蔵人のリミットは1週間。シンデレラよりは長いけれど、あっという間に仕込みも終盤戦。楽しくもあり、しんどかった日々も終わる。寄り添いながらの酒造り、気がつけば、母の気分。
洗米も蒸米も引き込みも製麹も2度目なら、初回よりうまくできる。米袋も介助なしで担ぎ注げるようになったし、熱い米のほぐし方もスピードを増し、ゼロ戦の響きもよくなった。自己評価だけど。
しかしこれまではまだ液体を扱っていなかった、ということにこの日気がついた。私たちdancyu webチームが佐渡島入りする前、仕込んでおいた酒母をタンクへ移す日だ。これを「酛おろし」と言う。
酒母とは、文字通り酒の母となる酛(もと)。来るべきアルコール発酵に必要な、元気な酵母を育むための工程である。速醸仕込みの場合は水、麹、蒸米、酵母に乳酸を加えるが、今回のd酒は乳酸を使わない山廃仕込み。水、麹、蒸米に熊本9号酵母だけで約半月、学校蔵の尾畑酒造チームで酒母を育ててくれていた。
酒母タンクを覗くと、桃みたいな香りがする。中野杜氏曰く、「穏やかな酒母」。じつは杜氏も、熊本9号酵母を使うのは初めてである。
学校蔵では、米も酵母も基本的に佐渡島、または新潟県産の原材料で日本酒を造っているからだ。ただし、佐渡島や新潟に縁(ゆかり)のあるものならOK。
2018年のd酒に使った酵母は14号。能登の酵母だが、佐渡島の酒は北前船の影響で能登の酒に近いという縁。今年の熊本はと言うと、なんと佐渡おけさ。熊本県天草市の民謡、牛深ハイヤ節が北前船による交流で伝わったという説が縁だ。
酒母を仕込んだ小さなタンクから大きなタンクへ、酒母を移すのはバケツリレー式の手作業である。把手の付いた桶で酒母を汲み、片手で把手、片手で桶の底を持って運ぶのだが、2度目の桶を運ぶ際もその手を換えてはいけない。
つまり、右手で把手、左手で底を持ったならずっとその配置。たとえば桶を渡す際に、把手用の手で底を触ることもNGである。
インドのカレーのように、清浄と不浄の観念がここでも当然生きていた。
先に山廃は乳酸を加えないと書いたが、それは自然界の乳酸菌を取り込み、自然な乳酸を生むためだ。その環境をつくるべく、山廃造りでは水麹を造る。麹に水を加えてその酵素を溶かし、その後に蒸米を投入するという順序。酵素の働きによって米を溶かし、乳酸を発生させて酵母を増やす仕組みである。
この水麹造りを、酒母を入れた大きなタンクで行う。麹を加え、水を加え、櫂でジャバジャバと元気よく撹拌。担当したdancyu web蔵人、沼さんによると、高いハシゴの上で、重い櫂を動かすにはかなりの力が要るそうだ。バランスも崩さないよう気をつけながら櫂を押し引きすると、どうしても力が入りきらず、勢いがつかない。
つくづく、酒造りには体幹筋肉が必要だと思う。
最初は夏休み気分だった蔵人生活も、中盤を過ぎると「労働」の刻印があちこちに押されていることに気づく。お泊まり以降、毎晩の寝落ちと、しかし4、5時間じゃ回収できない睡眠負債。毎日大量の汗をかくから洗濯は必須だし、この原稿を書くための日記も、夜に1日分のできごとを思い出してつけておかなくちゃいけない。仕込み室では、清浄な手でノートと鉛筆を持てないから。
何より、筋肉痛である。とくに胸筋。大した働きはしていないというのに、腕から肩、胸にかけての痛みがひしひしと。米袋を担ぐのも、櫂で押し洗いする布の洗い物も、洗米を持ち上げるのも、そう言えば圧倒的に上半身の仕事だ。
バストアップに効くだろうか。なんて余裕はだんだんなくなって、なぜ湿布を持ってこなかったかと後悔するばかり。
蔵の仕事は重労働だ。と今まで書いてきた原稿に間違いはなかった。
暑い麹室から、一気にぶるぶる冷える仕込室へ移っただけで、しばらくするとクラクラするくらいの温度差でもある。本番の、冬場の酒蔵はいかばかりか。
dancyu webチームの疲労が色濃くなってきたラスト2日。もう何度目かになる蒸米と放冷を行った。格段に手際がよくなったのだが、すると人は自分で勝手に判断してしまうものらしい。
だいぶほぐれたな、もう冷めたな、と手を止めた私に、「もっと手を入れて」と瀬下先輩。温度計を見れば32度とある。この蒸米は冷えた水麹のタンクに入れる用だから、完全に冷まさなければならないのだった。慣れってこわい。
蒸し米は、冷えるとだんだん軽くねちっとついてきて、さらに冷えると手ばなれがよくなる。そこからさらに、しつこくしつこく手を入れてほぐすのだ。
ここで疑問である。
「ある程度ほぐれたら、そのまま放置すれば勝手に冷めるのでは?ほぐすのは、表面積を増やして溶けやすくするためですか?」
瀬下先輩に訊ねると「米を均一に溶かすためです」と返ってきた。
「塊があると、そこだけ水分が溜まったり、温度が不均一になるから」
そうだった、均一、均等の大原則。駄目だ、すぐ忘れちゃう。
それにしても、瀬下さんといい高津さんといい、蔵人は仕事が綺麗である。米袋は、次の人が抱えやすいよう、注ぎやすいよう袋の口をきちんと折り込み、使い終わったらすぐ畳む。その畳み方が、私たちと違ってぴしっとのばし、きっちりと角を揃え。
厳しさを持って酒と向き合う、彼らは気合いが違う。というか、それが「蔵人である」ということか。私が学ぶべきは技術より工程より、この姿勢だったのだ。
とようやく気づいたところで、東京へ帰る時が来るのである。振り返れば、この7日間自体が蔵人への道エピソード・ゼロみたいなものだった。
最後の日、最後に麹の手入れをした時、麹米を一粒もらって噛んでみた。すでに全体が白く覆われた麹米は、すこしほろっとした食感で、酸味も生まれている。お酒の赤ちゃんなんだな、と思う。
「酒母は最初穏やかだったのに、酵母が爆発中。今回のd酒はやんちゃですよ」
中野杜氏によると、熊本9号酵母は思った以上に進みが早いのだそうだ。去年のd酒は優等生だったけれど、今年は素晴らしい出来になるのか、暴れるか、らしい。どんな子でも元気なら上々。暴れても愛せると思うよ、母は。
おしまい。
文:井川直子 写真:大森克己