鮨好きはなぜ小肌を愛するのか?
新子・小肌漁の実態|鮨好きはなぜ小肌を愛するのか?③

新子・小肌漁の実態|鮨好きはなぜ小肌を愛するのか?③

第三回目は、熊本県三角港の漁師・石本重治さんに、新子、小肌漁のいまを伺いました。鮨好きが愛してやまない小肌とは、いったいどんな魚なのでしょうか?そしてなぜ、鮨好きは小肌に魅了されるのでしょうか?ノンフィクション作家の一志治夫さんが小肌の魅力に迫る連載です。

三角の漁師・石本重治さんの話

熊本駅から観光列車「A列車で行こう」に乗って、右手に有明海を見みながら進むと、40分ほどで終点の三角駅に到着する。駅舎の目の前は、天草へのフェリーの発着場所でもある三角港だ。観光地としてもつとに有名だが、実は、この海からは素晴らしい新子や小肌が揚がる。青山「匠 進吾」をはじめ、東京の鮨屋がこぞって使う小肌である。

ここ三角から有明海や八代海(不知火海)へと漁に出る小肌漁船は、現在5、6槽ほど。その一人、三角漁協の石本重治さんに小肌漁や小肌の生態の謎について訊いた。石本さんは、まもなく漁師歴30年。東京や大阪の一流店に小肌を出荷するようになってから、18年が過ぎたという。

石本さん
石本重治さん59歳。愛車に小肌のステッカーを貼るほど小肌愛が強い。

――いまは新子の時季ですが、今年の漁獲はどうでしょうか?

石本さん
6月の下旬ぐらいに新子が見えたので、7月3日までは、小肌と新子の両方を獲っていたんです。ところが、今年熊本で災害があったでしょ。それで球磨川から海に流木や壊れた家とかが流れ出て、いままで見た中で一番ひどい状態になってしまったんですよ。そのあとは、戸馳島という向かいの島あたりに漁場を移して新子を獲っている感じですね。いまも海の掃除と並行して漁をしてるところです。

――「新子が見えた」というのは、どういうことでしょう?

石本さん
新子は、肉眼で見えるんですよ。三角駅前の港の岸壁のすぐそばにいたりもするし。船で出て、魚群探知機とかでも探すんですけど、片口鰯やママカリ(別名:サッパ)とかの小さいやつと区別がつきにくいので、肉眼で確認しないとどの魚かわからないんですよ。

――新子と小肌というのは、同じ時季に一緒に獲れるものなんですか?

石本さん
私たちも子どもを生むところを直接見たことはないので正確にはわからないんですけど、だいたい2月~3月ごろにコノシロが子を抱えて、お腹が大きくなってくるんです。それから、4月~5月ごろに子を放すんですが、気象条件によってよく育っている年と育っていない年があります。ただ例年は、7月初旬の海が鏡みたいに凪な状態のときに、4月~5月に生まれた新子が岸壁の近くに来るんです。要は新子は生まれたてで柔いので、海が穏やかなところにいて、小肌は岸壁ではなく湾の外にいて、同じ時季に獲れるんです。

――新子の時季が終わるのはいつ頃ですか。

石本さん
新子と呼ばなくなるのが9月ぐらいかな。大きくなってきて小肌と呼ぶようになります。その後も1年間追っていくんですが、生まれて1年以内のものはほぼ小肌と呼ぶサイズですね。1年以上経つとナカズミ。2年を超えるとコノシロと呼ばれる25~30cmくらいのサイズになります。育ちが遅い子どもと早い子どもがいるので、なんとも断言はできないんですけど、2年から3年ほど育つと完全にコノシロだとサイズだと思います。だから、小肌自体は3年ぐらいの寿命でしょうね。

――小肌を獲るにあたって、大変なことはありますか?

石本さん
新子にしても、小肌やコノシロにしても、イルカとスナメリが好物にしているんですよ。特に最近は、スナメリが保護されてることもあって、内海ではやたらと増えていて……。スナメリがいると魚の群れがばらけるし、船が入りにくいような浅瀬に逃げてしまって大変なんです。しかも結構、食べちゃうしね。

――小肌はどんな漁法で獲るのですか?

石本さん
私が船を操作して、若い親戚の子が投網で獲ります。彼もそろそろ6、7年経ちますが、経験は必要ですね。獲ったら、塩水と氷の中にザバザバと入れてすぐに締めます。基本的に投網で獲りますが、魚が散らばってて獲れないときは、流し網で獲ることもあります。去年は小肌が少なかったので、12月から半年以上流し網で獲ってました。
波が高くて投網が打てないときでも、網を流しに出ますね。東京や大阪、福岡にお客さんがいるので、とにかく魚を切らさないようにしています。「すみません、小肌がなくて」というのが年に20回もあったら、相手が迷惑するでしょ。だから、漁には月に22日ぐらい出ますかね。それが相手に対する信用だと思っています。
特に東京の人は、小肌がないとダメなんです。魚の質がいいとか悪いとかじゃなくて、ないとダメなんですよ。我々から見て、品が薄くて、たとえ脂がのってないものしかなくても、鮨には絶対に欠かせない魚ですからね。

――最近の漁獲高はどうですか?

石本さん
昔のほうが魚はいたんだけど、いまは獲る技術も進んでいるので、去年みたいに小肌が少ない年でも、有明海や不知火海をあっち行ったり、こっち行ったりして獲れてますね。獲れるときは、たった10分で100キロぐらい獲れるときもあるんですよ。

――最後に、石本さん自身は、どんなふうに小肌を食べるんですか?

石本さん
刺身と甘露煮ですかね。三枚におろして皮をはいで刺身にします。うちでは小肌もコノシロも、皮をはぐのが習慣なんです。でも、どちらかというとあまり食べないんですよね。新子は熊本や福岡のお鮨屋さんにも卸していますが、実は私自身は、新子の握りってまだ一回も食べたことないんです(笑)

文:一志治夫 撮影:江森康之 

一志 治夫

一志 治夫 (ノンフィクション作家)

長野県松本市生まれ、東京都三鷹市育ち。『狂気の左サイドバック』で第1回小学館ノンフィクション大賞受賞。主な著書に『魂の森を行け』(新潮文庫)、『奇跡のレストラン アル・ケッチァーノ』(文春文庫)、『失われゆく鮨をもとめて』(新潮社)、『幸福な食堂車』(小学館文庫)、『旅する江戸前鮨』(文芸春秋)など。最新刊は、秋田の5つの酒蔵「NEXT5」を描いた『美酒復権』(プレジデント社)。