市場には、数は売れないけど欠かすことのできない職人の道具がある。豊洲市場の文化団体「銀鱗会」の事務局長である福地享子さんが、2018年11月までdancyu本誌で執筆していた「築地旬ばなし」の転載です。
最近、「築地市場の道具の保存収集」のお手伝いをしている。大はボックス型の帳場やターレット、小は貝むき包丁までとかなりの種類。といっても、私には飽きるほど見なれたものばかり……、のつもりだった。
たとえばエビ屋さんが水槽に泳がしたクルマエビを柄つきの金ザルですくっている。そりゃすくうにはザルでしょ、ぐらいに見ていた。お手伝い役として、初めてしげしげと眺めてみれば、ザルの先端が一直線になっている。これがミソらしく、角型の水槽のヘリに逃げたエビも一直線のおかげで難なくすくえるのだった。丸だとこうはいかない。
金ザルの考案者は、場内にある「服部金物店」の先々代、服部益太郎。築地市場開場まもないころである。神田の金物屋に生まれた益太郎は、腕のたつ金網職人で働き盛りのお年頃。針金でカゴやザルを器用に編んでは、場内の水産仲卸におさめていた。そんなある日、エビ屋の注文で編んだのが先端一直線型の金ザルだった。すでに「すくい玉」と呼ぶ丸型の金ザルがあり、それを改良しただけだが、エビ屋にとっては重宝このうえない。以後、エビ屋必須の道具となっている。
だけど、服部金物店の店頭でこの道具を見ることはない。通りすがりの客が買うような品ではないし、数も売れない。そもそも職人というもの、ひとたび自分の手になれた道具は、おいそれとは手放さないものなのだ。修理に修理を重ねて、とことん使う。服部金物店でも補修をやっているが、河岸引けのあと、水仕事でむくんだ手で金網を繕う姿を私も何度か見てきた。これじゃ、売れっこない。だけど、職人が必要とする限り、欠かすわけにはいかない。売れなきゃとっとと製造中止の時代にあって、職人が使う道具は息が長い。築地市場の仕事をささえてきた道具たちの小さな物語にちょっとシンミリしながら、道具たちをたずね歩いているとこだ。
文:福地享子 写真:平野太呂
※この記事はdancyu2016年10月号に掲載したものです。