春の和菓子といえば「桜餅」。華やかな香りと、絶妙な塩気と甘味の調和を楽しみましょう!2020年11月号から始まった連載、「『岬屋』の和菓子ごよみ」では、東京・渋谷にある上菓子店「岬屋」の季節の和菓子を、毎月紹介しています。WEBでは、本誌で紹介しきれなかった「おいしさの裏側」をお伝えしていきます。本誌連載と併せてお楽しみください。
「さくらもち、さくらもち」と、唱えながら「岬屋」にむかった。桜の気配が感じられるようになると、春はもう駆け足だ。
作業場には、ガスを火床に、四角い銅板をのせた焼き台が用意してあった。
「これはね、平鍋(ひらなべ)っていうの。焼き菓子をつくるときに使います」
「岬屋」の桜餅は、焼いた生地で餡を包む、江戸(東京)生まれの形だ。「この桜餅は最近少なくなっている気がするね。一枚一枚、きれいに焼くのは手間がかかるから」と主人の渡邊好樹さん。
平鍋に火を入れ、予熱をしている間に、薄力粉と寒梅粉、上白糖をふるいにかけ、水で溶いて生地の準備をする。
「関東では、つなぎに白玉粉を使う店が多いけど、うちは寒梅粉を使います」
寒梅粉は、もち米を蒸して焼いたあと粉末にしたもの。
「寒くて乾燥した季節に作れられる粉だから、“寒梅”って名がついたんじゃないかな。京菓子では、型打ちの干菓子などによく使います。接着力が強いから、京都の経師(きょうじ)屋さんは、襖や障子の張替えの際にのりとして使っていましたよ」
「この生地は練り加減が難しい。水っぽいと、平鍋の上でダラーっと広がってしまうけど、硬すぎるときれいにのびないから」
饅頭の生地なら、蒸してふくらませるためにグルテンを出さないようにするが、この桜餅の生地は、ほどよくグルテンを引き出す必要がある。
「混ぜている時に感じる重さや、生地の落ち具合を見るの。すくって落とした時にこんもりと山になるようではまだダメ。スーッと消える感じがいいんだけど、消えすぎてもダメ」
生地がほどよくなったら、ほんのり紅く色づけし、小さくて浅いおたまのようなものを取り出した。どら焼きを作るための道具、“どらさじ”だ。
「これは、“おたま”の部分しか売っていないんだよ。いろいろな大きさがあって、職人はそれぞれ使いやすいように、自分で持ち手をつける。和菓子の道具はそういうものです」
平鍋を指で触って温度を確かめ、焼きの作業に入る。桜餅の生地は薄いから、火を細く調整しないといけない。
「さじの返し方をうまくやらないと。この加減も大事なのね」
生地をひょいとすくい、どらさじを傾けて銅板に流しつつ、スーッとまっすぐに広げる。さじの底で、素早く、軽く形をととのえる。幅も、仕上げに巻きつける桜の葉の幅と合うよう均一に。生地の粘りと量、流すスピード、銅板の熱ののり具合、これらが揃うと、両端が少しふくらんだ、弾力のある生地になる。
「なにより、パリッと焼けないと。ただ火が通っただけでは、巻くときにベタッとしてしまうからね」
焼けた皮はひっくり返し、もう片面も軽く焼いて網で冷ます。
「皮はさっぱりしていておいしんだよ。食べてごらん」と、くるくると巻いて渡してくれた。少しもっちりとしていて、おだやかな甘さだ。
「うちの娘たちは、皮だけ食べたいなんて言うことがあったのよ。あんこは少なめにしてね、なんてさ」と思い出し笑いをする。
「桜餅はね、戦後になってから始めたの。上菓子にはないものだったから」
戦前の「岬屋」の商いは、近隣のお屋敷への御用聞きが中心。午前中、丁稚さんたちが、黒い塗りの箱に見本の菓子を入れて、自転車でお得意さんを回って注文をとりに行き、午後に注文分の菓子をつくって届ける。店で売るのはその後残った分を、ということだったらしい。戦争が終わって、世の中もお客さんも変わっていったから、新しい菓子を取り入れようと、初代が取り組んだそうだ。
「『お茶席用の菓子だけでなく、節句菓子もやっていかないと』ってね。おじいさん(初代)が他の店に習いに行ってつくり始めたものです。習って、そこに自分の知識を放り込んでいくわけ。だから、うちのは京菓子が組み合わさった桜餅だね」
薄く、優しいピンク色の皮が並ぶ様子を見ていると、気持ちが明るくなってくる。
「紅色は濃すぎないほうがいいけれど、薄すぎると餡ばかりが目立ってしまう。皮も餡もきれいに見えるようにしないとね」
銅板の上で最初に焼いた面が表。なめらかなその面が外側になるようにして、漉し餡をのせて巻く。くるくるっと、ふた巻き。やわらかな皮が餡を包み込む。
「桜の葉の塩漬けは、よ~く漬かった、柔らかいものを入れてもらうようにしています。剥かずに食べられるものだからね」
塩漬けの香りを楽しみつつ、プチッと葉を噛み切る。あぁ、これは皮が大事な焼き菓子だったのだと思う。桜餅を食べながら桜の花を待ち、花を眺めながらまた桜餅を食べたい。
文:岡村理恵 撮影:宮濱祐美子