金津園も再開発らしい。あちらこちらが更地になっていて、賑わいを見せた街の面影すらなくなりつつある。これで、いいのかな。本当に、いいのかよ。いや、よくないよ。思いだけで人は生きられないこともわかる。過ぎ去った時間を美化しがちなことも承知している。けれど、温もりが感じられない街は、嫌なんだ。
男女が一瞬で恋に落ちて、愛を交歓する街、岐阜の金津園。その特殊な浴場の女性やボーイたちに、親子二代、70年にわたって、食事を提供し続けてきた「光廼家(みつのや)」に来ている。
場所柄、ならびに、遊郭っぽい建物の外観から、中にいる人は怖い人、そう思えてならなかったが、勇気を奮って入ってみると、店主は噺家のようによく喋る愉快なおじさんだった。実際、町の話が面白くて、ずっと聞いていたかったが、お腹も減ってきた。
「東京から来たんなら、この地方のものがいいよね。『みそにごみうどん』なんかがそうですよ」
味噌煮込みうどんといったら名古屋だ。隣の岐阜では「にごみ」と濁点がつくのか。
「名古屋のは色が黒くて味が濃いでしょ。ウチのは味を薄くしています。八丁味噌をあまり使っていないからえぐみも少なくて食べやすいですよ」
「岐阜の『にごみうどん』がそうなんですか?」
「さあ、どうでしょうね。ウチはほら、お店の女の子を相手にしてるから。こういうところで働く子って、地元じゃなくて外から、全国から来るでしょう」
そっか。食べ慣れない人には、八丁味噌はクセが強すぎるんだ。
なんだか、リアルな話だな、と思った。調味料だけじゃない。水が変われば、味も変わる。女性たちは異郷の味を口にして、遠い故郷を恋しく思うんじゃないか――月並みな発想だけど、実際あってもおかしくない。
「みそにごみうどん」を頼んだ。店主は小さい土鍋にスープを入れ、火にかける。
店主は調理しながら、相変わらず名調子で話した。
「昔は70軒ぐらいのお店があったけどねぇ」
特殊浴場のことだ。
「だいぶつぶれましたよ。道路の拡張工事で立ち退きもあって、いまは45~6軒かな」
まだそんなにあるんだ。町全体が暗いし、人も少なかったので、そうは見えなかった。
「赤線と呼ばれていた時代は、人がすれ違えなかったぐらい賑わっていたんですよ。ウチで待つ客もいて、ボーイさんが呼びにきたりね」
「まるで待合室ですね」
「そうそう!」
店主は包丁の刃先を僕に向け、ブスブスと肉を突き刺すように前後に動かした。
その包丁の形がすごい。まるでアイスピックだ。
ここまで研いで使われる包丁も珍しい。木製の岡持ちの職人が元気なうちに3つ注文した、という話が思い出された。手に馴染んだものを大切に使いたいのだろう。
「うわ、これもすごいですね」
撮影のために厨房に入った写真家のガリガリ君が、レジを見て声を上げた。どれどれ、と僕もそっちにまわってみると、度肝を抜かれた。
僕たちがキャーキャー騒いでいると、「そんなに珍しいかい?」と店主はボタンを押した。ガラガラガッチャーンと昔のおもちゃのような音がして、下部が開いた。うわ、木だ。
それにしてもサービス精神旺盛なおじさんだ。脛に傷を持つヤクザ崩れのオヤジがいるんじゃないか、と恐れていた入店前を思うと、ちょっとおかしくなってくる。
土鍋の中でまだぐつぐつ煮えている。蓮華にスープを入れ、息を吹きかけ、飲んでみると、吐息とともに思わず声がもれた。
「……うめえ」
沁みるなあ。店主が言っていたとおりだ。角のないやさしい味だ。「ホッとする味」というと何か違う。「懐かしい味」でもない。嚥下した瞬間、やさしさが体の隅々にまでゆきわたるような、ただただ沁みる味。
こういう町で70年、女性たちに食事を提供し続けてきたというストーリーから、ドラマを仕立てようとしているんじゃないか?――いま書きながらそう自問してみたのだが、それはないな、と思った。スープを飲んだ瞬間、真っ白な心に浮かんだ言葉が「沁みる」だったのだ。
麺もしっかりコシがあって、味噌スープとよく絡んだ。
食べながら僕は店主に訊いてみた。
「お酒は飲まれないんですか?」
「私は飲まないですね。わかりますか。あと、そう、酔っ払いがどうもね。だからお酒を置くのもやめました」
「閉店は?」
「午後8時です」
「えっ、そうなんですか?すみません!」
時計の針はゆうに8時をまわっていた。
「いいよいいよ。ゆっくり食べていってください」
それにしても、この歓楽街で、酒類を一切置かず、夜の8時閉店とは。もとより、この町に来た男性客を相手にしていないのだ。この町で働くひとたちが相手なのだ。まさに遊郭の仕出し屋。そんな店の主は、お喋り好きで、やさしかった。
乗ろうと思っていた電車にも間に合わなくなっていた。
食べ終えてからも、僕らは店主のおじさんと喋った。
お店の今後について尋ねてみた。
「息子がいるんですけどね、継がそうとは思っていません。やめとけって言ってますよ」
おじさんの温かい料理が届かなくなったら、この町の女性たちは、コンビニ弁当を食べるのだろうか。
お会計をしてもらう。ふたたびガラガラガッチャーンと派手な音が鳴って、レジの木の箱が飛び出した。
「えーと、駅はどっちですかね?」
オッサンズは3人とも極度の方向音痴だった。おじさんは店の外に出て、駅ビルらしきものが見えるところまで連れていってくれた。
僕らは頭を下げ、歩き出した。
閉店間際に入ったからか、僕らがいるあいだ客はひとりも来なかった。
女性たちは、あの面倒見のいい店主のことをどんな呼び名で呼んでいるんだろう。出前がほとんどと言っていたけど、店に食べに来る女性もいるんじゃないかな。あの味だもんな。そう思ったとき、ふとある考えが頭をよぎった。酒を置いてないのは、別の理由もあるんじゃないか?僕らのような冷やかし客や、実際春を買いにきた男性客がだらだら酒を飲んでいたら、女性たちの気が休まらないから――。
あたりが明るくなり、駅が現れた。構内に入る。
次の列車は20時51分だった。ここは岐阜。名古屋の隣だ。ゴールの堺は大阪の南。リミットの深夜0時まで、あと3時間少々。
痛風エベはスマホを見ながら「予備時間がもうほぼ残ってませんね」と言った。
――つづく。
文:石田ゆうすけ 写真:阪本勇