酒を造るということは、いきものがかりになるということでもある。日々、成長して変わっていく様子を付かず離れず見守っていく。時には、夜通し目が離せないこともあるんです。造るというよりは、成長を手助けするというために、ザッツ・オールナイト。
今日は洗米である。あれ、米を蒸す前に洗米だったのでは?と疑問を持たれた方のために説明を。
酒造りの作業は、順を追うと精米から始まり、洗米、浸漬、蒸米、放冷、製麹、仕込みへと進んでいくが、実際の蔵での作業はかなり複雑怪奇である。
というのも、仕込みでは酒母を造り、学校蔵の場合は三段仕込みにする。一段目の「初添」では酒母、水、麹、蒸米を合わせ、二、三段目の「仲添」「留添」ではそれぞれに、水、麹、蒸米を加えていく。
ここまで、大丈夫ですか?
つまり蒸米と言っても「麹用」「酒母用」「掛米用」があり、さらに「初添用」「仲添用」「留添用」がある。洗米についても同じこと。だから現場の作業は「今日は酒母の麹用の洗米と、留添の掛米用の蒸米、仲添用の製麹」などが精密にプログラミングされていて、それを複数のタンクで行っている。
この日は、留添の麹用の洗米であった。65kg分の五百万石を11kgずつ小分けにし、一袋ずつ洗米機へ運ぶ。遠心力を利用した水流で洗う、米にダメージの少ないマシンである。
蔵人が回転させ、「はい!」という合図でdancyu web蔵人が一人ずつ米を注ぐ。最初はさらさらさら、とやさしく、水が八分目当たりに達するまでには全量注ぎ切ること。簡単。いつもノートブックパソコンと電源と資料とノートとレコーダーを持ち歩いているから重いのは慣れている。
と思いきや、米袋を持ち運べはしても、マシンの高さまで持ち上げられない。米11kgをあなどるなかれ、米の重さは何かこう質が違う。
本日の先輩蔵人、高津知幸さんがすかさず助っ人してくれた。私よりずっと細いのに11kgを片手でひょいと掲げ、さらさらさら。かたじけない。
約1分後、マシンからざーっと流れ落ちる米は、風呂上がりのようにさっぱりとして、白く変わった。これをザルと網袋で受け、網棚に揚げておく。すべての量を洗い終えたら、米に水を吸わせる、浸漬(しんせき)の工程だ。
半きりに水を張り、女性は2人1組で網袋を持って構える。ストップウォッチを持った蔵人の、「よーい、スタート!」でそれを水に漬ける。
不思議なことに網袋を沈めた途端、ごくごく水を飲んだ米は一層白さを増した。今度は風呂上がりなどでなく、内側から何か、輝きが放たれている感じである。
浸漬時間は杜氏が米の様子を見て決める。黒い板に米をかざして状態を確認した中野さんが時間を告げ、蔵人の「よーい、はい!」で引き上げ。で、1分そのままストップモーション。
しかも前掛けに網袋を接触させてはいけない、という結界ルールがあるから、やや前のめりの踏ん張りづらい体勢になる。dancyu webチーム一同、眠れる上腕二頭筋を使い、耐える。1人で持っている男たちの腕がプルプル震え始める頃、再びの合図で、網棚へ下ろすことができた。網棚は斜めにしてあり、水が切れやすくなっている。
それにしても、水が豊かな国だからできるお酒だ。米を洗い、米に吸わせ、余分を切り、仕込みに使い、タンクも道具もじゃんじゃん洗う。酒になる水より、流す水のほうが断然多いかもしれない。
さて、麹室で昼寝していた麹米のことを憶えているだろうか。これから入院患者の検温のように定期的に温度を測り、夜は泊まりで麹の面倒を見る。なんと2時間ごとに起きねばならないという。
1人1箱、自分の担当を決めると、私は密かに、麹だから「コジコジ」という名前をつけた。イタリア語で「まあまあ」という意味。2時間おきはつらいけど、名前をつけると途端に可愛くなるものだ。
15:30。麹室の前の部屋にもう、ふわりと麹の香りが漏れている。どーれ、様子を見せてごらん、コジコジ。朝よりも米に白い部分が増えている。これが麹菌の繁殖か。
20:30。麹室の香りはますます強くなっている。コジコジは33度。麹菌がしっかり米に根を下ろしたのか、白い部分もだいぶ広がった。お酒に近づいているんだな、というわくわくが高まる。
このタイミングで「仕舞い仕事」といわれる、箱の中の麹米に畝(うね)を作る作業をする。菌の繁殖に必要な酸素を吸わせるため、空気に触れる面積を大きくするのだ。手を麹にすいーっと泳がせて、美しい畝を目指した。元気にすくすく育ってほしい。
23:30、1:00、3:00、5:00。およそ32度で安定。
1:00の検温の後、学校蔵の外から「星が綺麗ですよ」という声がした。窓から見える大きなシルエットは中野さんだ。
みんなでぞろぞろ校庭へ出ると、深く真っ暗な闇である。そこから一転、見上げればぱーっと星灯り。天の川を見たのはいつぶりだろう。流れ星が数分おきに流れる、と言って「ほらまた!」とみんな声を上げるけれど、視力の弱い私にはちっとも見えない。
「どこどこ?」
「こっち!」
「えー、どこどこ?」
お願いしたい。叶えたいことがたくさんある、という欲深さが阻んでいるのだろうか。結局一つも見えなかった。
それぞれの思いで星を見つめた後、みんなハンモックなどで仮眠をとった。しかし2時間なんて小刻みでは眠れない。だいたい私はロング・スリーパーなのだ。一度寝たら長くなり、短時間では起きるほうがつらいから昼寝も嫌い。
誰かの寝息を聞きながら、そっとパソコンを開いていると、いつの間にか窓の外にはピンクの朝焼けが広がっていた。
文:井川直子 写真:大森克己