寿しをちょこんと乗せて口に含む。途端にヨーグルトを彷彿とさせる仄かな酸味が広がる。この瞬間、何ともいえない「郷愁」がよみがえる。それは単に「私」だけの舌の記憶ではない。その正体はいったい何なのだろうか――。
鮒寿しの原料は「米」と「魚」と「塩」――これに尽きる。その起源は東南アジアのタイ北部から、中国雲南省にかけての地域に伝わる「熟れ寿司」で、魚を塩と炊いた米とで漬け、乳酸発酵させた保存食だ。平安時代に編纂された「延喜式」という書物に、鮎や鮒を使った熟れ寿司が登場する。この「熟れ」文化は今からおよそ1500年前、稲作文化と同じルートで大陸から日本に伝わったのだ。
鮒寿しの仕込みは春。普段は水深30メートルの湖底に生息する琵琶湖固有種のニゴロブナが、産卵のため湖畔の浅瀬に大群をなしてやってくる。今日のように護岸整備されていない時代、雨で増水すると、湖と田圃をつなぐ水路を伝って、大量のフナが田圃でバシャバシャと産卵をした。今こそフナを獲るには「刺し網」を使うが、かつては田圃に迷い込んだフナを農家の子どもたちが手づかみで獲っていたのだそうだ。
「ニゴロブナは『イヲ』と呼ばれます。フナが産卵のために遡上してくるさまを、水面が山のように盛り上がって見えたことから『イオ島』とか『魚島』と呼ばれていました」
4月中旬。海津街道沿いの桜並木がそれは見事な満開になる頃、左嵜家は一年でもっとも忙しい時期を迎える。この頃、仕込み場となる台所にはフナの臭いが漂っていた。太公望なら分かるが、フナは魚体にヌルと呼ばれる淡水魚独特のぬめりがあり、鼻が曲がりそうな悪臭を放つ。しかし、魚治の台所にはそんな悪臭はなく、むしろ海津のフナは独特の甘い匂いがした。同じフナでも水質や環境などで香りは違うというのは新鮮な体験だった。台所では従業員が忙しく手を動かしていた。刺し網で獲れたフナはうろこを落とし、えらを抜き取る。そして「抜き針」と呼ばれる釘状の道具を使って、浮き袋と内臓だけをその先に絡ませて抜き取るのだが、その作業の手際の良さに見入ってしまう。この時期のフナは刺身にして食べると、鯛にも劣らぬ美味だと左嵜さんは胸を張る。
「鮒寿しの価値は卵の部分にあります。それを傷付けないように細心の注意を払います。内蔵を抜き取ったフナをよく洗い、えらの部分に塩を詰め込んで塩とフナとを交互に、桶の中に敷き詰めていきます。そして重石を乗せて夏の土用の頃まで寝かせるのです。こうすることで、魚の水分が抜けたカチンカチンの塩漬けの状態になります」
この塩漬けのフナは一度取り出し、水洗いされる。その後、今度は炊き上げたご飯をえらに詰め込んでゆく。そして、ご飯とフナとを交互に桶に敷き詰め、最後に重石を乗せる。この時、雑菌が入らないように最上部に水を張り、完全に密封する。あとはこのまま2年間、蔵で寝かせるのだ。これを「本漬」と呼ぶ。鮒寿し作りの主役は桶の中で乳酸発酵を促し、働いてくれる微生物なのだ。
「かつては各家庭で鮒寿しは漬けられていました。原料は変わらないのに全く味が異なるのは、その家々につく乳酸菌が違うからです。私たちはこれを『蔵持ちの菌』と呼んでいます。私の仕事は、その菌がよく働いて乳酸発酵が進むように、毎日、水を替えたり、重石の重さを調整するなど蔵の環境を整えることに尽きるのです」
フナを漬ける樽が並ぶ蔵は、当代の当主以外は立ち入りを許されていない。左嵜さんは、その日の気温、湿度、天候に気を遣いながら、樽に張った水の濁り加減など些細な変化に目を凝らす。樽の中は覗くことができない。だからこそ開封するまでその出来は分からない。だからこそ五感を研ぎ澄ませる。けれども不思議なもので、この蔵には何か気配を感じるという。こうした日々の「守り」を経て、鮒寿しは2年目の冬、新年に開封される。かつて鮒寿しは家族や親類が集まる正月に食べる「ハレの日」のご馳走だったのだ。
改めて魚治の鮒寿しが出来上がるまでの「時」に思いを馳せる。海津は冬になると多い年には膝上まで雪が積もる。鮒寿しの蔵は身が切れるほどの寒さだ。この「寒」に耐えてこそ、魚治独特の奥行きのある澄んだ味になる。そのどこか切なくもなつかしい余情は、海津の気候風土と左嵜さんら人の手が作り出す。
この鮒寿しはそのまま食べても、もちろん旨いが、左嵜さんは鮒寿しを小イワシを塩蔵熟成させたアンチョビーや、能登半島に伝わる魚醤(いしる)のように、それそのものを「食材」と考えることで、新たな世界が広がると考えている。その逸品が夕食にも登場した、鮒寿しを漬け込んだ「飯(いい)」をチーズに見立てた「鮒寿しのクリームパスタ」だ。
「発酵した飯の酸味に生クリームが実によく合うんです。挽き立ての黒胡椒がアクセント。これには日本酒よりもワインですね」
パスタを食べ終わる頃、左嵜さんが目の前の炭火で炙ったバゲットをくれた。これで皿に残ったパスタソースを余すことなく拭って食べるのだ。これが大正解。バケットの香ばしさが抜群の相性をみせる。再び、白ワインをぐびり。余韻の中から立ちのぼる、その澄んだ味わいが心を満たす。
江戸の昔から続く魚治の鮒寿しを食べる度に、どうかこのまま先人たちが生み育んできた風格あるその味を、今後とも堅持して未来に伝えて欲しいと切に願うようになっていた。
鮒寿しを食べた時に感じるあの「郷愁」の正体は、人間が進化の過程で口にしてきた食べ物の記憶の中に、この「熟れ」に近い味の何かがアーカイブされているからに違いない。鮒寿しは古くて新しい味覚なのだ。いささか大仰な言い方をすれば、その「永遠性」と「現代性」が私たちの舌を刺激し、胃袋を激しく揺さぶるのである。
文:中原一歩 撮影:海老原俊之