囲炉裏。川魚。鰻。燗酒。炬燵。それらが一堂に介したら、それはもう極楽である。しかも昼間っから、飲んで食べてぬくぬく、である。素晴らしき哉「浦佐やな」。夏に訪れるのもいいけれど、冬は冬で楽しいのですね。
桜鱒の目が食らいつかんばかりにこちらを睨み付けている。魚拓が飾られているのは川魚料理の店「浦佐やな」だ。
やなとは漁で使う梁(やな)のこと。川の流れの一ヶ所に堰(せき)をつくって、かかった魚を捕る仕掛けを梁という。この店は目の前を流れる魚野川に梁をもっていて、そこで捕れた川魚を食べさせてくれるという。まさかこの旅で川魚料理にありつけるとは、なんという幸せか。
この店の建物はずいぶん年季が入っている。相当古くから続く有名店に違いない。創業されたのはいつ頃なのだろう?
「大正時代、いや昭和なのかなあ。ちょっと、はっきりしないですねえ」と、店員さんからは素っ気ない答えが返ってきた。古手の店の中には、やたら伝統とか歴史とかを振りかざすところが多いが、この気取りのない感じが逆にうれしい。客も気楽に料理を楽しめる。
ぼくらが通されたのは六畳ほどの小部屋だった。襖を開けると、なんとそこにあったのは炬燵!でした。なんだか、みんなうれしそう。さっそく腰をおろして足を入れた。ホッとして、体も気持も暖かくなる。まるで友人宅に招かれたようなアットホームな雰囲気だ。これで白黒テレビでもあれば昭和の茶の間だ。いいぞ、いいぞ!
品書きを見ながら、みんなそれぞれ好きな料理を注文する。ぼくは鮎の定食に、酒は魚沼の地酒、鶴齢(かくれい)の燗酒を頼んだ。つまみにはうるか(鮎の塩辛)と漬け物だ。お椀は鯉こくをチョイス。
「ぼくは鰻が大好物で、頼んでいいですか?」と阪本さん。鰻?何もここでなくても東京でも食べられるだろう、と思ったが、なんとこの店では、注文が入った魚を囲炉裏端で串焼きするという。なるほど、そうきましたか。囲炉裏端で焼いた鰻なんてめったに口にできないからなあ。
店の人は注文を取り終わると「できるまで1時間ほどかかりますよ」と、ことわって部屋を出ていこうとする。囲炉裏の遠火でじっくり焼くのだから当然のこと。待ちます、待ちます、首をながーくして待っています。だから「先に燗酒とつまみをよろしく」。
よし、これであとは料理を待つだけ。注文が済んで気持ちに余裕が出てきたのか、川の音が耳に入ってくる。窓を開けるとすぐそばに魚野川が流れていた。それはせせらぎの音なんて穏やかなものではなく、ゴーッという重い音だ。暖冬で、川の積雪がないぶん水かさが増しているのだろう。
料理が運ばれてくるまでの間に、魚を焼く囲炉裏を見せてくれることになった。この小部屋のはす向かいに囲炉裏部屋があるらしい。さてどんなものか、さっそくのぞいてみると、真ん中に「まんが日本昔ばなし」に出てくるような、本物の囲炉裏がデーンと設えられていた。本物というのは、毎日火を欠かさず実際に使われているという意味だ。インテリアとして形だけ保存した、いわば「死んだ」囲炉裏は各地の郷土館などでよく目にするが、炭が燃える「生きた」囲炉裏はそうそうお目にかかれない。
囲炉裏の真上に、大きな鉄瓶が鉤(かぎ)に吊されて浮いている。片手で持てそうにないほど大きく立派なものだ。炉の上は吹き抜けになっている。煙を上に逃がすためだろう。高みにある屋根裏は暗がりにかすんでいた。おや、この天井の景色、なんだか見覚えがあるぞ。そうだ、棚田の草刈りの際に泊まった新潟・十日町の古民間民宿「脱皮する家」だ。あそこにもかつては囲炉裏があったのだ。
昭和の初めまで、囲炉裏は田舎の家の必需品だった。暖をとるだけでなく、魚を焼いたり、米や野菜の煮炊きなど竈(かまど)の役目も果たした場所で、まさに家の中心だったのだ。
やおらご主人が囲炉裏部屋にあらわれて、ぼくらが注文した焼き物の用意を始めた。鮎や虹鱒や鰻を串に刺し、炭火のまわりを囲むようにならべて、これからじっくり焼こうというのだ。
みんなご主人の串を持つ手つきを興味津々に見つめている。しかしぼくは、みんなより一足先に退散することにした。だって、もうそろそろ燗酒がやってくるころなのですよ、仕方ないじゃないですか!
部屋にもどると、すでに炬燵の上に徳利やつまみの皿が出ていた。さっそく手酌でお銚子を傾ける。地酒が喉からするっと胃袋におりてくる。旨いなあ。つまみのうるかは、イカの塩辛よりもまろやかで舌に優しい。漬け物は大根のいぶり漬けだ。えっ、もしかするとこれもあの囲炉裏でいぶしたものだろうか?いや、そうに違いない。こりこりと香ばしい味が、また酒によく合う。
いまごろ囲炉裏では、魚たちがおいしい香りを漂わせ始めているだろう。囲炉裏端に腰を下ろし、魚が香ばしく焼ける匂いをつまみに、熱燗で一杯という手もある、と気づいた。これを逃すと、そんな機会は二度とめぐってこないかも。お銚子を片手に腰を上げようとしたが、どうにか思いとどまった。さすがに調理という大切なお仕事の最中にその脇で、ほろ酔い気分でチビチビやるのは申し訳ない。でも、やっぱり囲炉裏端で一杯やりたいなあ。
――つづく。
文:藤原智美 写真:阪本勇