米をつくるということ。
カプチーノで夕食を。

カプチーノで夕食を。

新潟県十日町市松代。2019年、米をつくり続けた地でずっと気になっていた一軒の飲食店。その名も「カプチーノ」。一度は行ってみたいと思いながら叶わなかった願いを成就すべく、2020年、松が取れた頃、各駅停車に乗り込む。夕食は、かの店で。その前に、朝から景気づけの一杯だな。

まず酒で日々の汚れを祓い落とし、それから非日常への旅立ちである

電車

若い頃、いつか大人の旅がしてみたいと思っていた。
大人の旅というのは作家、吉田健一の紀行文にありそうな、たとえば風に吹かれるように、いつのまにか汽車に乗っていた、という始まり方をする。小ぶりのボストンバッグにしのばせたスキットル(携帯ボトル)の口を開けウイスキーをすすりながら、パルミジャーノをかじる、酔いがまわると、窓をあけて風を浴びる、ホームを流す売り子さんから駅弁と凍ったミカンを買う、途中の停車駅で気ままに降りてみる、土地の名物料理に舌鼓をうつ、というようなゆったり時が流れる贅沢な旅だ。

景色

青春18きっぷは途中下車可能な各駅停車の旅。新幹線でまっしぐらに目的地に向かう今風の旅行と違って、どこか吉田健一的だし、それにいかにも風流。これがいい。
しかし最近の鈍行列車は通勤、通学、通院の乗客ばかりになっているから、そこでウイスキーを飲みながら、というのは、どうも憚られる。それで最初の途中下車で朝飲みすることを編集部に強引に申しこんだ。まず酒で日々の汚れを祓い落とし、それから非日常への旅立ちである。だって、これは出張取材ではなく「旅」なんだからね。

壁

たどり着く先は新潟、まつだい駅すぐそばにあるノンジャンルのレストラン「カプチーノ」。dancyu webで連載の「米をつくるということ。」で、米づくりの達人、小林昇二名人から密かに伝え聞いた店だ。コーヒーがないのにこの店名。豆腐入りのラーメンが絶妙にうまいのにこの店名。メグピーという謎のメニューが評判なのにこの店名。ともかく怪しい魅力を秘めた名店らしい。なんとしても、そこで食を堪能し酔いつぶれたい、とたくらんでいる。

看板

今朝は5時にベッドを出て簡単に支度をすませた。東京駅に着いたのは時計の針が朝の7時をまわったばかりだったが、すでに「銀の鈴」の広場は待ち合わせ客でいっぱいだった。予定の8時集合にはまだだいぶ時間がある。ちょっと気負いすぎたか。生来の酒好きだから、平日朝から外で飲むという未体験ゾーンを前に、気分が高揚しているようだ。

銀の鈴

居酒屋ではたくさん料理を堪能しようと、家ではコーヒーといつもの自家製豆乳ヨーグルトだけですませた。だから井之頭五郎のごとく、この時間でもう「腹がへった」。
しばらくすると、写真家の阪本勇さんが、なんとトレーナー姿であらわれた。おいおい1月の雪国に向かう恰好ではないぞ。どうしたのかと問うと、ジャンパーはリュックに仕舞い込んだという。そういえば確かに、この冬の東京は暖かい。今朝もコートはいらないくらいだ。雪景色を愛でる、というのも旅の目的のひとつだが、果たして現地の積雪状況はどうなのだろうか?

天気予報

さらにもうひとつ心配事が。阪本さんの話では、今回同行する江部拓弥編集長は、ついこの間まで足を腫らして歩けない状態だったとか。痛風だね、きっと。あれは骨折よりも痛い。大丈夫だろうか?先行きがいささか不安だ。
と言っているうちに、江部さんがあらわれる。足の痛みも治まっているようだ。阪本さんと顔を見合わせほっとする。まずはさっそく、せんべろ酒場の聖地、赤羽の飲屋街を目指そう。みんないったん改札を出て、再び青春18きっぷで入場。男3人の長旅のスタートだ!

藤原さん

なるほど、なるほどとうなずきながらも、ぼくの心は酒場へ

東京駅から赤羽までは上野東京ラインと京浜東北線の2線がある。途中停車駅は3駅と12駅だから上野東京ラインのほうが早く着く。当然、上野東京ラインを選ぶ。いよいよ乗車。下り電車とあってか、車内は思いのほかすいていた。吊革につかまって3人でゆっくり話ができる。新潟現地の模様をあれこれ推測し合っているうちに自然と声が大きくなる。スマホに目を落とす寡黙な乗客の中で、3人は完全に浮いた存在だ。まあ、今日くらいはいいか。

藤原さん

赤羽駅に着いた。電車を降りて酒場へ急ぐ駅のコンコースで、ふいに江部さんが足を止めた。柱に設置された電子広告の中に、人気コミック『東京都北区赤羽』の漫画家、清野とおるさん(壇蜜さんと結婚した男性)の作画による、赤羽の町の広告がちらりと見えたという。これを写真に収めたいのだそうだ。なるほど、なるほどとうなずきながらも、ぼくの心は酒場へ。しかし、ちらっと垣間見えたという当の広告がなかなか出てこない。10秒くらいで、画面はどんどん切り替わっていくのだが。

広告

ともかく目指す居酒屋には目星をつけてある。その店は24時間営業だからすぐに入店可能のはず。ねえ、早く行きましょうよ、先に行って店で待ってますから、とぼくはぶつぶつ。
5分ほど待ってやっと赤羽町の広告が登場し撮影終了。さて、行くぞ!気持ちがはやる。先頭を切って店を目指した。

看板

「藤原さん、そっちじゃなくてこの通りですよ」と、江部さんの声が背後から聞こえる。なんだ知っているのなら、先へ行って案内してよ。きょうの江部さんはちょっとヘン。あっ、そうか足の調子がまだ悪いのかなあ。
そしていよいよ目指す店の看板を見つけた。

外観

「ここだ!」というと「先に入ってください」と指示される。そうか、入店の瞬間を撮影したいからだね、と了解。さっそく勢いよく店のドアを開けた。
その先に見たものに、ぼくは立ちすくんだ。どうしよう、どうすればいい?

――2月1日(土曜)につづく。

文:藤原智美 写真:阪本勇

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藤原 智美(作家)

1955年、福岡県福岡市生まれ。1990年に小説家としてデビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川龍之介賞を受賞。小説の傍ら、ドキュメンタリー作品を手がけ、1997年に上梓した『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。主な著作に『暴走老人!』(文春文庫)、『文は一行目から書かなくていい』(小学館文庫)、『あなたがスマホを見ているときスマホもあなたを見ている』(プレジデント社)、『この先をどう生きるか』(文藝春秋)などがある。2019年12月5日に『つながらない勇気』(文春文庫)が発売となる。1998年には瀬々敬久監督で『恋する犯罪』が哀川翔・西島秀俊主演で『冷血の罠』として映画化されている。