あなぐまを食べる会
「開高丼」に魅入られた男たち。

「開高丼」に魅入られた男たち。

2019年12月3日、「あなぐまを食べる会 THE 3rd 福井の夜」が開催された。その翌日、大仕事を果たした「パッソ・ア・パッソ」有馬邦明シェフは越前町にある海辺の宿「こばせ」に飛んだ。ここには、丼1杯にせいこがに8杯を使う「開高丼」があるのだ!

「あなぐまを食べる会」の翌日、有馬さんは「開高丼」を目指した。

冬の日本海はグレースカイ&グレーシー。越前海岸の風は吹きすさび、波はうねり、白い飛沫が防波堤越しに立つ足元にまで飛んでくる。
この荒れる海原からすぐ目の前に立つのが、本日の目的地、ふるさとの宿「こばせ」である。

海
最盛期の蟹の漁に出られないほどの荒波がうねっています。
こばせ
ふるさとの宿「こばせ」。

前夜、あなぐまを食べる「ジビエの晩餐会」が催された福井市から車で1時間弱。越前町まで足を延ばしたのは、「ジビエの晩餐会」で腕をふるった、イタリアンレストラン「パッソ・ア・パッソ」オーナーシェフ、有馬邦明さんたっての強い希望があったからである。
ここには「開高丼(かいこうどん)」なる格別な丼があり、それをつくる館主に会いに来るためだ。

生け簀
宿の入口には巨大な生け簀が。蟹は3日ほど生け簀に入れて泥や砂を吐かせてから料理に使う。
有馬邦明さん
荒波を背に大きく手を振る、東京・門前仲町のイタリアンレストラン「パッソ・ア・パッソ」オーナーシェフの有馬邦明さん。

有馬さんが「開高丼」を知ったのは、もう14年ほど前のこと。現地の食材で料理をつくるという料理雑誌の連載で福井にやって来て、この宿に泊まったのだった。

「お風呂上がりにロビーを歩いていたら、強烈なインパクトのポスターが貼ってあったんですよ。巨大な蟹の丼で、温かさと香りが伝わってくるような写真でした。親方に何ですかあれは、って尋ねたら『開高丼』のことを教えてくれたんです」

有馬さんの話を受け、五代目館主(有馬さんいわく「親方」)の長谷裕司(はせひろし)さんが教えてくれる。
目の前が海というこの宿に、釣りが大好きな作家の開高健さんが泊まり込み、宿の主に「何もしなくていい。ただご飯のうえに腹いっぱいになるほど蟹の身を乗せたものをつくってくれないか」と所望したという。
親方の父親である先代は、温かいご飯の上に、越前がにの雌、せいこがにの身も内子も外子も全部出してほぐして供した。開高先生はそれをいたく気に入り、宿では「開高丼」と呼ぶようになったのだった。

米2合に蟹8杯!だしも内子も外子もたっぷり、どっしり!

「でもその時は時季が合わずに食べることができなかったんです。だから余計に、いつかぜっっったい食べたいと思っていたの」と、有馬さんは笑って言う。

念願の「開高丼」を食べられたのは、「あなぐまを食べる会」の視察でやって来た2017年のこと。2018年も同晩餐会で福井にはやって来たが、親方が病に倒れてしまい、願いは叶わなかった。

だから、今日は悦びもひとしおだ。
人生2度目の「開高丼」に対面できること。とても手のかかるこの丼をつくれるまでに親方が元気になったこと。二重の悦びがあるのだから。


部屋に噂の「開高丼」が運ばれてくると、そこに居合わせた全員が「ごくり」と唾を飲み込む音が聞こえたようだった。
うっすら湯気が立ち上る巨大な丼には2合のご飯。そして8杯ものせいこがにをほぐした身、内子、外子がたっぷりと乗っている。
余計な飾りなど何もない。ただ堂々としていて、圧倒的な存在感。猛烈に食欲を掻き立てられる。

開高丼
こちらが「開高丼」。2020年の昼の食事の予約は8月1日~を予定(せいこがにの漁期は11月6日~12月末)。越前がには3月末頃まで提供予定。
開高丼
思わず写真に納めたくなるビジュアル。
開高丼
この大きさ、伝わりますか?

2年越しの「開高丼」。
有馬さん、どうですかっ!?

「うめーーーーーーーーっ!」

福井が誇る銘酒もありますよ。

有馬さん

「開高丼」はただの蟹丼ではない。改良を重ねた「記憶に残る丼」である。

1杯15,400円。と聞いたら、びっくりしてしまうだろうか。
でも、どっしりとした重厚感があり、4人で食べても十分に満足できる食べ応え。蟹の高騰に加え、なんといっても丼1杯で8杯もの蟹をほぐす手間をいやというほど知っている有馬さんは、「割に合わない仕事なのではないでしょうか」。

毎年、宿泊客以外の「開高丼」の予約は8月1日から始まるのだが、あっという間に予約で埋まってしまう。宿泊をしない昼の食事のみの予約客は、1日10組ほどしか取ることができない。それでも最低でも1日80杯以上のせいこがにをほぐすことになる。

お茶碗に取り分けていただきます。オリジナルサイズ1杯で1~4人分。かの開高先生は1人で1杯を食べたという。
開高丼
せいこがにの殻でだしを取り、そこに醤油を合わせたたれがかけてある。身はさることながら、せいこがにの風味が香るご飯のおいしさにも感涙!

「『開高丼』はただの蟹丼じゃないんです。記憶に残る丼でしょ。死ぬほど蟹が食べたい!という思いを達成させてくれる丼です」
かくゆう有馬さん。大の蟹好きかというとそうではない。

有馬さんは感慨深げにこう話す。
「僕は、歴史のなかに存在する人の“今しかない料理”というものがとても大事だと思っているんです。『開高丼』だって、親方が辞めてしまったらもう食べられないもの。親方が人生をかけてつくり続けて、改良を重ねてきたから、今この丼があるわけです。開高さんが食べた時は、白いご飯のうえにせいこがにの身や内子をのせてお醤油をかけただけのものだったでしょう。それが、わざわざ殻でだしを取って醤油を合わせただしをと回しかける、という風に進化をしてきた。そこに立ち会って、味わえることがありがたいんです」

開高丼
何十年もの間に工夫を凝らし進化を遂げた「開高丼」。オリジナルサイズ15,400円のほか、1.5合サイズ(ご飯1.5合、せいこがに6杯)11,000円(1人~3人分)、ハーフサイズ(ご飯1合、せいこがに4杯)7,700円(1人~2人分)もある。

親方の手は働く職人の手。

「初めて『開高丼』を食べさせてもらったときに、嫌がる親方と握手をさせてもらいました。ゴツゴツしていて汚いから恥ずかしいとおっしゃるのです。蟹はゆで立ての温かいうちでないと身が取れませんから、熱いうえに甲羅は刺さるし傷がつく。手がボロボロになってしまうのです。同じような手をしていたのが、僕がイタリアで修業していた時のシェフの手でした。そこは薪で肉を焼くレストランで、シェフは素手で作業してしまうのです。190cmもある大きなシェフの手は皮が厚くなってグローブのよう。まるで『風の谷のナウシカ』の中で、ナウシカが『きれいな手』と褒めた一生懸命働くの人々の手を思わせました。働く職人の手はこんなふうになるんだと、感動したのです」

さて、開高健先生はこの宿でどう過ごした?

一同、大興奮のもと、有馬さんの愛する「開高丼」に感激して完食した。〆にはお茶をまわしかけて、お茶漬けにしていただくという食べ方も編み出した。福井の銘酒だって一滴も残しません。

「お客様に支えられておかげさまで今年で150年です。元気になったねぇと声をかけていただいてありがたいことです」
そう話す親方の体重は、それまで90kgだったのが病気を機に半年で60kgまで落ちてしまったという。でもこうして今日再び来られた悦びに、有馬さんは再び強く親方の手を握った。そして熱い抱擁も。

「こばせ」は明治3(1870)年に、今でいう海水浴のような“塩湯治旅籠”として開業した。
日本海に沈む夕日が絶景という海辺の宿で、開高先生もさぞ筆が進んだことだろう。


「それがうちでは書き物はされていないんですよ。四六時中見ているわけではないのでわかりませんが。ウイスキーであったり日本酒であったり。いろんなものを召し上がってお過ごしになっていました。でも開高先生が書いてくださった、うちにしかない色紙があります。見て行かれてください」

色紙
色紙

それは先代が、ある漢詩について、どのようにお客様にお伝えしたらよいかを尋ねたところ、その場で自分なりに訳して、さらさらと書いてくれたものだという。

うみべの宿で一杯やれば
空はあおあおいい気持
ロシア、朝鮮も目のあたり
風はひょうひょう波また波

漢詩の訳とこの宿から眺められる風景を重ねて書いたものである。海の目の前という絶好のロケーションのこの宿から水平線に目をやれば、丹後半島、時にロシアや朝鮮の半島も望める。
相変わらず空はグレーのままだけど、「本当にごちそうさまです!」と親方の手を固く握る有馬さんの心は「あおあおいい気持」に違いない。

海原に目をやれば、風はひょうひょう波また波。
あなぐまを食べる「ジビエの晩餐会」の白熱の夜。そして記憶に残る「開高丼」。濃厚な食の記憶を反芻しながら、有馬さんは福井の旅を締めくくった。


――おわり。

店舗情報店舗情報

こばせ
  • 【住所】福井県丹生郡越前町梅浦58-8
  • 【電話番号】0120-37-0018
  • 【営業時間】
  • 【定休日】
  • 【アクセス】JR「武生駅」より福井鉄道バス(かれい埼行き)にて1時間。「長谷の間(はせのま)」下車1分。

文:沼由美子 写真:出地瑠以

沼 由美子

沼 由美子 (ライター・編集者)

横浜生まれ。バー巡りがライフワーク。とくに日本のバー文化の黎明期を支えてきた“おじいさんバーテンダー”にシビれる。醸造酒、蒸留酒も共に愛しており、フルーツブランデーに関しては東欧、フランス・アルザスの蒸留所を訪ねるほど惹かれている。最近は、まわれどまわれどその魅力が尽きることのない懐深き街、浅草を探訪する日々。