料理には料理人の腕が表れ、お品書きには店の思いが表れます。力強い手書きの文字を眺めていると「今日はぜひこれを食べてほしい!」という店の思いが伝わってきます。小さく控えめに書かれた文字からは「もしよろしければ、こちらも……」という素敵なささやきが聞こえてきます。2021年2月号から始まった本誌の新連載「お品書きの詩」より、品書きという料理人たちの詩を受け取った詩人・菅原敏さんの返礼の詩と朗読をお楽しみください。
つるつると 長い話をたぐりつつ
おれもおまえも歳をとったねと
深い海に潜っていけば
大きな鯨のひと蹴りが
ふたりの時間を巻き戻す
注ぎあった歳月は
無駄なわけではないのだと
海底で眠る 貝殻を探り
舌先の嘘 指先の塩を舐め
緑色の宝石 ひとつぶんの幸せを
宵の口に運ぶ船
とおいあの日を約束したら
熱い蕎麦湯で夜を薄めて
ふたたびそっと暖簾をくぐり
港の街から出て行くふたり
(詩・朗読 菅原敏)
港区白金台にある蕎麦屋「利庵」。1985年の開業当時から変わらない趣のある一軒家の暖簾をくぐると、若者から30年来の常連まで思い思いに食事を楽しんでいる。店は昼から夜までの通し営業で、明るいうちから蕎麦前を楽しむ人も多い。
店主の三好利夫さんは食い道楽。毎夜魚河岸へ通い、うまそうな鮮魚を見つけては仕入れてくる。品書きはどんどん増え、1枚、2枚、3枚と壁に貼りだす。最初は「居酒屋みたいでなんだかなぁ」と思っていたけれど、壁に揺らめく様が次第に楽しくなっていったという。
蕎麦、寿司、割烹、うなぎ……。壁にずらりと連なる短冊には、日本料理をひと通り学んできたという店主の歴史が現れている。短冊を書いているのは、厨房で店主と肩を並べて働く従業員。高校時代に皿洗いのアルバイトから始めたという青年は、気づけば40歳を超えるベテランの域。達筆過ぎない味のある文字が「逆にいいじゃないか」と、店主も愛着を持って見守っている。ここでは、店も客も従業員も、同じように時を重ねて、「利庵」という歴史を刻んでいるのだ。
この日、菅原さんは貝柱のぬたと燗酒でゆるりと始め、 鯨の生姜焼き、せいろ、デザートにシャインマスカットのコンポートと続く。ご近所に住んでいるであろう、上品な年配の二人連れが暖簾をくぐって入ってきた。手早く二、三の酒の肴と熱燗を頼み、慣れた手つきでせいろ一枚を手繰り、蕎麦湯をしゅるっと啜って店を出て行く。
「ここ港区は港の街だということを思い出す。耳を澄ませば汽笛の向こうに鯨の声を聞くこともできる。この街の人がみな船乗りだったらいいのにね」と菅原さんは猪口を傾ける。まだまだ時間は宵の口。翡翠のようなマスカットの宝石を口に運びながら、彼ら二人が港に向かう姿を想像し、未来の自分の姿を勝手に重ねてみたとか、みないとか。
この日、菅原さんが注文したもの
・つきだし(子持ち甘海老の頭の素揚げ)
・貝柱のぬた
・鯨の生姜焼き
・せいろ
・シャインマスカットのコンポート
すがわら・びん 2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』でデビュー。執筆活動を軸に、ラジオでの朗読、欧米やロシアでの海外公演など広く詩を表現。Superflyや合唱曲への歌詞提供、美術家とのインスタレーションなど、音楽やアートとの接点も多い。近著に『かのひと 超訳世界恋愛詩集』(東京新聞)『果実は空に投げたくさんの星をつくること』(mitosaya)。東京藝術⼤学 ⾮常勤講師。http://sugawarabin.com/
文:西野入智紗