わかったつもりでいたり、周囲の意見に流されたり、どちらかと言えばわかっていなかったり。情報が錯綜する昨今は、自分の目や耳や舌で知る前に、すべてを知ってしまったかのような気になるけれど、それでいいのかなあ?
新宿の「思い出横丁」はいまではすっかり観光地になって、外国人が押し寄せているが(コロナ自粛が始まる前です)、それでもかつて戦後闇市だった気配は黒い影のように残っている。その頃から続いている「岐阜屋」のラーメンは、東京でも最安の部類だろう。新宿駅前の一等地で一杯430円だ。粋だな、と思う。しかも職人は平ザルで麺の湯切りをする。ますます粋だなぁ。
さあ、きた。
うーむ、信じられない。これが税込み430円か。平ザルの職人技でつくられたものがマクドナルドのバリューセットより安いなんて。
スープをすすると、えっ?と意外に感じた。ベースは鳥ガラだと思うが、煮干しがかなり強く香るのだ。最近のラーメンの味だ、と思った。
いちおう断っておくと、僕は高校までは故郷の和歌山で、それから京都、大阪、広島で暮らした。つまりずっと西日本で、豚骨系のラーメンしか食べていなかったのだ。魚介系の食材をスープに使ったラーメンは、1980、1990年代当時、少なくとも僕のまわりには皆無だった。
東京に来て荻窪の「春木屋」で煮干しの香るラーメンを食べたときは衝撃を受け、さすが東京や、モダンや、と興奮した。しかし「春木屋」は昭和24年の創業から基本の味を変えていないらしい。
東日本では昔からラーメンに魚介も使う、といまでこそ知識として知っているが、西日本育ちの僕の舌には、煮干しの香るスープは“懐かしい味”ではなく、圧倒的に“いま風の味”なのだ。
だから「岐阜屋」のスープを飲んだときは反射的に現代風だと感じたし、それが意外だったので、ついこう訊いてしまった。
「スープは昔とは違うんですか?」
「ずっとこうだよ」
「えっ、昔から煮干しを?」
「そう」
しかも麺は平打ちで、あの“よくあるタイプ”じゃなかった。
そう、正直、この値段だから、昭和な大衆中華店(“町中華”というよくわからない言葉は使わない)で出されるあのテンプレートのラーメン――シンプルな鶏ガラ醤油スープにストレートの細麺――を想像していた。
訊けば自家製麺だという。
ところで後日、ネットで「岐阜屋」の口コミを何気なく読んでいると、あれ?と首を傾げた。誰も彼もが「スープは鶏ガラ」と書いていて、煮干しの文字がないのだ。違和感を覚え、なかば意地になって探すと、ようやく1件だけ煮干しに言及している口コミがあったが、それっきりだった(全部の口コミを見たわけじゃないが、100件以上は見た気がする)。
味覚に絶対の自信があるのか、「スープは鶏ガラ」と断定し、「合格点はあげられる」などと書くような、お前は一体どこの審査員やねん、と言いたくなる大勢の“神”たちは、なぜ煮干しに気付かないのか。
読んでいるうちに、自分が間違っていたんじゃないかとさえ思い始め、実はもう一度「岐阜屋」に食べにいったのだ。でスープを飲んだ瞬間、バッと顔を上げ、叫びそうになった。
「思いっきり煮干しやんけ!」
念のため、調理人のおじさんにも再度確認したら、「ええ、煮干し、結構入れますよ、うちは」という返事だった。
「ですよね」と僕は相槌を打ち、ネットの口コミでは誰も煮干しに気付かないみたいですよ、と先生に告げ口する生徒のように言ったら、「え、そうなの?そういうの読んだことないからなあ」とおじさんは笑った。
「岐阜屋」の店内に戻ろう。予想がいいほうに覆され、「これが430円かぁ」とますます信じられない思いでラーメンをすすった。
店自体もなんというか、新宿にずっと根を張ってきています、という雰囲気で、やっぱり“粋”な感じがするのだ。店員のちゃきちゃきしたお姉さんは、常連と思しきおじさんと、昼間から男女の営みの話をしてはカラカラ笑っている。そこへ中年カップルが「ふたりですけど」と入ってくる。ちゃきちゃき姉さんは「あいよ、カップルシートはこちらぁ!」と何の変哲もないカウンター席を指す。僕はツボにはまってひとり肩を揺らして笑っている。
彼女のTシャツには「木耳玉子炒め」「蒸し鶏」「餃子」などと一見して手書きとわかる文字が書かれていた。
お会計の際、「それって自作Tシャツですか?」と訊くと、彼女はハァ?と片眉を上げながら言った。
「自殺Tシャツ?」
粋だねぇ!
――つづく
文・写真:石田ゆうすけ