名古屋で独自の進化を遂げ、地域密着で愛されてきた「名古屋カレーうどん」。独特のスパイス使いで、従来の和風テイストのカレーうどんとは一線を画す。そのルーツを辿れば、意外な事実がわかってきた。
カレーうどんにはふたつある。
「名古屋カレーうどんか、それ以外か」
ROLANDさん風に言えば、そうなるかな。
そもそも、カレーうどんは名古屋生まれではない。
東京は早稲田の「三朝庵」が発祥と言われていて、その誕生は明治時代後期、100年以上も前の話だ(ちなみに「三朝庵」は卵でとじるかつ丼の元祖としても名高いが、残念ながら平成30年に店を畳んだ)。
けれども、名古屋のカレーうどんは「三朝庵」の系譜ではない。
カレーが違う。決定的に違う。
とろみをつけて和風に仕上げるカレーではなく、スパイスの効いた刺激的なカレーでうどんを包み込む。それが、名古屋カレーうどん。
さて、何事にも始まりはある。 名古屋のカレーうどんにだって、ある。
ルーツは「本店 鯱乃家」。
なんだけれど、始まりの話をすると、いささか複雑になるのが名古屋のカレーうどんである。
「本店 鯱乃家」は、その昔「若鯱家」という屋号であった。創業は昭和51年。ややこしいのは、その後に「若鯱家」という同じ名前の名古屋カレーうどんチェーンが誕生したこと。いまも存在している。さらにその出自がそもそもの「若鯱家」と関係するというから厄介なのだ。
平成4年、本家の「若鯱家」は暖簾を「本店 鯱乃家」に変えた。法律上の問題に依るところが大きかったようで、いま「本店 鯱乃家」とチェーン展開をする「若鯱家」はまったく関係がない。
もともとの「若鯱家」で生まれたカレーうどんが人気を博し、スパイスを使ったカレーうどんが名古屋を席巻して、名古屋カレーうどんというジャンルが形成されていく。なので正確に言うと、名古屋のカレーうどんは(元祖の)「若鯱家」生まれの「本店 鯱乃家」育ちとなる。
「屋号は変わっても、カレーうどんの味は当時から変わっていません」と「本店 鯱乃家」店主の種田光秀(おいだみつひで)さんは言う。
鶏ガラと香味野菜でとったスープと鰹節でとったスープをかえしと合わせ、いくつかのスパイスを配合した特製のカレースパイスを加えて完成するカレー。具材は豚肉、油揚げ、ねぎ、蒲鉾。コシのある太めのうどん。すべてが不変なのだ。
しかし、創業当時の話になると、心許ない返事が返ってくる。
カレーうどんは40年以上ずっと変わらないけれど、店主は代替わりを繰り返し、気がつけば店の歴史を知る者は誰もいなくなっていた。種田さん自身、何代目の店主なのかはっきりわかっていないという。どのようにして、名古屋で独創的なカレーうどんが誕生したのか。いまとなっては藪の中というわけだ。
伝え聞く店の歴史は曖昧だけれど、ひとつだけ確信があると、種田さんはいう。それは、創業時から受け継がれるカレーうどんのレシピ。逆にそこに驚く。
「本店 鯱乃家」を元祖にもつカレーうどん。なぜ名古屋の地で愛されるようになったのか。種田さんはどう思っているのだろう?
「考えたことがなかったです。食べておいしい。それで十分じゃないですか」
返ってきた答えは実にシンプル。
おいしいから。
とろっとしたスパイス香るカレーに、もちもちの太麺がからむ。食べ始めたら、もうとまらない。見ていると、ほとんどの客が、カレーうどんを注文する。はふはふとうどんをすすりながら、最後の一滴までカレーを飲み干して帰っていく。杖をつきながら店へと入ってきた老人が、ボリュームいっぱいの丼を平らげている。汗をふきふき、箸を動かすおじさんもいる。制服姿のOLさんが一心不乱に丼に向かっている。厨房では、種田さんがせっせとカレーうどんをつくり続けている。
どこでにもありそうで、ここしかないカレーうどん。
やはり、うどんは「名古屋カレーうどんか、それ以外」ということか。
文:エベターク・ヤン 写真:小原孝博