みんなの町鮨
「金多楼寿司」東京都世田谷区|第十一貫(前篇)

「金多楼寿司」東京都世田谷区|第十一貫(前篇)

大将と女将さん、二代目の家族3人で営む10席の町鮨、三宿「金多楼寿司」。ワインは好きなものが違うから、と持ち込みウェルカム。ゆえに醸造家や輸入業者、ソムリエなどの顧客が多く、日本のナチュラルワイン界を牽引してきた、亡き勝山晋作さんもその一人。三宿で創業半世紀。昔ながらの江戸前鮨とワインとの出合いは、これいかに。

案内人

熊坂出、熊坂智美

熊坂智美、熊坂出

西麻布「葡吞(ぶのん)」は、国内外から料理人やワイン醸造家がやってくる、和食とナチュラルワインの店。このソムリエールにして女将、熊坂智美さん(くまちゃん)と、夫で演出家の熊坂出さん。出さんは取材時の2019年12月、冬ドラマ『僕はどこから』を仕上げた直後で『エ・キ・ス・ト・ラ!!!』の撮影に突入したところ。お互いの仕事で生活時間が真逆にすれ違う、という夫婦の、久しぶりの晩ごはん。七夕のような夫婦の時間は可愛すぎました。

女将と映画監督、という夫婦。

令和元年もあと少しで終わりの土曜、夜。三宿「金多楼寿司」に一番乗りで着き、遠慮なくお先にビールを飲(や)っていると、熊坂智美さん、愛称くまちゃんはひときわ美しい和服姿で現れた。彼女は西麻布の和食とナチュラルワイン「葡吞(ぶのん)」の女将。仕事場でも和装だけれど、絣に割烹着のワーク着物とは趣が違う、薄い小豆色の色無地に玄(くろ)地と金糸の帯をするりと締めた艶やかさ。で、お顔がまたニコニコだ。
なぜならば今夜は町鮨。というだけでなく、夫の出(いずる)さんも一緒だからじゃないかと私はほぼ確信している。だって、色っぽさが一段上だもの。

「金多楼寿司」は大将と女将さん、息子さんで営まれ、L字のカウンターはわずか10席。急に参加できることになった出さんは、当日予約で最後の一席に滑り込んだのだった。
くまちゃんにビールを注いでいると、ちょうど出さんが到着した。
――あれ、髪の毛短くなりました?
以前会ったとき、出さんは腰まである長い髪という強烈パンチだったから、今度はどんなパンチがくるかと心の準備をしていたら、なんとキュートなお団子に。と思いきや。

「一回スキンヘッドにして、また伸びたところなんですよ」

玉子焼き

期待通りにオチたところで、まずはほかほかの玉子焼きである。
「焼き上がりだ……」
やっぱりくまちゃんはうれしそうだ。聞けば二人で一緒に食べる晩ごはんは、いつぶりだっけ?と考えても出てこないくらい、久しぶり。
くまちゃんの帰宅はおおむね朝になるうえ、ワインのイベントで海外へ飛び出すこともしょっちゅうで、この週もイタリア2泊4日の出張から帰ったばかり。「弾丸過ぎてノー時差」と笑い飛ばす熊坂夫妻の生活は、昼夜のシンメトリー状態である。
「僕も撮影が始まっちゃうと、寝ているときに彼女が帰って、彼女が寝る頃に家を出るという真逆の生活です」
ふんわりした登場で言いそびれたが、出さんは映画監督なのだ。それも2009年のベルリン国際映画祭で、日本人初の最優秀新人作品賞を獲った『パーク アンド ラブホテル』の監督。というとんでもないすごさを、ほとんど感じさせないふんわり感の人である。

「でもね、彼女は朝に仕事から帰って、まだ1時間も寝てないだろうに『おはよう』って起きてきて、朝ごはん作ってくれるんですよ。こんな忙しいのに、ありがたいです」
感謝を語る夫の横で、妻は「あ、鮪だ」と喜んでいた。
鮪の刺身と鰯の酢〆のコンビ。鮪はキハダだろうか、脂が乗りつつさくっと切れて、さっぱりと。鰯はやさしい酢の加減で、ふっくらと。
「たぶん私は、ごはん作りたいんですよ。人はみんな、結局好きなことしかしないんじゃないかな」
そうかもしれない。彼女の朝ごはんは、鯵の開きを焼き、ごはんは家で精米した米を土鍋で炊く。ここまできたら、夫に向けてか料理に向けてかどっちもかわからないけど、“好き”しか理由が見つからない。
「あとね、出の弟が作るお米がおいしすぎるんです」
――ん?
「僕の弟、音楽家なんですけど、プロを辞めて長野に移り住んじゃって。酒蔵で日本酒造ったり、学校で国語を教えたり、いろいろやってるみたいなんですけど。ときどき演奏しながら合鴨農法でお米を作っているんです。それがものすごいおいしいんですよ」
あのお米はイカワさんにも食べてほしい、とくまちゃんはうっとりとし、なんであんなにおいしいんだろう、と出さんは究明し始めた。
私はひとり、ごはんか、と納得していた。おいしいごはんでつながっているから、すれ違いでもすれ違わない。熊坂夫妻は、2020年で結婚20周年である。

案内人

残していくから、飲んでみて。

そろそろいきますか、とくまちゃんが鞄から取り出したのは、シャンパーニュである。「金多楼寿司」ではワインの持ち込み可、いやむしろ持ち込み推奨。「お好きなワインはそれぞれですから」とわかってくださる女将さんは、ワイン好きに違いない。
そう、ワインという大陸にはグランヴァン族やナチュラル族、少数部族のイタリア土着品種族など、各自の主義主張を持つ民族が混在している。だったら1本2,000円の抜栓料で(ありがたい)、お好きにどうぞ。
「ユリス・コランというメゾンの『ブラン・ド・ブラン エクストラ・ブリュット』を持ってきました。ブドウはシャルドネ。残していきますから、大将、後で飲んでみてくださいね」
くまちゃんの言葉に、大将は「ああ」となぜか悲しげに応えた。
「かっちゃんも、ワインを持ってきては、これ飲んでみてよって」
2019年1月に他界された、勝山晋作さんのことである。ビストロ「祥瑞(しょんずい)」のオーナーにして、日本におけるナチュラルワインの父ともいえる人。いつも「今夜空いてる?」と電話して、満席なら「じゃあまた行くよ」で20年以上のつき合いだった。くまちゃんを連れてきたのも勝山さんで、もう8年も前のことになる。
“残しておくから、飲んでみて”
礼儀とやさしさとワインへの愛が詰まった言葉を、彼女は引き継いでいる。

盛り合わせ

さて、シャンパーニュを待っていたかのような煮鮑、〆春子鯛、蛸の盛り合わせである。水、酒、砂糖、すこしの醬油で煮た鮑は、甘い江戸の味、やわらかな江戸前の仕事。このやわらかさは、ゆっくりことこと、時間をかけるのだと二代目の剛(ごう)さんが教えてくれた。
「あとは品物。元気のない鮑は、煮てもやわらかくなりませんね」
春子鯛は酢〆の塩梅がやさしく、蛸は繊細な噛み心地。シャンパーニュって魚介や酢や醬油と合うんだ、とびっくりした。それとも柑橘の香りがみずみずしい、このユリス・コランが合うのだろうか。
続いて平目のお造りが、白身もエンガワも皮も肝も、美しい平皿に盛られて差し出された。大将によると、江戸時代の古伊万里だそうだ。
「こういう、枯れた朱(あか)は200年以上経たないと出ない。白磁なんてのも最初は真っ白、だんだん色が沈んで良くなり、200年もすると乳白色になるんです」
色が沈むっていい表現だなと感じながら、湯引きされた平目の皮を噛む。ゼラチン質のねちっとした食感と、平目の、海の土を思わせる香りが口の中で立ち上がった。

平目

素材を生かす料理の国で、人の個性はなぜ生かされない?

それにしても、平目だけで部位による違いを味わい分けようとする、日本人の感覚の繊細たるや。エンガワをコリコリしながら言うと、出さんが「おもしろいですよねぇ」としみじみ呟いた。
「僕は素人ですけど、フランス料理では、素材そのものよりソースでおいしく食べさせると言うでしょ。対して日本料理は素材そのものを大事にする。でも、教育において日本は素材を殺すというか、個性より、前へならえで均質化させていくじゃないですか。なんでそういう国で、お鮨屋みたいに“素材を大事に”っていう発想が出てくるのかなと思って」
たしかに!そこから話は田山花袋の『蒲団』に移行。思い切りざっくり言うと、明治以降の言文一致で「私は」という主語を得た女性が、尊敬する男性作家に愛され過ぎて「私は」を失う。つまり人格を奪われていくという話。
「主人公の男性作家は、弟子入りしてきた女性から無自覚に“私”を奪います。烏賊だの蛸だの、素材の個性を大事にする日本人とは矛盾してますよね」
ホントにムカつく小説なんですよ、と言いながら、出さんは確実におもしろがっている。映画の題材になりそう?なるなる!ということで、勝手に配役を考えた。弟子の女性は二階堂ふみだろうか。では主人公の作家は?出さんは「小説では30代半ばあたり」と読み、くまちゃんは「風貌はいけてないと思う」ときっぱり。私が松重豊と言った途端、「かっこよすぎる!」と夫婦で駄目出しである。何を隠そう、二人とも「孤独のグルメ」の大ファンなのだった。

第十一貫(後篇)につづく。

店舗情報店舗情報

金多楼寿司
  • 【住所】東京都世田谷区三宿2‐11‐1
  • 【電話番号】03‐3413‐4339
  • 【営業時間】17:30~22:00
  • 【定休日】水曜
  • 【アクセス】東急東横線「池尻大橋駅」から12分

文:井川直子 イラスト:得地直美

「金多楼寿司」東京都世田谷区|第十一貫(前篇)

井川 直子(文筆家)

文筆業。食と酒まわりの「人」と「時代」をテーマに執筆。dancyu「東京で十年。」をはじめ、料理通信、d LONG LIFE DESIGN、食楽ほかで連載中。著書に『変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編』(河出書房新社)、『昭和の店に惹かれる理由』『シェフを「つづける」ということ』(ともにミシマ社)。2019年4月にインディーズ出版『不肖の娘でも』(リトルドロップス)を刊行。取扱い書店一覧、ご購入方法はホームページ(https://www.naokoikawa.com)からどうぞ。