「神田まつや」の人気蕎麦前である焼鳥は、どこにでもあるような普通のテフロンフライパンで焼かれていました。鉄製などの良いフライパンの方が美味しくできるんじゃないの?と思いがちですが、テフロンだからこそ生み出せる最高の味わいがそこにありました。
「じゃあ、はじめますね」
そういって小高さんは、かなりの強火にかけたフッ素加工フライパンがあたたまってくると、やおら、ネギと鶏肉を並べた。油は一切なし。ゴウっというコンロの音とジュウッという鶏の焼ける音がホーミーみたいに心地いい音楽を奏でる。
「で、こっちは、、、」
小高さん、今度は隣にアルミのフライパンを置き「かえし」と「みりん」を注ぎ、こちらもけっこう強めな火加減で煮詰めていく。アルミのフライパンはさすがの高熱伝導率で瞬く間に「かえし」は煮立ち、とろみを帯び始め、紛うことなき「タレ」の様相になっている。それにしても、どうして別なフライパンを、それもイタリアンみたいなアルミ製を使うのか――
「煮立つのも早いし、こういうフライパンのほうが、軽くてふりやすいから、ずっとタレがからみやすいんですよ」
ちなみに、このアルミ製フライパン、取手のところになにか巻いてある。
「手拭いを切ったのを輪ゴムで巻いて熱くないようにしてるんですけど」
なるほど。アルミ製のこういうフライパン、カッコいいけれど、実際自宅で初めて使ったときは、思わずミトン無しで掴みかけて、熱さのあまり、腰が抜けそうなほど慌てた。
「……なんだか恥ずかしいなあ」
小高さん笑うけれど、これこそプロのディテール。昔、作家の井上靖の万年筆に絆創膏が巻き付けられている写真を見た記憶があるけれど、そういうことなのだ。魔法の杖は、魔法使いがそれぞれカスタマイズしている。
傍で、鶏とネギは、焼き色がつきはじめる。小高さん鶏をひっくりかえし、時折、フライパンに軽く箸でおしつける。そのたびに、ジュワッと音がする。そして、かるがると振ると、鶏とネギが宙を舞う。見ているこちらの顎の付け根が唾液の大量放出で痛くなる。
いよいよ鶏の焼き目が、世界のおいしい茶色を全部凝縮したかのようになってくると、アルミ製フライパンのなかのタレが、これ以上ない照りを帯びてくる。そして厨房にたちこめる香り。これだけで、二合はいける。
「じゃ、あわせます」
小高さんがそう言うやいなや、鶏とネギは、ふつふつと別府の地獄温泉みたいに湧き立つタレの海へと投入される。手際も見事にアルミ製のフライパンをふりつつ箸でととのえる小高さん。みるみるうちに、鶏とネギが最高の衣装をまといだし、いよいよ、「まつや」の焼鳥ができあがる。
美しい。瑪瑙をうすく削いで液体にしたら、こんな色になるのではないだろうか。そのタレの照りの層から見える、鶏とネギの焼き目。これを前に、じっとしていられるほど、のんびりしていはいないので、かぶりつくのである。
その時の状態のいい銘柄を選んでいるという鶏は、つくば地鶏。歯応えもよく、それでいて、身のほどけ具合もはらりはらりと滑らかで、それがタレとあわさる。鶏の自然な、野趣を感じさせる旨みと、人が知恵を絞って到達したタレが二人三脚で舌からノドを駆けてぬける。ああ、旨い。
そして同じタレにからんだ、ネギ。ネギの甘みがタレの甘みと手をつなぐのだ。こいつが、鶏と鶏の間に口中でいいリズムをつくる。
このタレ。作っている最中は、かえしだけなのかと思っていたけれど、実は、かえしにみりんをくわえたもので、そのバランスを、鶏やら季節との相性やら鑑みつつ小高さんがずっと試行錯誤しながら作っている。魔法使いは努力を怠らないのである。
いや、しかし、ほんとうに、旨いのだ、この焼鳥。「焼き鳥に串なんてありましたか?」ととぼけたくなるくらい旨い。
小高さんに、焼鳥の発祥を聞くと
「昭和40年前後には、もうメニューにのっていたんじゃないですかね」
――その頃はどんなフライパンを使っていたんですか
「昔はそれこそ普通の黒い鉄のフライパンをつかったりしてたんですけどね。あれは手入れも大変だし、ほかにも理由があって」
――ほかにも理由?
「やっぱりね、鶏の油だけで焼くのが焼き鳥なんだと思うんですよ。焼き台で焼く焼き鳥は油なんて使わないで、鶏の油でもって焼くでしょ。このフライパンなら、油いらないですからね」
たしかに、余分な鶏の脂はいい具合に落ちて、皮目はパリッと仕上がっている。
――(ちょっとだけ恐る恐る)これ、どこでも売ってるのに見えますが?
「ええ、どこでも売ってるやつですよ」
そのかわり、
「コーティングがダメになってきたらすぐ買い換えます」
ほんとうに、常に研究熱心で、そう、イノベーティブなのだ。イノベーティブといえば、「まつや」が完全に手打ちの蕎麦を提供するようになったのは、昭和38年のことで、それまでは機械製麺だった。イノベーションは効率化とイコールではなく、手間暇をかけつつも、良いものにする。この古色蒼然たる蕎麦店には、そういう精神がずっと息づいている。フライパン一つとってもそうなのだ。
だからここで食べると、背筋がすっとのびるのだ。旨いものを食べて姿勢がよくなる。最高である。
控えめな値段で旨いものを出してくれる店だから、相席は当たり前だった。むしろ、どんな人と相席になるのか楽しみだった。ところが、いまは、それがかなわない。そんな先の読めないご時世だけれど、小高さんの目線は遥か未来を見つめている。
「いまの、気軽に寄れる店であり続けますよ、でないと七代目が継ぐのが大変になっちゃうからね」
この言葉を七味がわりにして、二刀流の魔法の杖でこしらえた一皿の、最後に残った一かけらをぱくり。で、もちろん、いつもどおり、蕎麦前はこれでは終わるわけもない。つぎのフライパンの旅のことなど、考えつつ、いろいろお願いした。
文:加藤ジャンプ 写真:岡本寿