佐渡のパン屋「T&M Bread Delivery SADO Island」。県外からもお客が訪れ、都内へ出張販売すれば行列必至の人気を誇る。今日は、佐渡の中央部エリアの真野新町にある「Silt(シルト)」での出店日。噂のパンを買いに行った。
佐渡に、全国にファンを持つ小さなパン屋がある。
今日は、月に1度、真野地区にある植物と洋酒の店「Silt」の一角にそのパン屋が出店する日である。
パン屋の名前は「T&M Bread Delivery SADO Island」。島のみんなは「マーカスのパン屋」と呼んでいる。
ニューヨーク出身、パーカッショニストでもあるマーカス・ソトさんと、島根県出雲市出身の山崎智子さん夫妻が切り盛りする。ふたりの本拠地となる店は羽茂本郷地区にあるが、より多くの島内の人に味わってもらうべく、祭りの会場や他店での出張販売にも積極的に赴いている。
パンは、自身の手で培養した天然酵母、国産小麦、佐渡の水というシンプルな材料でつくられる。素朴なテーブルであろうとも焼き立てのパンが10種ほども並べば、一角はあっという間に賑やかなパン屋になった。
パンにこんな表現を使うのはおかしいのだけれど、どのパンも艶やかで「いきのいい」感じがする。食材のエネルギーなのか、ふたりのパワーなのか、佐渡という土地のせいなのか。生き生きとしたとても“新鮮”な感じがするのだ。
この日も開店と同時にパンを目当てに多くのお客が集やってきた。昼過ぎには大方のパンが売れてしまう盛況ぶり。とくに買った人を狂喜乱舞させるのはこんなパンだ。
智子さん、マーカスさんは、1990年に佐渡島へ移住してきた。
1980年頃にニューヨークで出会い、日本に帰国して結婚。当初は千葉県でアパート暮らしをしていたが、子供を育てていくことやこの先の自分たちのライフスタイルを考え、移住先を探し始めた。
なぜふたりは佐渡に決めたのか?智子さんが振り返る。
「旅行がてら九州から北海道までまわっていました。和太鼓や宮内庁御用達の雅楽の太鼓を製造販売する老舗の宮本卯之助さんからも佐渡のよさを薦められていたこともあって、佐渡には鼓童を見に寄ったんです。日本というよりもっと壮大な“アジア”を感じさせる迫力があって、あまりの素晴らしさに感動してしまいました。それに周りには舗装されていない道があって、木が鬱蒼と茂っていました。夏の空はパキッと青く、花はむせかえるほど咲き誇っていて、なにより植物の色が濃いのが印象的でした。島のパワーのようなものを感じ、翌年には後先考えずに引っ越してしまったのです」
右も左もわからない島の生活が始まる。
智子さんはニューヨークのマクロビの店でデザートづくりをしていた経験を活かし、まずはケーキやマフィンを焼いて一軒ずつまわって手売りをした。定例の朝市では、笊にてんこ盛りにしたドーナツも売った。
4年が経ち、カフェを開店。当時は、島には日本的な柔らかいパンしかなく、ニューヨークでは当たり前に食べていた天然酵母のパンはどこにも売っていなかった。
「ないならつくるしかない」
ふたりはそう決心し、天然酵母のパンづくりを始動。
「広い世代のいろんな人が食べることを考えて、マニアックではなく、佐渡にあるものでつくり始めました」
酵母は、太陽が昇る前にハマナスやねむの木の花、季節の花を摘んで利用したり、ぶどうや島の酒蔵の酒粕を使ったり。小麦粉や塩、水も、自分たちが安心して使えるものを選んだ。りんごにイチジク、カヤの実、干し柿といった果実はどれも地元の名産品だ。
そして2014年には、カフェの形態からパン1本に絞り、「T&M Bread Delivery SADO Island」をオープンさせたのだった。
近年、移住者が増えている佐渡。
大先輩であるふたりは、彼らのよき理解者という一面も持っている。
「佐渡は野菜も水もおいしくて、とてもポテンシャルの高い島です。移住してくる若い人が増えている今が、私たちがこの島に来た時に思い描いていた佐渡に一番近いと思います。やっと、いろんなことが回り出している感じがします」
――「T&M Bread Delivery SADO Island」 了
文:沼由美子 写真:大森克己