みんなの町鮨
「鮨泉」東京都渋谷区|第十貫(前篇)

「鮨泉」東京都渋谷区|第十貫(前篇)

かつて渋谷に花街があった、ということをご存知だろうか?芸者が歩き、三味線の音が流れていた古い町。曲がりくねった路地や小さな階段が今も残る神泉で、昭和54年から40年続く「鮨泉(すしせん)」は、「蝦夷っ子の大将と江戸っ子の女将」が営む町鮨。大学教授で建築家の岩城和哉さんが家族で通う、実家のような居心地です。

案内人

岩城和哉

岩城和哉

東京電機大学で建築と都市環境学を教える教授であり、建築家。学生たちと新潟のトリエンナーレ(芸術祭)で作品を作ったり、渋谷のアートイベントを仕掛けたりと、大学教授ってなんだか楽しそう。イカワとは30年前、江古田というローカルな街のご近所だった呑み仲間。岩城くんは当時からの彼女と結婚して、3人の子の父になった。自由にして結束の固い岩城家は、夫婦で、一家で「鮨泉」にやってくる。

花街だった町の、古い道を歩くと。

「こういう道は面白いよねぇ」
渋谷駅で待ち合わせ、道玄坂上の交番あたりまで来たとき、岩城和哉先生はふと立ち止まった。
「ここからS字にカーブしているでしょ?こういう道は元が川か、そうでなければ古い道。昔の人は地形に従って、歩きやすい方向に道を作っていくからどうしても曲がってしまう。新しい道は、地形を無視してまっすぐ作るからね」

S字カーブ

なるほど。普段、ワインバーや居酒屋へまっしぐらに歩いてしまうから気づかなかった。神泉の繁華街は、カーブした上にアップダウンもあるし、そう言えば小さな階段や細い路地があちこちに伸びている。
なんだか教授っぽくなったなぁ、岩城くん。同い年で、知り合ったのは20代前半。お互い、まだ中途半端な時代はご近所仲間でちょこちょこつるんでいたのに、みんななんとなく忙しくなってからはご無沙汰だった。

板橋区に住む岩城一家が7年も通う町鮨は、なぜか神泉にある。
2012年。彼は渋谷のイベントのために、これからオリンピックに向けて急速に開発が進む町の、写真に遺すべき風景を探していた。神泉のあたりがおもしろい地形だな、と調べたら、この辺りは昔、花街(かがい)だとわかった。
道玄坂の上は、料亭、待合(芸者とお客が会う茶屋)、置屋(芸者の派遣所)の営業を許可する三業地、つまりは花街。坂下は、呉服屋や三味線屋など花街を支える商売が集まる谷町。それらをつなぐS字カーブの道は、まさに三業通りという呼び名であった。
このエリアを妻と二人でウロウロ歩き回っているとき、道の向こうにぽっかり見えた灯りが「鮨泉」。夫妻は思わず飛び込んだのだ。

ほらおいしそうでしょ、と彼が指差した店構えに、ああこれは飛び込んじゃうよねと頷いた。水が打たれた軒先、白い暖簾に富士と波と稲穂の紋、その奥にキリッとした格子戸。三角形の看板には堂々たる「鮨泉」の文字、看板とシンクロする三角形のアプローチも、人を迎える気持ちに満ちている。まるで武家のように質実な美しさだ。
「何かのきっかけで出会うもの、一期一会って重要なんだよね」
そう言って教授は、隠せないニヤニヤを浮かべて戸を引いた。

大将

「岩城さん、いらっしゃい」
元気に声をかけた後、お?という顔をした大将。瞬殺で、悪いことしてないよと断りを入れる岩城くん。いつもは愛妻と一緒なのに、今夜は違う顔だからだ。合点した大将は「内緒にしなくちゃいけないかと思ったよ」とからかって、カウンターの先客たちが口々に「いやいや、悪いこと悪いこと」と突っ込んで、初見の私は、いきなり店の真ん中にすぽっと入れてもらった気がした。
みなさん知り合いばかり?訊ねると、岩城くんは吹き出した。
「初めての人ばかり」
でもここに来る人には「鮨泉」が好きという共通項があるから、大体はこんな感じの一体感になるのだそうだ。

歳を取ると、おいしくないものは体に入れたくない。

席に着くと、まずは前菜が現れる。平目昆布締め、子持ち昆布、穴子の梅落とし、ごぼうの胡麻和え、玉子焼き。これをつまみに、まずは瓶ビールで近況報告といきますか。
「うちはね、去年銀婚式だったよー。銀婚式なんて遠い先、おじいちゃんになってからの話だと思ってたのに」
自分で言いながら、自分でびっくりする岩城くん。夫妻は、いまだに学生カップルのような仲のよさだ。プライベートを守りたい彼は仕事仲間とほとんど呑まず、お酒は妻や家族と一緒に、もしくは家で。「鮨泉」に1、2ヶ月に一度、妻と来るのが彼にとってのリフレッシュである。

「子どもたちには、お鮨は自分で稼げるようになってから行きなさいと言っていたんだけど、大将が一代限りって言うもんだから。この味、この仕事を彼らに伝えておかなきゃと思ってときどき連れてくる。知ってる?長女は22歳、次女は21歳、一番下の息子ももうハタチだよ」
なんと!私に「うんこ」とケタケタ笑いながらよじ登ってきた末の男の子が、もうお酒を飲める歳だなんて!うわー。
「あいつは好き嫌いが多いんだけど、大将に“食べてみな”って言われるとおいしいって食べるんだよね。ハタチにしてまだ食育中」

カワハギ

お父さんはといえば、「歳を取ると、もうおいしくないものは体に入れたくない」と五十路の主張である。それは好き嫌いじゃない。知らない食べものに首を振るのは子どものわがまま、知ってから選ぶのは大人の特権なのだ。
というわけで選ばれし、カワハギの刺身と肝がきた。すごい量の肝。大将によると、冬は栄養を蓄えて肝が大きくなるそうだ。大人でよかった、お酒を吞めてよかったとお互いに称え合いながら日本酒へ。
「一種類だから、冷やかお燗か」
では冷やで、と一升瓶を見れば「鮨泉」ブランドである。大将が「鮨の味を邪魔しないお酒が一つあればいい」と選びに選んだ、福岡の酒のオリジナルラベル。暖簾と同じ紋のようなデザインは、魚(海)と米(稲穂)で日本一(富士山)。デザイナーのお客が、開店祝いに考えてくれた。

ラベル

うわぁ、すいすい!私の叫びに、岩城くんはそうだろう、そうだろうと満足げだ。
「日本酒って一口呑んでおいしいって思っても、だんだん甘く感じたりすることもあるでしょ。でもこれはいつまでもするする。いつもお正月には樽酒を置いて、自分たちですくって呑むんだよ」
ってことは岩城家は毎年、お正月に来ているのか。実家みたいだなぁ。一家の顔を思い出しながら、私はカワハギの白身と肝を別々に→白身で肝を少し巻いて醤油→白身と肝の量を反転して醤油→最後に肝を醤油に溶かして白身をちょんとつける→白身の瞬間ヅケにしてみる、などじわじわ食べた。
ふと見ると、岩城くんは高校男子が牛丼を食べるような秒速で、カワハギも肝もとっくにぺろりと平らげていた。

赤貝は偉いんだよね、存在自体がさ。

岩城くんは約30年前、私が生まれて初めて見た東大生だ。ちなみに、妻の聡美さんはお茶の水女子大生。私たちが集っていた練馬区江古田の極めて庶民的な酒場で、二人は出世頭(予定)と呼ばれていた。
岩城くんは、いつの間に教授になったの?
白身から一転、鮮やかな赤身の鰹刺身は、腹、背、赤身が盛られている。それぞれ味わってみて、という趣向である。腹はねっとり、背はさっぱり、赤身には熟したような酸味がのっていた。
「東大で長く助手をして、2003年から今の大学で准教授をして、それから教授になって」
教授って、試験はあるの?
「試験はなくて、業績、論文、アートイベントで賞をもらったりすると、論文で何点、受賞すると何点と蓄積されていくの。一定の基準をクリアした上で、同じ学科の先生たちが認めてくれれば教授になれる」
へー、実績と人望かぁ。やっぱりさ、根回しとかするの?
「白い巨塔の世界を想像してるでしょ、それ。ないから」
人を育てるって、どうなの?
「うん、文部科学省は短期間で一定の成果を示せと言うけど、でも教育ってそういうものじゃない。10年後に“ああ、大学の先生が昔言っていたのはこれか”となったりするものでしょ?国が僕らに求めていることと、僕らが学生に伝えたいことが乖離している気がするんだよね」

酒

世間知らずな質問にもまっすぐ答えてくれる、「結果なんてすぐに出るものじゃない」と言ってくれる、きっといい先生なんだろうなぁ。じーんとしてしまったのは、赤貝の刺身がきたせいじゃない。プリプリのシャキシャキ、表面にうっすらとぬめりのある磯の味のせいじゃない。
「まったく赤貝は偉いんだよね、存在自体がさ」
さすがは教授、そういうことです。

第十貫(後篇)につづく。

店舗情報店舗情報

鮨泉(すしせん)
  • 【住所】東京都渋谷区神泉町7‐10
  • 【電話番号】03‐3496‐5890
  • 【営業時間】18:00~23:00
  • 【定休日】日曜、祝日の月曜
  • 【アクセス】東急井の頭線「神泉駅」より3分

文:井川直子 イラスト:得地直美

井川 直子

井川 直子 (文筆家)

文筆業。食と酒まわりの「人」と「時代」をテーマに執筆。dancyu「東京で十年。」をはじめ、料理通信、d LONG LIFE DESIGN、食楽ほかで連載中。著書に『変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編』(河出書房新社)、『昭和の店に惹かれる理由』『シェフを「つづける」ということ』(ともにミシマ社)。2019年4月にインディーズ出版『不肖の娘でも』(リトルドロップス)を刊行。取扱い書店一覧、ご購入方法はホームページ(https://www.naokoikawa.com)からどうぞ。