春の選抜高校野球が中止になった。出場を決めていた球児たちの無念さを思うと、つらい。つらすぎる。甲子園球場の近くで、和菓子店を営む「桔梗堂」には野球にちなんだ銘菓を愛でながら、いつも通りに野球が開催される日を切に願う。
プレイヤーではない私にとって、野球は観るもの、そして食べるもの。
甲子園には、その名も「球宴」という野球和菓子がある。
「野球のボールをイメージしたすり種で栗、胡麻入り自家製こし餡を求肥で包んだものをサンドしております」と、製造販売元である「桔梗堂」の店頭にはある。
求肥の柔らかさ、こしあんの甘さ、胡麻の香ばしさを、すべすべとした手触りの白球でそっとはさんだ、凝った構成。しっとりしていて、渋いお菓子。
発売されたのは30数年前で、年間3~4万個はこしらえているという。甲子園球場の収容人数にはちょっと足りないけれど、我らが埼玉西武ライオンズの本拠地であるメットライフドームがちょうど埋まるくらいの個数である。
いつぞや、この「桔梗堂」のInstagramで、バレーボール型の薯蕷饅頭の写真を見た。お客からの注文を受けてつくったものだそうで、特注薯蕷饅頭シリーズとしては、野球のボール、それにテニスボールもつくったことがあるそうだ。
インスタを見て不思議に思ったのは、ボールの球体を再現できる薯蕷饅頭や、最中ではなくて、なぜ、こういうスタイルの野球菓子をこしらえたのか、ということ。
「桔梗堂」は戦後間もなく、いまと同じ場所、甲子園筋沿いで開業した。
初代の高尾伝右衛門さんは、菓子職人ではなく、菓銘を考案したり、包装紙の原案を描いたり、店の輪郭をつくることに尽力した人だったという。
「祖父は風流な人でした」と、三代目の高尾哲司さんは言う。
「俳句詠んだり、利き茶の大会で優勝したり」
「球宴」を買い求めると添えられる栞にある文章も、伝右衛門さんによるもの。西宮の町の風景からはじまる、ロマンあふれる菓子エッセイの〆の一文をここに引いておきたい。
「正々堂々と公明に勝負を競う運動精神、即ちスポーツマンシップこそ明るい街の象徴とも思いますので悔なき戦いを終えた爽快なひと時を讃え“球宴”と銘しました」
そう、「球宴」との名付け親は伝右衛門さん。お菓子そのものを考案したのはその息子であり、哲司さんの父でもある、二代目の泰三さんだ。
「甲子園には野球場はあっても名物のお菓子はなかったんです。で、ちょうど夏にはお菓子屋も暇だったんで、なにか土産物になるような野球に因んだお菓子はと、いろいろ考えて、つくってみたんです」
ちなみに「桔梗堂で一番人気の、冷んやりした白玉入りのおしるこ「白珠知故」も、忙しくなかった夏場に考案された品とのこと。その「白珠知故」は春から晩秋までの季節もののお菓子だけれど、「球宴」は本来の野球シーズンである春夏秋にもうひとつの季節を加えた通年のお菓子であることをあらわすために「春夏秋“闘”」との言葉をパッケージに入れた。それもまた、伝右衛門さんのアイデア。
「球宴」のスローガン「春夏秋“闘”」は、透明な袋の上に、渋い緑色で刷られている。もちろんグラウンドの芝の色でもあるし、抹茶の色でもあると思わせられるのはやはり正統派の和菓子だからだ。お茶席のためのお菓子をつくり続けてきたお店ならではの。
「桔梗堂」のすぐ前の道を1975年まで走っていた路面電車が、大正末期から戦後まで人気を博した海水浴場と街をつないでいたこともあり、かつてこの界隈には旅館が多かった。「僕が高校生の頃まではいっぱいありました」と言う哲司さん。高校球児の宿としても愛されていたという。「野球の大会のときには、よう注文いただきました」と、泰三さんは振り返る。
泰三さん、哲司さん父子は、話の調子がおっとりとしていて品のよいところがよく似通っている。
「球宴」用の、ボールの縫い目模様を入れるための焼印がちょうどよく温まった頃合いとのことで、店の奥にある工房を見せてもらう。
一度にあんこ40kgが炊けるという大きな羽釜があって、その中で「明日の分のあんこ」の準備が着々と進んでいた。
「水を張って小豆を漬けてあります。水が冷たいとどうしても冬場はひと晩で膨らまないんで今はお湯ですね。あんこはほぼ毎日炊きます。うちの場合、あんこの渋を極限までとってしまうような炊きかたをしてます。できるだけ渋が皮に染み込まないような段階で水をかえてあげて、という感じのつくり方です」
ちなみに小豆は岡山・備中産。
さて、「球宴」をこしらえるところを、写真に撮らせてもらう。
白色の正円のすり種を一枚置き、求肥に包んだこしあんに、糊代わりの蜜をほんのちょっと付けてから、載せる。その上にもう一枚すり種を載せてから「焼印でつぶしてあげるような感じ」で、シームの模様を付ける。ひとつひとつ、手作業だ。
今更かもしれないが「すり種」とは、お菓子をただ食べているだけのこちらにはあまり耳慣れない名称だ。噛み砕いて言うならば「最中の皮の薄いの」とのこと。最中の皮=最中種を中心に、餅米からつくる和菓子の材料を専門に製造する会社から仕入れている。
――つづく。
文:木村衣有子 写真:佐伯慎亮