ぶつ切りにしても動き回るという長い足は、噛みごたえと旨味が抜群なのだそう。グロテスクだったり、生態が摩訶不思議だったりする怪魚たち。日本にいるまだまだ知られていない美味しい怪魚をご紹介します。
全長70センチくらいと小型だが、名前の通りに“手”が長いタコである。“手”といっても一般的には8本の「足」や「腕」と呼ばれている部分だが、その一対が異様に長いのだ。なんと“胴(頭と呼ばれるほうが多い)”の5倍の長さに達する。日本全国の沿岸に棲息するが、東日本ではめったに見かけられず、中部以南の特に瀬戸内海沿岸で多く水揚げされる。大阪に出張した東京の人がスーパーマーケットで丸煮を見つけ、そのへんてこな姿に目を見張ることも少なくない。
生命力が強く、足をぶつ切りにしてもしばらくはグニョグニョ動き回っている。小粒ながらしぶといのだ。足の表面に散らばる吸盤の吸い付く力はマダコよりもずっと強い。活きがいいものが人間の腕にからみついて吸い付くと、それはもう、ひっぱがすのは難儀なのである。
マダコに比べると味が劣るとされ、比較的安い。だが、いずれの料理でもマダコとはまた違った風味を味わえる。醤油味の丸煮はやわらかく仕上がるので食べやすく、お年寄りでも食べられる。混ぜごはんも作り方は簡単だ。テナガダコの足を甘辛く煮て、細かく切ってから温かいごはんと混ぜ合わせるだけでよい。赤褐色のうまそうな色あいのごはんをほおばれば、やわらかな旨味が甘さとともにじんわりと広がってくる。
今の季節にうまいのは「ちり鍋」だ。潮の香りと噛み心地を楽しめる。噛んでも噛んでも強力な弾力で跳ね返ってきてなんとも小気味よい。噛むうちに淡くも複雑なうま味がにじみ出てくる。かすかに甘味を帯び、どこか懐かしさを感じる。こんなに痛快で親しみのもてる鍋料理はほかにないのではないか。
冬から春のテナガダコは身がやわらかくて食べやすく、春から夏のものはやや硬めで歯ごたえがあるのが、また楽しい。
日本全国の漁師町を精力的に取材して50年。漁師料理に関する経験と知識は右に出る者なし。『旬のうまい魚を知る本』『豪快にっぽん漁師料理』など地魚の著書多数。
文:小泉しゃこ イラスト:田渕正敏