鮨屋で新子を見かけるころ、スミイカの赤ちゃんも登場する。豊洲市場の文化団体「銀鱗会」の事務局長である福地享子さんが、2018年11月までdancyu本誌で執筆していた「築地旬ばなし」の転載です。
魚でも野菜でも、大きいほうに手をのばす。これ、人間の本能。でも、そんな道理なぞ、どこふく風の魚がいる。たとえばシンコ。今年も、メダカサイズの初値、キロ10万円近くでみなさまの度胆を抜いたのだった。
このシンコに続いて登場する不条理のイカがいる。スミイカの赤ちゃんイカである。スミイカに限ってのことなのである。ほかのイカは、断固、お呼びじゃない。不思議でしょ。
そもそも生まれたばかり、すべからくはシンコ(新子)なのだが、まぎらわしさを避け、新イカと呼んでいる。成長すると、甲の大きさで手のひら大になるが、写真の通り、ちっこくたって、初値のお値段ときたら、キロ万単位だ。
チビスケが喜ばれるのは寿司の世界に限ってのことだが、そこには理由がある。
「オヤ、新イカかい。ああ、秋だねえ」
などと寿司屋のカウンターで、そんなつぶやきがこぼれる。寿司に握れば、胴のとこ1枚で1カンの新イカ。イカ特有のねっとりした甘さには欠けるが、初々しさのある歯触りが初秋のさわやかな気配を感じさせる。
と、まあこんな感じかしら。
遠方からヤリイカにシロイカにといろんなイカが入荷する今と違い、一昔前、寿司のイカといえば、東京湾のスミイカだった。東京湾で新イカが獲れるのは初秋。やがて凍てつく寒さを迎えると、身はむっくり厚く、甘みが増してくる。季節の移ろいとともに変化する味わい。新イカは、イカのシーズン始まりを告げる晴れがましい役どころにあったのだ。
今、新イカの始まりは、7月。熊本県や鹿児島県からの入荷で早まり、東京湾だけ、というかつての姿は消えた。しかし、すごいのは新イカの役どころは失われていないこと。伝えていく寿司力の偉大さよ。不条理ったら下向いちゃってる。
文:福地享子 写真:平野太呂
※この記事はdancyu2015年8月号に掲載したものです。