貝殻がしっかり閉まらないのに、鮨屋で超高級種として扱われる貝とは?グロテスクだったり、生態が摩訶不思議だったりする怪魚たち。日本にいるまだまだ知られていない美味しい怪魚をご紹介します。
ミルクイと聞いて、それが貝の名前だとわかれば高級鮨ダネ「ミルガイ」の仲間かな?と思う人が多いだろう。実は“仲間”ではなく、ミルガイそのものである。ミルクイにはほかにも別名があり、「クロミル」とも「ホンミル」とも、単に「ミル」とも呼ばれる。つまり「ミルガイ」も「クロミル」も「ホンミル」も「ミル」もみんな「ミルクイ」なのだ。ただし同じく鮨ダネになる「シロミル」は違う。ミルクイはバカガイ科だが、シロミルは正式名をナミガイといい、キヌマトイガイ科に属する。ただミルクイもシロミルも、貝からはみ出ている大きな水管を食用にすることでは似ている。
ミルクイのすばらしさは心地よい潮の香りにある。口に含めばジョリジョリという音が聞こえんばかりの力強い歯触りに思わず心がなごみ、深みのある甘みが潮の香りと合わさり、おいしさを際立たせる。多くの鮨屋ではこんなミルクイを「ホンミル」と呼ぶ。シロミルに対して「本物のミル」という意味だ。ホンミルは別格であるという意味合いも含んでいる。
しかしミルクイの姿形はお世辞にも美しいとはいえない。太い水管が殻からいつもはみ出ており、二枚の殻がきっちりと締まらなくてとてもだらしなく見える。殻表は厚い暗褐色の殻皮に覆われ、まるで汚れているようだ。さらに水管にはミルという海藻がくっついていることが多くてこれがまた黒い。貝がこのミルを食べているように見えるから「ミル食い」と名付けられたのだが、実際にはミルを食べているわけではないので念のため。
ミルクイは北海道南部から九州までの内湾に生息し、瀬戸内海や三河湾、有明海などでよく漁獲されるがかなり稀少である。だから鮨屋で握りになるととんでもなく高価になる。握りのほか、刺身、吸い物、和えものなどがあり、産地ではヒモも塩焼きに、内臓も吸い物に使う。ただ残念ながら、ミルクイは産地でも高級食材扱いに変りなく、支払いには覚悟がいる。
日本全国の漁師町を精力的に取材して50年。漁師料理に関する経験と知識は右に出る者なし。『旬のうまい魚を知る本』『豪快にっぽん漁師料理』など地魚の著書多数。
文:小泉しゃこ イラスト:田渕正敏