新潟にしかない焼きそばがある。町おこしやB級グルメを狙って生まれたわけではない。昭和の半ばから、ファストフードなんて言葉もなかった時代から、当たり前のようにずっとある。その名を「イタリアン」という。
40数年前、小学生だった僕は土曜日になると「イタリアンが食べたい!」と、駄々をこねたものだ。
当時はいまと違って、週休1日。土曜は半どんで、給食はなし。母親が昼ごはんの用意をしているかどうか。そこがイタリアンへのひとつのハードルだった。
「ただいま。お昼、なに?」
「ごめんごめん。まだ用意できてない」
この瞬間を逃してはいけない。一気呵成に攻めるのだ。
「イタリアンにしよう。イタリアンがいい。イタリアン、イタリアン、イタリアン」
僕はしつこい。根負けした母が「わかったから、イタリアン食べてきて」と言ったら、破顔一笑。小銭を握りしめ、イタリアンを目指して走り出す。
イタリアン。それは、主に新潟県の新潟市から長岡市にかけて、食べ継がれている郷土料理(と言ってもいいと僕は思っている)。
供するのは「みかづき」。県内で20店舗ほどのチェーン展開をしているファストフード店だ(新潟にはもうひとつのチェーン店「フレンド」にもイタリアンがあるけれど、今日は元祖の「みかづき」の話を。「フレンド」のことは、いつかまた別の機会に)。
どんな料理かと言えば、トマトソースがかかったソース焼きそば、である。
いくつもの?が頭に浮かびますよね、きっと。要諦は三つ、かな。
第一に、イタリアンという言葉に騙されてはいけない。
第二に、トマトソースとソース焼きそばの相性を疑ってはいけない。
第三に、イタリアンがひとつしかないと思ってはいけない。
まず、その名前。新潟でずっと暮らして、高校を卒業して初めて東京で生活をすることになった僕は、かのイタリアンがどこにも存在しないことに驚いた。
世はバブル真っ只中。同級生に「イタリアンを食べに行こう」と誘われ、もしかしてと淡い期待を抱いて足を運べば、テーブルクロスがかかった店内にがっくりと肩を落としたことが、何度かあった。
新潟のイタリアンは昭和35年、甘味喫茶だった「みかづき」で生まれた。三代目店主の三日月晴三さんが、当時の東京で流行していたソース焼きそばを自分流にアレンジしたもので、ネーミングはその時代に人気を博していたナポリタンからの発想だったと「みかづき」営業部長の小林厚志さんが教えてくれる。
続いて、その組み合わせ。小林さん曰く、根本にあるのは、おしゃれ、だという。
その一歩を、ソース焼きそばを洋食に仕立て、箸ではなくフォークで食べることだと三日月さんは考えたようだ。そのためにはナポリタンの力を借りて、トマト風味に仕上げることでフォークを使う不自然さを払拭。さらには、ソース焼きそばには付きものだった紅生姜を白生姜に変えることでオリジナル感を押し出し、ハイブリッドな一品となった。
ちなみに、具合はもやしとキャベツのみ。麺は自家製。そして太麺。
なんと言っても、驚くべきはイタリアンの変幻自在さ。代表的なのはカレーイタリアンとホワイトイタリアンである。トマトソースの代わりにカレー、またはホワイトソースがかかっている定番メニュー。さらには、越後みそイタリアン、和風きのこイタリアン、梅カツオイタリアン、ボロニア風イタリアンなどなど、期間限定でさまざなイタリアンが登場する。どこの国の食べ物か、もはや想像すら出来ない。
僕が子供の頃は、定番のイタリアン以外はカレーとホワイトしか存在していなかったことを思うと、時を経て進化するイタリアンが誇らしい。
もちもちの太麺に、キャベツともやしの食感。どこにでもありそうで、ここにしかないさっぱりとしたソースの味わい。そこに、クリーミーなトマトソースがからまって、イタリアンという名の唯一無二の焼きそばが完成する。
懐かしい。新しい。愉しい。面白い。変。おかしい。
イタリアンに適当な形容詞を考えると、なんでもいいかなと思えてくる。超越しているのか、曖昧なのか。それがイタリアンなんだと、納得する。
いまも帰省をすると、僕はイタリアンを食べる(食べたくなる)。食べずに東京へと戻れば、故郷に帰った気がしないから困る。忘れ物をしたような気分。
こうまでイタリアンを偏愛しているのは、僕だけではない。実は同じように思っている新潟県人は少なくないのだ。たとえば、昔からの友人と帰省の話をした後に、イタリアンを食べたかどうかを確認することが多々ある。聞けば、誰もが自分の子どもにも食べさせているから、イタリアンは自然と受け継がれていく。やっぱり、郷土料理なんだと思う。
「新潟の郷土料理はイタリアン」
このよくわからない感じが、またイタリアンらしい。
文:エベターク・ヤン 写真:石渡朋