日本の歴史を語る上で、関ヶ原は重要な地である。しかし、その実態はよく知られてない。いや、もしかすると3人で140歳のおっさんだけが知らないだけなのだろうか。知らないのなら知りたい。時間はないけれど、好奇心はある。またしても途中下車。いざ、関ヶ原!
編集担当の“痛風エベ”がスマホをいじくりながら言った。
「予備時間はあと30分だけですね」
青春18きっぷの効力が切れる夜中0時まで、めいっぱい普通列車に乗って堺にゴール。そのプランから逆算すると、あと30分、時間の余裕があるというわけだ。堺では深夜0時に開店する謎の天ぷら屋を調査するというミッションがある。何かトラブルがあって辿り着けなかったら目も当てられない。ゆとりをもって30分早めに堺に着いておこう――とは考えない。青春の旅だから。「計画的」とか「用心」なんてもってのほか。「破れかぶれ」「いてまえ」「けせらせら」。やっぱ青春はこうでなくっちゃ。
ということで関ケ原で降りることにした。誰もが知る地名だけれど、どんなところか3人誰も知らなかったから。
21時17分到着。
駅構内に〈世界三大古戦場〉と書かれたパネルがあった。
「世界三大……誰が決めたんだろう?」
「関ケ原の戦いを知っている外国人ってどれだけいるんでしょうね」
駅を出ると、ちょっと意外な光景が広がっていた。
「真っ暗ですね」
「もっと観光地かと思ってました」
古い町並みを求めて暗い町に入っていく。するとさすが“世界三大”、ここが古戦場だったことも、関ケ原だということも、町を歩けばすぐにわかるのだ。
「……説明的すぎません?」
「いや、わかりやすいから正解なんでしょう」
各武将の家紋入りの幟が道沿いに立っている。
「この幟、それぞれの陣地跡に立っているんでしょうね」
「そりゃ関ケ原ですからね」
「あれ?藤堂高虎って東軍ですよね。なんで西軍の小西行長と同じところに?」
「家康に寝返ったヤツいたじゃないですか」
「それは小早川秀秋では?」
「東西入り乱れた合戦シーンを表しているんですよ、きっと」
古そうな家はぽつぽつあるものの、町に風情があるかというとそうでもなく、夜の関ケ原はただただ暗いだけだった。
こういう“演出”はちょこちょこあるのだけれど。
もっとも、日中は町も違った顔を見せているだろう。それに2020年7月には「関ケ原古戦場記念館」が満を持して完成する。近くには「関ケ原ウォーランド」という珍スポットファン垂涎のアミューズメントパーク(?)もある。町自体はとても楽しそうなところなのだ。
というポジティブな話題で、この旅最後の途中下車を締めくくろう。
関ケ原から米原行きに乗って約20分、さらに米原から快速で約1時間20分揺られると、町の明かりが視界にドッとあふれ、大阪に着いた。時計を見ると23時38分。東京から15時間あまりだ。そんなものか、と思った。もっともっと経っている気がする。いろいろあったもんなあ。濃い1日だった。旅はやはり“体感時間”を延ばすのだ。
南へ向かう列車が入ってきた。
ゴールの堺市駅には0時9分に着いた。青春18きっぷのリミットは0時を過ぎて最初の駅までだから、ぎりぎりセーフだ。
と思っていたら、後で知ったのだが、都市圏は最終列車まで有効らしい。じゃあ関ケ原にもっといられたじゃないか!とは、なぜか思わなかったのだけれど……。
――つづく。
文:石田ゆうすけ 写真:阪本勇