竹橋駅直通のパレスサイドビル。その地下には飲食店街があります。その一角に、なんと江戸時代から飲食業を営んでいるお店があるのです。ビルで働くサラリーマンの胃袋を満たし続けている店の魔法の杖ことフライパンの正体とは。
とんでもない老舗なのである。
地下鉄東西線・竹橋駅から直接入れるビル、パレスサイドビル。前の(と、わざわざ言う必要もなくなりそうだけれど)五輪の年にできたビルで、その地下には飲食店街がある。
その店の名は「タカサゴ」という。
ビルは竣工から半世紀を過ぎているが、店が開業したのは1971年のことである。前年には大阪万博が開催され、翌年には札幌冬季五輪があった。比べて、間にはさまれた71年もとい昭和46年は実に地味である。こんなふうに71年のことを言うのは私がこの年に生まれたからである。
そんな地味な年に、このビルに開業したタカサゴだけれど、実はその前から飲食業を営んでいる。それがそんじょそこらの老舗とは訳が違うのである。
「元は高瀬屋という屋号で、創業は1650年頃と言われています」
早口で、さりながら滑舌良く快活な口調で話してくれたのは、現在の店主・熊谷浩晃さんである。なんとお店と同い年、つまり私とも同い年である。そして、熊谷さんはあっさりと語った。
江戸の頃は一膳飯屋といった椀にご飯を盛り切りにして提供する店を開き、時代の流れと共に定食屋、仕出し弁当屋と形態を変え洋食屋にたどり着いたという。
「あ、ぼくで十二代目ですね」
十二代目である。すごい”代々”感。團十郎だって、次の方が十三代目である。
そんなことは知らずに、十一代目の頃からお店にはお世話になってきた。
近くに国立近代美術館がある。科学技術館という子どもにも楽しめる博物館があって、そこにはエジソンの蝋人形みたいなロボットがいた。このロボエジソンが椅子に座って、偉そうに喋るのである。
「きみたちも努力するのじゃ」
みたいなことをぬかす、生意気なロボットだった気がするが、そのロボエジソンを見てから、ここで食べた40年以上前の朧げな記憶が、タカサゴとの最初のかかわりだ。それから時々、ここへやってきた。で、強烈に印象に残っていることがある――早い、のである。
フライパンは厨房の魔法の杖だと思い、このフライパンジャーニーをつづけている。で、魔法の杖といったら、この店のフライパン、なのである。
なにしろメニューが豊富。そのほとんどがフライパンで調理されて出てくるのだけれど、これが目にも止まらぬ早技なのである。オフィスビルの昼時、注文して、新聞の社説を読み終わるかどうかで、美しい一品が眼前に供されるのである。
で、ひさかたぶりに訪れたのである。この地下街のタカサゴを。
「コロナで、いまは昼が終わったら一旦お休みするようになりましたね」
熊谷さんは言った。ここは、新聞社がメインのテナントだ。昼食の時間が不規則な人も多い職種だから、この地下街のどの店もたいがい昼から夜まで休みなしに営業していた。ここへ来ればいつでも昼めしが食べられるから、と、昼休みをとりそこねた近隣の商社の人なんかもよく見かけた。ところが、いまはちょっとさびしい。
ただ、すばらしいことに、タカサゴの佇まいは、なにもかも、一切合切変わっていない。しからば、あの、魔法のようなスピーディーフライパンマジックは健在なのか――。
――ポークソティージャポネーズとカツスパゲティをお願いします。
そのとき、私はちょっとだけ心配していた。タカサゴのボリュームは半端ないのである。取材は私ふくめ3人で伺っているのだけれど、私たちの胃袋がどこまでやれるのか、と。
厨房はコの字カウンターのなかとそこにちょっとのスペースがくっついたもの。コンロは3口あるが、一つはフライ用に油を満たした鍋が占領している。
「じゃ、はじめちゃっていいですか」
熊谷さんがわざわざ聞いたのは、おそらく、アレのせいだ。スピードだ。
「はい」とこたえて息を飲んで待つ。
コンロにボッと火がつき、サッカーボールくらいの大きさの鉄製のフライパンにサラダ油が投入される。
――これが
「だいたい10年くらいですかねえ」
ということで、このフライパン、鉄にはしっかりと油がしみて、黒い表面はさながら墨をたくわえた硯のように艶やかなのであった。旨いものを作る道具は、つくる前から旨そうな雰囲気をまとっているものなのだ。
瞬く間にフライパンは頃合いの温度にまで上昇し、そこへ予め深めに包丁を入れた中厚の豚肉が入る。早く焼き上げる工夫でもあり、肉が反ることなく、均等に焼ける工夫の一つである。
パチパチ、ジューっ。油のパチパチと肉のジュー。いとしこいしの漫才みたいに、最高のかけあいが始まったと思うやいなや、豚肉の切れ目の、フチから先に焼き色がついてくる。
ここからが早い。調味料に入れた合わせ調味料をそこにひたひた流し入れ、焼きつつ煮込む。この時、フライパンはかなり激しく揺すぶられ、コンロの火が入り、フランベになる。調味料の中身は企業秘密だけれど、フランベからアレかコレか想像する。
ちなみに味醂が入っていて、これが乳化するくらいのタイミングが仕上がりのタイミングでもある。
で、あたりは一面、調味料の甘さと肉の香ばしさのいりまじった、美味しいコーラスが鳴り響いている。
この間、だいたい2分。あとは、お皿に付け合わせのナポリタンとキャベツを盛り肉をどさっ。ポークソティージャポネーズのできあがりである。
これがもう、ほどよい歯応えと香ばしく仕上がったソースがからみあい、ご飯なんて肉一切れで二合は食えそうな旨さなのである。
切れ目を多くいれた肉はエッジが多いから、そのぶん香ばしい、焼き色部分をたくさん楽しめる。さらにソースともからみやすいから、もう言うことはない。
旨い。洋食というのは、日本化した西洋料理なのだろうが、ここの洋食はさらに深化して、タカサゴ食だ。
ちなみにポークソティージャポネーズと、ちょっとまだるっこしい(失礼)な名前なのはなぜか。実は、12代目の熊谷さんの父、11代目は、西洋料理の老舗アラスカの出身。だからこの店の料理はフレンチの薫陶をうけたものであって、名前もこういうフレンチ風になっている。だからカレーの店と銘打っているけれど、カレー以外のメニューがものすごく充実しているのである。件のポークソティージャポネーズはといえば、
「要するに生姜焼きです」
と熊谷さんは笑顔で言うが、でも、タカサゴのそれはやっぱり唯一無二のポークソティージャポネーズなのだ――と思っているうちに、
「じゃあ、次にいきますね」
と熊谷さんが二品目に取り掛かった。
次なる一皿は、カツスパゲティである。読んで字の如し、トンカツにミートソースがかかった、食す者に勝負を挑むかのような充実のメニューである。
まずはパスタの準備である。
予め茹でておいたスパゲティ一人前(といっても大量)を、熱したフライパンに投入。こちらも十年モノで、色艶最高の、いまが鉄のフライパン人生の絶頂期という状態である。大きさは一般的な20センチ台のもの。
「やっぱり熱が伝わりやすいし、一気に調理するには鉄はいいですよ。激しい扱いにも頑丈ですし」
と言うけれど、手入れが行き届いているのは一目瞭然。調理は、材料を手にする前からはじまっているのだ。
で、この美しいフライパンにスパゲティを入れ、さらに、ニンジンなどを細かく切っておいた野菜類をまぜあわせる。焦げ付かせず、しんなりし過ぎないように、強火にかけたフライパンを、結構激しく振りつつ太い菜箸で勢いよくかきまぜていくと、スパゲティがみるみる瑞々しい感じになっていく。
ほぼ同時にカツの準備。生姜焼きの倍くらいの厚みの豚肉に衣をつけると、揚げ物用に用意されている鍋に投入。カリカリといきなりいい音がする。冬毛のキツネくらい、濃いめの色に揚げ上がったところで油をしっかりと切って、カット。それを炒めたパスタの上においたら、
「昔から変わらないミートソースなんです。塩はあまり使わず、隠し味のお醤油の塩分で調整しています。煮込んだ野菜のなかにはセロリは入ってません。クセがあるから煮込んでもわかるんですよ、苦手な人は。ぼくも苦手なんです(笑)」
と熊谷さんが言うミートソースをこれまたたっぷりとカツの上からかける。そこへパルメザンチーズもどっさり。全部どっさり。
フォークをぐっとさしたのはカツ。さらにフォークの先でパスタをからめる。これを一口で頬張るのである。トンカツとミートソーススパゲティの二重奏がこれほどまでに旨いかと唸らざるをえない。で、見た目はものすごいボリュームだけれど、思ったよりもミートソースが塩気よりもコクで食べさせるタイプゆえ、ずんずん食べられる。飽きない。しかもカツがほどよい厚みで主張が強過ぎないから、カツの状態からちゃんと「具」に変化して馴染みやすい。これを食べて元気にならない人はいまい。
「海外赴任して、帰国のたびに、うちに来てくれるなんてお客様もいっらしゃいます」
たしかに、こうして久方ぶりに食べてみて、店の佇まいの変わらなさに驚いた。
「レシピも一緒だし、お願いしている肉屋さんも100年くらいの付き合いですし、まあ、変わらないですよね」
と笑う熊谷さん。なんだか何もかもスケールが違うのだけれど、それなのに、ものすごく身近な存在に感じるこんな店、そうはない。
フライパンも
「いやあ、普通の洋食屋さんのフライパンなんです」
言っていたけれど、この店で使われるフライパンは、どこか幸せそうに見えた。それは、2品を平げたうえに、実はカレーまで食べてしまい、満腹過ぎて見えた幻影ではない、と思う。
文:加藤 ジャンプ 写真:岡本 寿