日が暮れないうちに知らない町を歩いてみたい。思ったときが、そのときだ。さっそく、浜松で下車。限られた時間の中で目指すは、かの地で半世紀以上つづく喫茶店。町は変わっても、変わらないことって、確実にあるんだなぁ。
知らない町で滞在時間10分、その間に人は何ができるのか。試してみよう。
沼津から乗った列車は島田止まりだった。次の列車が出発するのは10分後だ。トイレを探し、用を足し、手を洗って、髪をセットすれば(青春だから)、すぐに過ぎる。でも青春18きっぷ最大の魅力は乗り放題より、乗り降り自由じゃないかと思う。好きなだけ途中下車できるのだ。なんて自由なんだ。アーイハヴァドリーム。この自由な風を胸いっぱい吸い込もう。駅の外に出よう。
さあ島田に着いた。急げ!
わずか10分でも、行動すれば、人は精神的に、いや物理的にだって、自由になれるのだ。またひとつ学んだ。まさに青春の旅。
やってきた普通列車に乗り込み、再びゴトゴト約50分、浜松に着いた。
乗り換えだが、ここではしっかり下車しよう。明るいうちにもう1回ぐらい町を歩きしたいね、という、たったそれだけの理由だ。午後4時15分。夕闇が迫っている。
広い浜松を闇雲に歩くのはさすがに時間がもったいない。編集担当の痛風エベがスマホで調べたところ、駅から歩いて5分ほどのところに1951年開業の喫茶店があるとわかった。
ネルドリップならではの厚みと軟らかさを感じるコーヒーを飲みながら、セピア色の店内に染みついた68年間の空気を吸う。旅の合間のリッチな休息。店名の由来はやはり苗字らしい。
「昔はおしゃれな名前なんかつけなかったんだもん」
ママの近藤和子さんはそう言って少女のように笑う。
父親が始めた店を、和子さんは18歳から手伝った。以来、和子さんの人生は「こんどう」を中心にまわった。結婚相手も「こんどう」で見つけた。いまは息子さんが三代目として店を継いでいる。
「昔はこのあたりは花柳街でね」と和子さんは語る。
「芸者が400人ほどもいたんですよ。私、そういうところを毎日歩いてここに来ていたから、聞こえてくる三味線の音だけで上手い下手がわかりましたね」
やっぱりそっか。雰囲気のある小路だったもんな。再開発できれいに覆われてしまったけれど、小路に積もり積もった浮世の塵は、コンクリートの“覆い”から滲み出ている。
「浜松はスズキの地元でね、そう、車やバイクのスズキ、あれはもともと織物屋だったんですよ。昔はガチャマンといってね、ガチャンと1回織るたびに万のお金になるなんて言われて、そりゃ繁盛したみたいです」
花柳街はなくなったけれど、浜松はいまも活気がある。繊維業だけに依存して、寂れてしまった日本各地の町や村と比べるのは、ナンセンスだろうか。国内を旅していると、「かつてこの町は繊維業で栄え……」などと書かれた案内板が、ひと気のない通りにぽつんと立っているのをよく見るのだ。
――明日につづく。
文:石田ゆうすけ 写真:阪本勇