かつてタモリさんが足しげく通ったという、東中野に半世紀にわたり店を構える洋食屋「ito」。そこでタモリさんが「東洋一おいしい」と評したビーフストロガノフを生み出す、黒く輝く鉄フライパンに出会いました。
それは、魔法の杖、みたいなところがある道具だ。
語義を調べてみたらこうあった。
【長い柄のついた厚手の浅い鍋。材料を炒めたり焼いたりするのに用いる。】(広辞苑第七版)
なんとなく焼くことのほうが先に書いてありそうな気がしていたのだが、意外にも炒めることのほうが先に出ていてちょっと驚いた。もちろん煮ることだってできる。煎ることも。鳴らしたり殴ることもできる。そこそこ、なんだってできちゃう魔法の道具なのである。
フライパンのことだ。
優れた店には優れた料理人がいて、優れた料理人は優れた道具をつかう。ならば、優れた料理人愛用のフライパンの物語は、たぶん魔法使いの魔法の杖の物語である。そこには、魔法のような「おいしい」の秘密(の端っこくらい)が宿っている。
4次元キッチンツール、フライパンの物語。
食い意地と好奇心をおさえる術はない。そして、フライパンをめぐる旅がはじまった。
メモ帳と空腹を携えて訪れたのは、老舗の洋食店である。小さな空間。何もかもきっちりと整理されたなか、強い炎の上を真っ黒なフライパンを軽々と操る、ある料理人の姿がまず浮かんできたのだ。
実はこの店、ずっとイトウさんの店だと思い込んでいた。
店の最寄りである東中野駅は派手な駅ではない。JRは各駅停車しか止まらない。東京駅から中央線の快速に乗ったら新宿駅で各駅停車に乗り換えるのが、たぶんいちばん早い。ところが、久方ぶりにこの駅に向かったらなぜか御茶ノ水駅で各駅停車に乗り換えてしまい、ずいぶん時間がかかってしまった。行き方を忘れてしまうくらい、ひかえめな駅なのである。
駅前も決してにぎやかではない。しかるに旨い店が点在していて、私はその筆頭をこの店だと思っている。
レストラン「ito」である。
「ito」と書いてイトと読む。そう知ったのはお客さんの会話からで、初めて入店したときもずっとイトウだと思い込んだまま旨いチキンカツを食べた。ちなみに今回初めて知った由来は英語のeatだった。全然予想していなかった。
最後に訪れて以来何年ぶりになるだろうか。へたをすると17、8年はたっている。そして、私はその頃より17、8キロ太った。光陰矢の如し。東中野駅は立派になったし地下鉄も当たり前。ずいぶん変わったこの街にあって、果たしてかつての記憶だけで辿り着けるか心配したがこれが完全に杞憂。
まったく変わっていない。むしろ、東中野の西口は「ito」を中心に発展してきたと思わせる。それほどに、きっぱりと、すっきりと、「ito」はそこにあった。エンジのアーケードに白いロゴ。白い壁に重厚な木製のドア。街の洋食店に必要なものをすべて備えたかのような顔つきが全然変わっていない。「よかった」マスク越しに呟いてしまって、その姿を想像して我ながらちょっと気味悪く思ったものの、もしかしたら、こういう心地よい安堵の瞬間のためには無沙汰も意味があるのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
驚いたことに店主の中澤重次さんは、店の雰囲気以上に昔のままなのであった。シェフハットに白衣は使い込んだテクスチャーだけれど、パリッとしている。この姿を見ているだけで瓶ビール一本はいける。
フライパンのことを聞くといっても、ただフライパンを見てもしょうがない。実地で料理を見て、果たして魔法の杖が厨房でどう踊るのかを見せてもらう。
「フライパンということならビーフストロガノフにしましょうか」
そう言って中澤さんは包丁をとって玉ねぎを薄く切り始めた……と思ったら瞬く間に切り終えた。ものすごく早い。早いといえばすべて、倍速で見ているかのように早い。基本的に作り置いているものはないからオーダーをとってから準備がはじまるのだが、そのすべてのステップが淀みなく滑らか。派手な動きなんて一つもないのに、待っているこちらは見入ってしまう。
「カウンターからお客さんが近いですからね、誤魔化しがきかないんですよ。見られているから、こちらも、必要以上に早く切っちゃったりして」
そう笑う中澤さんだけれど、その動きは万年に一秒しか狂わない複雑時計のように美しい。
そして手にしたのは黒いフライパン。記憶が曖昧だったのだが、すごく重厚なあまり見かけないようなモノだと思っていた。ところが、
アレ、私、同じの持ってます……
ごく普通の、真っ黒な鉄のフライパンなのである。
「ええ、私はずっとコレなんです。調理器具屋さんだったらどこでも売ってるものですよ」
――どこのメーカーという指定もないんですか
「ないですよ。鉄のものならいいんです」
――フツーの鉄のフライパンですね?
「ええ、フツーのフライパン」
――ほかに選択肢はない、ということなんですねえ、かっこいいです。
「選択肢というより、フライパンと言ったらコレなんですよね。ホテルでも大概コレを使ってますし、ずっとコレ」
――私も同じの持っています
「あ、でもご家庭だったらフッ素加工したもののほうが焦げないしいいですよ。コレは手入れをちゃんとしないといけないから、安いフッ素加工のを買って加工が剥がれたらすぐ買い換える」
魔法使いは、素人は魔法の杖を使いこなせないことをよく知っているのである。
さて、中澤さん、フライパンを左手に持ち、ビーフストロガノフをあっという間に仕上げてしまう。炒めて、焼いて、煮てという3つのプロセスが、真っ黒な普通の鉄フライパンのなかで、すべての材料がビーフストロガノフというゴールを知らない無垢な心持ちのまま、一気にしあげられていく。ガシッガシッと、時折五徳に触れる音が踊るフライパンに見惚れている私に喝を入れる。
「どうぞ」と、目の前に透明なビニールシート越しに出されたのは生クリームで最後の仕上げを施された、全人類の食欲を呼び覚ますかのような香りを漂わせたビーフストロガノフであった。玉ねぎの甘みと良質の肉の歯触りと旨い汁気があいまって、一口食べたらこれを喉の奥に送ってしまうのが惜しい。旨い。これこそ魔法のなせる技なのだ。ずっと食べていたい。なのに瞬く間になくなってしまった。
そして、この、おいしさが生まれたのは、あのごく普通の鉄のフライパンのなかでのことなのだ。
「今日はタイミングがよかったんですよ、さっき使ったのはデビューしたばかりの4代目なんですよ」
中澤さんが二つのフライパンを手にして打ち明けてくれた。右手にはビーフストロガノフを作ってくれたフライパン。左手には、鍋底が波打った年季もの。2、3人は泥棒を撃退したくらいに、デコボコしている。似ているけれど違う。まるで、よく似た祖父と孫。
「一つがだいたい10数年でダメになるんです。毎度使ったら真っ赤になるくらいまで焼いて水につけて焼き入れするんですよ。そのうちに、だんだん鍋底が薄くなっていってべこべこになるんですねえ。そうしたら新しいのに交換するんです」
そう言って見せてくれた古いフライパンと4代目のフライパンを手に取ると、たしかに重さもかすかに違う。新しいほうが重い(気がした)。
表面を見ると、さらによくわかる。芯まで油が染みた古いフライパンは漆黒。墨痕鮮やかな山寺の山門の扁額のようだ。くらべて四代目の美しさは、染みていく油がかすかにマーブル模様を描いていて、妖艶な太刀のよう。
「買ったらまずは強火で徹底的に焼いて錆止めを落とします」
徹底的とは、鍋底にフッと息を吹きかけたら黒い煤がふわっと飛んでいくくらいに焼き込むことだという。コレ、素人はなかなかできない。その後は、水に入れて焼を入れる。で、これをちゃんとやらないと
「ムラができてしまうんですよ。満遍なく焼いていかないと、ムラができて、鍋の表面が均一な火加減になってくれないんです。卵なんか焼くと、鍋底のムラがそのままコゲつきになっちゃうんです」
そして、年に数回、焦げをしっかり落とす手入れをする。これを1969年から、ずっとこの厨房で繰り返してきた。魔法の杖は一日にしてならず。
「フライパンだけじゃなく、いろんなものが、そんなに変わってないですよね、ここは」
半蔵門でこども時代を過ごし、いまの隼人町に米軍住宅のパレスハイツがあったあたりで、魚や虫を捕り、あとは(内容は内緒の)イタズラの限りを尽くす腕白小僧の時代を過ごした。そんな頃、間近で見たコックの、その姿に憧れをいだいて料理人の道へ。24歳で独立したが、すぐつぶれてしまうのではないかと考えていたという。
ところが店は大繁盛。以来、東中野の密かなランドマークとして存在してきた。そして中澤さんは、フライパンの縁を指先でなぞりながら言った。
「3代目か、4代目、どっちかだけど、どの道このフライパンが最後のフライパンですね」
だめです。何年も不義理をしていた私が言うのもなんだが、ここにずっとなくてはならない店なのだ、「ito」は。そして、ものに終わりがあるのは道理だけれど、ここはちょっと例外な気がするのだ。なにしろ中澤さんには、魔法のフツーの杖があるのだ。
文:加藤ジャンプ 写真:岡本 寿