吉祥寺「BAR WOODY」は、うまい酒と店主のあたたかい人柄から、バー好きに長く愛されてきた。そんな名店も休業状態が続いている──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第六回は、バーを中心とする人と人との関係性を考えます。
吉祥駅北口から歩いて5、6分。吉祥寺通り沿いのビルの3階に、「BAR WOODY」はあります。この場所に店を開いたのは1999年5月。オーナーバーテンダーの田中雅博さんは、ひとりで切り盛りしてきました。うまい酒を飲ませようという実直な姿勢と、親身になって人の話を聞く人柄が愛されて、地元のみならず、わざわざ電車を乗り継いで訪ねてくれるバー好きのお客さんも少なくない。
しかし今、その居心地のいいバーには、ひとりの客の姿もない。酒の提供禁止は4月25日から6月20日。その後、6月21日から7月11日まで時短営業が解禁されたものの、7月12日からまた酒提供禁止。そして本稿の公開直前に、9月末までの再延長が決まった。21年と4ヶ月の店の歴史の中で、こんなことはなかった。休業を余儀なくされたオーナーバーテンダーは、今、何を思うのでしょうか。
暑さ、寒さの厳しい季節以外なら、午後3時には通りに面した窓が開いている。1階に入っているパン屋さんの前から見上げると、それとわかる。ビルの狭い階段を上がれば、店の扉も開けてあったりする。店内には気持ちのいい風がかすかに流れる午後3時。通常ならば開店の時刻だが、今は、完全休業中だ。
田中さんは毎日、店に足を運んでいるという。
「最初の緊急事態宣言のときから、とにかく生活を変えてはいけないと思っていました。私はこの仕事のわりに朝が早いので毎日10時には店に来ます。営業しているときなら、3時に開けて、ラストオーダーが10時半。閉店は11時です。定休日はないんですよ。不定休でお休みはいただきますが、年間で30日は休まないですね。店を始めて21年とちょっとですが、ずっと」
ぽっかりとできた時間。毎日のリズムを変えないために朝から店へ出た田中さんは何をしていたのでしょう。
「日ごろはそんな時間はないけど、店を休んでいると、とにかく暇です。時間がある。本来なら贅沢なことなんだけれど、どこかへ出かけるわけにもいかない。それで、隅々まで掃除をして、酒のボトルを磨いて。すると、もう、やることがない(笑)。カウンター席に座ってバックバーを見上げてね。時間が重たいんです。昼も夜も簡単なものをここでつくって食べるんですけど、夜なんかは、酒のアテみたいなものをつくってみて、店で出したらどうか、と考えて。カナッペみたいなものとか、ひと口つまみの類ですね」
この店は、酒の店です。軽いつまみは出すが料理まではいかない。それでも田中さんは自家製の燻製をこしらえたり、小腹のすいた客にはホットサンドをつくってくれたり、気の利いたものを出してくれる。逆に、ナッツ類ひとつをとっても、いい加減なものは出さない。酒類提供は午後7時までという条件がついたときには、こんな配慮もした。
「7時までに酒を出し終えて、それを飲んだら8時までに店を出てもらうということですよね。お仕事の後に来ていただけるお客さんは、何も食べずに来ても到着が6時半くらいにはなります。それから大急ぎで飲んで、店を出たとして、8時には飲食店は閉店ですから、外ではもう何も食べられない。だから、あのときには、お蕎麦とかパスタとかさっと茹でて出してました。蕎麦は乾麺ですよ。それを茹でてチューブのわさびと蕎麦つゆでぱっと食べていただく(笑)。気を遣ったお客さんが、来るときに乾麺買ってきてくれたこともあります(笑)」
田中さんは笑って話すが、客は8時に帰ってしまう。3時から開けていても、メインであるウイスキーやカクテルの出る時間帯には、店を閉じなくてはならない。しかし、田中さんが恨み節を口にすることはない。
「緊急事態で休業して、その後で時短になったときには、 中央線や井の頭線沿線だけじゃなくて、小田急とか東急のほうの沿線からもお客さんが来てくれました。私らは、お客さんあっての商売。お客さんが自分の店を選んで来てくれることが、何よりの幸せだったんだと気づきましたね。でも、お客さんからしてみたら、次に行ったときに店がなくなっちゃったら困るという思いもあったのかもしれません。実際、コロナをきっかけに、もうテナントとしての賃貸契約の更新をしないことにした同業者とか、ありますからね。ときどき、ふっと、そういうことも考えますよ」
最初の緊急事態宣言から、もう1年と5ヶ月が経とうとしています。今年に関して言うと、3回目の緊急事態宣言が発令された4月25日から、今回の緊急事態の終了予定である9月末までの159日のうち、酒場が酒の提供を禁止されたのは138日に及びます。政府は11月には酒場で飲めるようになると言いますが、あてになるのか、どうか。総選挙が10月で、11月から酒も飲めます旅行にも行けますと言われても、本当にそうなんでしょうか。
「先のことは、ちょっと、わからない。相談する人もいませんし。じゃ、酒でも飲むかって、ボトル眺めながら思ったりするんですよ。通常営業の頃は、夜も少し遅くなって常連さんだけになると、私もカウンターの外に出て一緒に飲んだりしていたんですよ。でも、それはやはりお客さんと一緒です。営業中ですから緊張もしている。だから、酒もうまいんでしょうね。だけど、ひとりでここに座って、さて、飲むかと思っても、本当に袋小路に入り込んじゃったみたいでね。酒も、うまくないし。やけ酒気味になると、ぐいぐい飲めちゃうけど、今度は酔わないしね」
この気持ち、酒好きの人ならわかるはず。酒場好きならきっとわかる話。客からしてみたら、出かけていって飲むからうまい。家で、ひとりで飲んでもつまらない。おいしいカクテルを仮につくることができたとしても、うまくない。バーで飲む酒はなぜ、うまいか。それは、バーで飲むからなのです。
「あまり、タラレバでものを考えないようにしているんですけど、もし、この店をやめたら、オレはどうなるんだろう、って思う」
田中さんは今、59歳。自身もよく飲み、かつ、数々の呑ん兵衛たちをさばいてきた田中さんも、来年は還暦なのです。
「何ができるか。お金をいただける仕事って考えると、実は、今の仕事しかない(笑)」
そう笑いながら田中さんは、今できることをやるだけですとも言う。
「カクテルの練習、研究ですね。たとえばサイドカーというカクテルで、どうしたらもっとブランデーのコクを出せるか、オレンジ感をつよく出せるかを考える。お金をいただいている以上、今でも及第点のカクテルをお出ししているとは思いますが、それでも、なかなか100点はとれない。どうしたら、100点になるか」
なるほど、これがカクテルの研究なのです。ただ、うまい、うまいと言っているだけではわからない努力が、必ずある。田中さんのひと言が、改めて気付かせてくれる。
「うちのハイボール、うまいんですよ」
営業休止中だから出せないが、この店に来るのは初めてという取材スタッフのひとりに、田中さんは冗談交じりに言うのですが、それも日ごろの研究あればこその話です。
店には、ハウスワインならぬ、ハウスウイスキーがあります。ニッカとサントリー。これで水割りやハイボールをつくるのですが、ニッカはブラックニッカをベースにニッカウヰスキーを何種類かブレンド。サントリーの場合は、角をベースに、サントリーウイスキーを何種類かブレンドするという、いずれもオリジナルです。そして、たとえば1杯のハイボールを、田中さんは実にていねいにつくる。ああ、これは、普通の「角ハイ」じゃないなと、角ハイに目のない人にもそう思わせる、1杯に仕上げるのです。
そんな田中さんが今、酒をつくれない。酒を供することを禁じられている。それでも、田中さんは、もう、これ以上は、不安を口にしないのです。
「お客さんからメールをいただくんですよ。おいしい弁当を買っていくから一緒に食べないかとか、お酒はなしだけど、今日は、近くでランチしませんか、とか。嬉しいですよ。本当にありがたい。それから、若い人のほうが、長いメールをくれたりします。お酒飲めないけど、ちょっと顔見に行っていいですか、なんて書いてきて、本当に、わざわざ様子を見に来てくれたり。若いんですよ。平成生まれ。いいですね、平成生まれ(笑)。僕はゴルフも釣りもやらないから、以前から休みの日に何人かで集まることはないんですよ。でもその分だけ、ひとりひとりとの関係が濃いのかもしれない。1対1の関係ですね」
心根のやさしいバーテンダーに、やさしいお客さんがついている。みんなで集って大いに語らうことはできなくても、会えない今も1対1でつながっている。酒場本来の姿なのかもしれません。
来るべき営業再開の日に、どんな言葉をお客さんにかけますか。そう問うと、田中さんはしばし考えて、こう言った。
「何回も休業したのに、よく来てくれたねって、口をついて出ると思う。会えてうれしいよと。それが本心なんですよ。わざわざ、ここまで、よく来てくれましたね。そう言いたいです」
その目は、友達を、あるいは、弟や妹を、ときには信頼を寄せる先輩を見るときのように、やさしいだろう。ひょっとしたら、薄く、涙を浮かべているかもしれない。
*緊急事態宣言中は休業。最新の営業状況は店のHPなどで確認を
文:大竹聡 写真:衛藤キヨコ