サワー発祥の店としても知られる、祐天寺「もつやき ばん」。人気の名酒場もまた、コロナ禍の影響で長らくの休業や時短営業を余儀なくされた──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていく、ルポルタージュ連載が始動します。
最初の緊急事態宣言が発出されてから1年と4カ月。酒場をはじめとする飲食店は、営業時間短縮や酒類提供禁止の要請を受けてきた。酒場に酒を売るなというのは、つまり、休業要請だ。この苦境を、酒場はどう生き延びているのか。これは酒場だけの問題じゃない。酒場を愛し、人々が集って語り合う場を大事にしたい客たちにとってもとても大事な問題。行きたいのに行けない酒場。会いたいのに会えないあの店主、従業員、そして酒場でだけ顔を見る常連さんたち。みんな、どうしているんだろう。気になって気になって仕方がないというのが、酒場好きの心持ちというものでしょう。そこで、dancyuは、この苦境をしのぐ酒場を訪ねて、今、どうしているのか。どんなことを考えているのか。そんなことを伺ってみることにいたしました。居酒屋、バー、もつ焼きに小料理・割烹……。店の規模もさまざまに、“名店の今”をレポートしていきます。
最初にお邪魔いたしましたのは、祐天寺の「もつやき ばん」。飲み屋さんの好きな人たちにはよく知られたこの名店を訪ねたのは、8月10日のことです。
店主の小杉潔さんは、実兄が長く経営した老舗をいったん閉店した後を継いで、2005年に現在の店を開いた。扱うのはもつ焼き。ほかにも名物の煮込みや豚尾(トンビ)、レバカツなどの揚げ物と、つまみは幅広い。しかし、なんといっても、こちらの代名詞は、“サワー”だ。キンミヤ焼酎と氷と、炭酸、生レモン。ワンセット頼むと、焼酎と氷の入ったジョッキと生レモン1個、そしてプレーンソーダが供される。絞り皿でぐいぐいとレモンを搾る。レモン半個分の汁をジョッキに注いだら、後は、ドボドボとプレーンソーダを注いで完成。これが、うまい。いける。抜群だ。祐天寺まで来てよかった、と最初の1杯で思わせる。
だから、多くのお客さんに長く愛されてきた。小杉さんのお兄さんが店を開き、焼酎の炭酸割りを“サワー”と命名し、そこにレモン果汁をたっぷり注いだこの1杯を開発したのは、いわゆる日本の高度成長期のこと。今の若き飲み手たちのお父さんお母さんの、子供時代のことなのでありますが、今も変わらずこの1杯が愛されるわけですから、「ばん」のレモンサワーはざっくり言って半世紀以上人気を保っている化け物カクテルなのであります。
店は連日満員。ときには混みすぎてどうにも窮屈、というくらいに賑わうが、そこがまたこの店の楽しいところ。平日は午後4時にオープンするのだけれど、そこから夕方早い時間までは、比較的年配の常連さんが多い時間。仕事終わりの方々が来る時刻となると、その年齢層が下がってきて、午後8時、9時くらいになると、なんと若者で賑わったりもする。
本店が流行り、隣の物件に新店(2号店)を出す。両店のメニューはまったく同じだが、お客さんの中には、本店が好みの人や、新店にばかり行く人もいらっしゃるとか。
「ばん」は、客数が多い。だからこそ、時短営業や休業を余儀なくなれるコロナ禍の影響は、決して小さくないはず。では、どのように対応してきたのでしょう。
「うちは、ずっと法令順守です。昨年の4月の緊急事態から、休まなければいけないときは休業してきましたし、時短要請にも対応してきました。だから今は、完全休業ですよ」
お休み中の店に出てきてくださった小杉さんは、あっさりとそう言った。もう少し恨み節が出るかと思っていたのが、拍子抜け。さらっと言ってのけるのです。
「天災という感じですね。コロナは、どうしようもない。まあ、人災の面もあるんだろうけれども、他の誰かがやって、もっと悪くなっていたのかもしれないし、時短や休業要請については協力金もあるから。あれだけでもだいぶ違うんですよ。まあ、支給は遅いけれどね」
「ばん」では、本店と新店両方で、売上高によって決まる協力金を受給している。これで、アルバイトや従業員の給料も払っているという。
「従業員の給料、家賃、水道光熱費、衛生費、雑費、いろいろ払うと、ゼロかマイナスになる。私はだから、給料は取りません。でもね。なんとか食べてはいける。それで充分。日本が戦争に負ける2年前に僕は生まれているんです。その頃も戦後も、食べるものがない。そんな時代だった。今は、食べるものも、着るものも、住むところもある。戦争に行って命の危険を冒すこともない。だからね。まあ、食べていければいいと。夢がないのかなあ(笑)」
この日、新店を切り盛りする方艶(ホウエン)さんと、本店を仕切る平野正さんも、お話を聞かせてくれました。方艶さんは中国のご出身で日本の大学も出ていて、とてもきれいな日本語を話す。店では“エンちゃん”と呼ばれています。
「コロナで営業できなくなっていちばん悲しいのは、常連さんが来られないこと。お客さんと会えないのが悲しいです。でも、お休みの間にできることもある。私は、食品衛生管理の勉強もしているし、店の整理整頓と、掃除も徹底してやります。最初の緊急事態のときから整理整頓を始めたし、今年の6月には、窓枠も全部外して掃除して、壁をペンキで塗り替えてから、壁に貼るメニューの札も全部書き直した。やることはいっぱいあるよ」
エンちゃんは、実に前向き、元気もいい。しかし、休みがあまりに長いと、休みの間にやることもやりつくしてしまうのではないか。本店の正さんはこう言います。
「去年の4月から2カ月閉めて、5月に店を開けたときは、とにかく嬉しかったですね。僕も嬉しいんですけど、お客さんがとにかく喜んでくれて。お互いに、生きてたー!って喜びあって。でも、お客さんの話を聞いてあげたいんだけど、忙しすぎてどうにもならなかった。店を開けてから2日間はゆっくり話ができないんですよ」
今年の正月から3月まで2カ月半に及んだ緊急事態が明けたとき、小杉さんは、土日の営業開始時刻を通常の午後3時から1時間繰り上げて、午後2時にしてみたという。
「お客さんが、2時前から並んでくださったんですよ。本当にありがたかったですね。逆に、密になってはいけないから対策には気を使いましたが」
「ばん」ほどの人気店になると、店が開くのを待ちわびるお客さんは多い。営業再開の日に店に来るその人たちは、しばらく飲めなかったサワーを求め、好みのつまみを目当てにやってくる。でも、本当の目的は、店の主や従業員、そこに集うお客さんたちの顔を見ること。さらには、自分の顔を見せることにあるのではないでしょうか。常連客は、祐天寺界隈の人ばかりではない。近所の人は3割か4割。あとの人は、電車やバスに乗ってやってくる。片道1時間以上かかる人だって珍しくない。エンちゃんは言うのです。
「売上はアップしたいけど、儲からなくてもいいから、お客さんに来てほしい。それがうちの店の経営理念。他とは違うよ。私は毎日、いろんな人に会えるのが嬉しいの。お酒を飲まないときはすごく大人しいのに酔うとなんでもぺらぺら喋る人がいる。そういう人を見ているのもおもしろい。みんな、やさしいし、本当に、いいなって思う。だって、東京に、こんなにたくさんお店があるのに、遠くからもお客さんが来てくれる」
お客さんは「ただいま」という気持ちで入ってくる。エンちゃんは「お帰り」と迎えるという。
「うちの店は、ホームみたいだよ。家に帰ってきた感じで、迎える。今、世の中ではコロナに感染している人が増えているから、お客さんの元気な姿を見るだけで嬉しい。お酒を売りたいのではなくて、久しぶりに会えることが嬉しいです」
正さんもその思いはまったく一緒だと言います。一方で、やはり心配もあるということです。
「今回の休業期間は複雑ですね。今年に入ってから緊急事態が長く続いて、僕は仕事ができないわけですけど、世の中の多くの人は、仕事に出ている。自分はどうすればいいのか。これから、どうなるんだ。正直、不安になる部分もあります。緊急事態も8月末で解除になるかわからないし」(註:取材後、8月17日時点で、9月12日までの宣言延長が決定した)
小杉さんの見通しも決して楽観的ではないようです。
「今年はまあ、仕方がない。そして来年から、徐々にもとへ戻っていくでしょうね。以前と同じになるのは、再来年かな」
苦境にあって焦らず。お客様は本当に神様なんだと、小杉さんは言います。そして、酒場とはどういうところか、一言だけ、語ってくださいました。
「うまい、とか、品物がいいとか、そういうことではない。酒場というのは、人です。お客さんは“人”に来る。店の人に会いに来るだけでなく、お客さん同士、会いに来る。そこには、コミュニティーがある。店はやっぱり、人なんですよ」
こう語る小杉さんは今年78歳。弱音を吐くどころか、再来年も視野に入れて、コロナ禍を生き抜いている。語り口も、仕草も、飄々としてて、営業中と変わらない。たとえ店を休んでいても、訪ねてきた人にはサービスせずにはおれないという、酒場の主の心意気を見る思いです。
「ばん」営業再開のときには、小杉さんや正さんの優しい笑顔をきっと見に行こうと思う。エンちゃんは、「元気だったかー!」と言って、私の肩をポンと叩いてくれるだろうか。
その日が、今から、本当に、待ち遠しい。
*緊急事態宣言中は休業。最新の営業状況は公式ホームページ、Twitterなどで確認を。
文:大竹 聡 写真:衛藤キヨコ