呑ん兵衛たちが集う、赤羽。そのランドマークといえよう名酒場「まるます家」も、酒場営業を休止して久しい──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第三回は、家族一丸となってこの危機に立ち向かう姿に迫ります。
酒の提供を禁じられた酒場は、今、どうしているのでしょうか。完全休業、アルコール飲料なしでの営業、あるいはまた別の独自路線か。各店ごとに規模も立地も経営環境も理念も異なるから、各店ごとに異なる考え方があって当然ですが、我ら酒好きたちからすれば、とにもかくにもお店のみなさんに元気でいてほしい。なにしろ「緊急事態」が長すぎる。呑ん兵衛たちも長引く自粛生活で喉ばかりか心までカラカラに渇いている。
そこで、dancyuは休業中の酒場を訪ねて、酒場の人々が今、どんなことを思い、来るべき再開の日に備えているかを伺うことにしました。懐かしい顔を見て、話を聞いて、ひとまず、心の渇きを少しばかり癒そうというわけです。
「がんばれ酒場・応援シリーズ」第三弾は、“赤羽といえばここ”と、多くの呑ん兵衛が太鼓判を押してくれるであろう名店、「まるます家」にお邪魔をいたします。昭和25年創業の老舗は、今、コロナ禍という未曽有の危機に、どう立ち向かっているのでしょうか。お話を伺いましたのは、二代目ご主人の石渡勝利さんと、長女で総務・広報担当の松島和子さん。総本店2階のお座敷で話はスタートします。
和子さん「緊急事態宣言が出た去年の4月から店を閉めて、再開したのは10月でした。それから営業時間を短くし、2階のお座敷は閉めて、1階だけで、席の間隔を開けて営業をしてきました。そして、今年の4月25日からは店内営業はやめて、テイクアウトのみにしています」
昭和30年に建った現在の本店は、四辻の角にデンと構える、風格ある二階家だ。コの字のカウンターがふたつに、テーブル席もある1階と、大きな座敷になっている2階を合わせて、コロナ前までは、もっとも多くて80名の客を一度にもてなした。コロナ禍に入り、1階のみで営業していた時期には多くて30名。時短営業に加えて、席数も大幅に絞ることになった。
和子さん「お客さんとお客さんの間にアクリル板を立てました。入店時には検温と手の消毒。お帰りになった後は、テーブルも椅子もアクリル板もすべて消毒してから次のお客様に備えますから、1階が満席だったときと同じくらいか、むしろ、もう少し余計に手間がかかったかもしれません。それでも、なんとか営業ができた。今年の春になって、ゴールデンウイークあたりから忙しくなると期待していた矢先に、再度の緊急事態宣言でした」
1年前と同じところへ戻ってしまった。これではラチがあかない。感染症はいよいよ拡大し、無理をしたところで、店にも、お客さんにもリスクになってしまう。人と人が集うのはダメ、というのが、やっかいなところです。ここは、行政の指示に従い感染をどうにかして抑えてくれることに期待するしかないわけです。
和子さん「私も、妹たち(ふたりの妹さんも一緒に店を切り盛りしておられます)も、去年、コロナが騒ぎになった当初は、数ヶ月で終わるだろうと思っていたんです。でも、父だけが、1年じゃ収まらないぞ、ここは原点に帰ろうと言ったんですね」
父親の勝利さんは、店の二代目。昭和18年生まれで、昭和25年の「まるます家」創業の年に小学1年生だった。警察、消防、国鉄、印刷会社、ガラス工場、タクシー乗務員に、夜の商売の人々など、朝、仕事が終わる人のために早朝から店を開け、酒を出し、肴を出した「まるます家」の空気を吸って成長し、後に経営もしてきた。今回のコロナ禍に何を思ったのでしょうか。
勝利さん「私は多いときには30人からの従業員と一緒に働いてきましたが、でも今は、そういう時代ではなくなった。100年、200年と続く店はみな内々でやっている。家族でやっている。だからこの店も、内々だけでやれる範囲でやることにしようと、そう思ったんですよ」
和子さん「今年の6月にいったん緊急事態宣言が解除になったときも、家族で店内営業再開の相談したのですが、父は、反対でした。オリンピックが終わるまで、先行きはわからないし、たぶん今より悪くなるから、中途半端に再開しないほうがいい。そう言ったんです。それで営業再開はせず、結局、4月から今まで、テイクアウトのみにしてきました」
勝利さんは両親が苦労して店を大きくしていった時代を目の当たりにしている。20円のイカフライで、1杯20円の焼酎を2杯飲む。それを楽しみしているお客さんを大事にした先代が、鯉料理に目をつけ、また、高級食材である鰻を商売の核として店を繁栄させた一部始終を学んでいる。高度経済成長期もオイルショックも、バブル景気もその後の大不況も、みんな、この「まるます家」で経験し、記憶にしっかりととどめてきた。そうした経験値から、勝利さんは、商売の先行きを、読むのです。
勝利さん「先代の頃だよ。日本酒を裸瓶で売っていたの。ガラス製で、正味で1合入ってるのが外からちゃんとわかる瓶ね。あれで、お客さんはひとり3合くらい飲む。それでね、1日に400人くらい客が来たんだな。あのときは日本酒を1石売った。1石ってのは、10斗だ。100升。1升瓶で100本だよ。つまみは塩昆布とか塩豆なんかも用意して酒だけ飲みたい人も満足させる。先代は呑ん兵衛の気持ちがわかる人だった。人の思いとか、街中のこと、色街のことまで、全部父親から学んだな」
そんな勝利さんは、先代が亡くなると二代目として店を経営した。鰻や鯉をさばいたり、店番もすれば洗い場にも立った。そうして、本店のみならず宴会場も開き、商売をさらに繁盛させるが、難しい時代もあったといいます。
勝利さん「バブル絶頂期は、みんな高級店へ行くからウチは暇だった。売上も落ちてね。ただ、酒場の売上が落ちても、鰻でカバーできた。鰻を一生懸命やっておいてよかった(笑)。そしてバブル崩壊後は、客が戻ってきました。会社の経費じゃなく自分の小遣いで若い人に奢らないといけない人がやってくる。バブルを経験して、舌が肥えてるから、下手なものを出せない、いいものを出さなくては、と考えました」
たとえ利幅が薄くても、いいものを出す。それが「まるます家」の方針だ。「まるます家」の鰻は、かば焼きなら大きさによって2,300円と2,800円。お弁当にしても2,500円と3,000円。安いのである。テイクアウトメニューには、カブト焼き、肝焼きのほか、鯉のあらい、鯉のうま煮、牛筋煮込み、たぬき豆腐、ジャンボメンチカツ、なまずの唐揚げ、イカフライに里芋の唐揚げなどなど、日ごろ、店内で楽しめる品を用意していて、いずれも、懐にやさしいのです。そして、うまいのです。
近年、鰻の仕入れ値が上がっている。けれど、「まるます家」は値上げをしない。他所が高い値段をつけなくては回らないとしても、うちはその分、お客さんに還元しよう。うまい鰻を安く食べてもらおう。利幅は減っても、その分、数を売ればいい――。創業71年の老舗には、お客さんに感謝する気持ちが、受け継がれています。お客さんで儲けよう、とは思わない。
和子さん「祖父母や両親、その時代に店にかかわった先輩たちが残してくれたものをしっかり受け継がないといけないと思っています。だから今は、お酒を出せないなら、店頭販売で頑張るしかないと思います。そこでも、やっぱり、鰻によって救われたところはありますね。あと、コロナの少し前から、Twitterをちゃんとやらなきゃって思っていたんですけど、その頃のフォロワーが3,000人で、今は、コツコツと情報発信していたら、6,000人くらいになりました。興味を持ってくださる方はいらっしゃるんですね。だから、みんなの記憶から忘れ去られないように頑張らなくちゃと思っています。出かけても店内で飲めないんじゃしょうがないと思われちゃうのは、ちょっとねえ。でも、週末などに、手土産をもって様子を見に来て下さるお客様もいらっしゃるんです」
これぞ本物の常連と思える見上げたお客さんのことを、和子さんは教えてくれました。
和子さん「普段は、ジャン酎(註:アサヒのハイリキ・プレーン1L瓶。ジャンボな酎ハイの略)とおつまみ1、2品という常連の兄さんがいるんですけど、店内営業を休むようになってからは週末に来て、鰻を買ってくれる。それなりの値段ですから、たいへんじゃないかなと思って聞いたら、『毎週ここで飲んでた金額を考えたら全然大したことないから』って、そんなふうに言ってくださったんですよ。ああ、本当にありがたいなって、思います」
これこそ、本当の意味で、いいお客さんの鑑ではないでしょうか。和子さんが続けます。
和子さん「電車賃を使ってわざわざ買いに来てくれる人もいらっしゃる。そういうお客さんに、何をお返しできるかなと考えて、元気でいらっしゃいますか、最近どうですか、って、普段飲みに来ていて顔のわかる人には声をかけて会話をするようにしています。今できることは、そうやって、関係をつないでいくこと。それしかないなと」
私たちが訪ねた日は、8月15日。終戦の日でしたが、1階の店頭販売コーナーには、お客さんの姿が絶えません。ひとり去ったかと思うと、また次のお客さんが来る。そんな感じです。
店には二代目の石渡勝利さん、奥様の宏子さん、長女の松島和子さん、次女の石渡利子さんと夫の博幸さん、おふたりのご長男の龍之介さん、そして三女の塩川玲子さんが勢ぞろいしてくれました。店の内外に、鰻のいい匂いが流れている。けれど、店内カウンターにはひとりの客の姿もなし。
このまま1杯やりたい。ジャンボメンチカツをつまみにジャン酎でもいいし、鰻のかば焼きで日本酒というのも捨てがたい。店のみなさんの笑顔も最高だ。ああ、一刻も早く、このカウンターで飲みたい――。そんな気持ちがふつふつと湧いてきます。
再開の日に、お客さんを何と言って迎えるか。最後に聞いてみました。
利子さん「去年の10月に開けたときは、『お待たせしました』って感じでしたけど」
和子さん「そうそう。今年はなんだろう。『忘れないでいてくれて、ありがとう!』かな」
利子さん「『覚えてますかー?』って。そんな感じ?(笑)」
いいですねえ、底抜けに明るい。今から再開が待ち遠しい。訪れる側とて最初のひと言は大事でしょう。ここはもう、噛まずにしっかり声を張って言いたいものです。
「営業再開、おめでとうございます。これからもよろしくお願いします!」
これで、決まり。あとは、飲むべし、食らうべし――。再開の日よ、早く来い!
*緊急事態宣言中は店内営業休止、テイクアウト販売(11:00〜19:00)のみ。最新の営業状況はTwitterで確認を。
文:大竹聡 写真:衛藤キヨコ