魚の顔には、それぞれの魚の特徴が現れると福地さんは言う。豊洲市場の文化団体「銀鱗会」の事務局長である福地享子さんが、2018年11月までdancyu本誌で執筆していた「築地旬ばなし」の転載です。
記録のために魚の写真を撮ることがある。記録だから全体像だけでいい。なのに、なまじカメラマンさんの仕事を見る機会が多いので、野心ムラムラ。「オゲイジュツ」を、などと。気がつけば、顔ばっかり。ピントはぼけ、「オゲイジュツ」が号泣しているが、だけど魚の顔はおもしろい。生きざま、すべてここにあり、なのだ。
群れをつくるイワシは、おおぜいで暮らしているせいか、なんとなく落ち着かない顔立ちだ。深い海にすむキンメダイは、浅海よりも環境が安定しているためか、おっとり。タイの顔は威厳があり、さすが魚の王というだけのことはある。
好きな顔、というか思い入れが深いのは、たとえば今が旬のタチウオ。彼には、ウロコがない。まぶしいばかりの銀の色におおわれた体表を包丁でこそげてみれば、銀箔、いや漁師さんたちはズバリ「箔」と呼んでいるものが、刃先に層となってこびりつく。箔は、模造真珠の材料になったというが、なるほどである。でも、そんなもん、ウロコに比べたら、どんだけの威力があるってか。海という戦場に、よろいやかぶとなしで放りだされるようなものだ。
だから、彼の形相はすさまじい。頬はそげ、まなざしはきつく、口には牙の行列である。それは、キリのように固く鋭い。私は不注意から何度か傷を負わされた。手の甲を真一文字に裂かれた切り口は。「あっぱれ」としか言いようがなかった。剣一筋に世の中を渡る素浪人の顔。ちょっとニヒルで、といいますか。こんな男、いないですかねえ、現実に。
よって名前の由来は、銀の一振り、太刀ゆえに、としてほしい。漢字で書けば太刀魚。立って泳ぐからタチウオと言う説もあり、たしかに立ち泳ぎが得意だけど、それじゃお顔が泣くってもんだ。人間よりも、魚のほうが「顔」で生きている。魚の顔好きには、そう思えてしかたないんだけど。
文:福地享子 写真:平野太呂
※この記事はdancyu2015年9月号に掲載したものです。