食の現場
極寒の奈良で静かに輝く「吉野本葛」|ニッポンのおいしい④

極寒の奈良で静かに輝く「吉野本葛」|ニッポンのおいしい④

万葉集に詠まれ、漢方薬の材料として珍重され、江戸中期からは料理や菓子に使われてきた葛。なかでも、奈良・吉野は、寒冷で水に恵まれ、葛の名産地として知られる。極寒の時季に根を掘り、“吉野晒し”という伝統の技法で手間隙かけてつくり上げる吉野本葛を求めて、奈良へ向かった。

葛の根を掘り、手作業で丹念につくり出す

私は葛の何を知っていただろう?国内外を旅する中で様々な食品に触れてきたが、今回ほど現場の体験がドラマチックに染み入ったことはなかった。

雪
「本葛」は葛の根から精製してつくられる。極寒の時季に山に入り、葛の木を探し、その根を掘るところから葛づくりが始まる。400年続く老舗「黒川本家」の黒川伸一専務について奈良県東部の宇陀の雪深い山に入った。

奈良県東部の宇陀市で十二代続く吉野本葛の老舗「黒川本家」の長男である黒川伸一専務に、葛掘りから精製作業までを見せていただけることになったのだ。吉野本葛といえば“白いダイヤ”と称されるほどの高級食材。そうやすやすと現場に連れて行ってはいただけない。近年これほどわくわくすることがあっただろうか。いや、ない!感謝を胸に同行する。

黒川伸一専務
掘り起こした葛根は長さ約1m 、直径10cmほど。
葛根
切断面からはごぼうと生姜が混ざったような香りが漂い、舐めてみるとピリッと苦くいかにも漢方的。

葛は春にツルと葉を伸ばし、夏に日光と水分を十分に取り入れ根を肥やす。それを冬に掘り起こすため、しばしば雪山での採掘となる。特に日当りが重要なため平坦な場所ではなく、人里離れた山の斜面が生育に向いているそうだ。大昔、葛粉は飢饉に備えた非常食でもあった。

葛湯
吉野本葛の上質な舌ざわりは葛湯や干菓子を味わうとよくわかる。心に沁み入る素朴なやさしさだ。

黒川本家から車で一時間の山間へ車を止め、徒歩で林の中を三十分ほど歩く。伸一さんの足手まといにならぬよう、必死に追いかける。地面から出たツルを辿り、土の中の様子を推察する専務。ここぞ!という場所に鍬を降ろす。思ったよりも粘土質が多く固めの土だ。深さ五十センチの場所に葛根が横たわっていた。

黒川本家
黒川本家は元和元(1615)年創業の老舗。吉野本葛や本葛を用いた干菓子を購入できる。

黒川本家の工場は朝八時から稼働する。冷えた空気の中、従業員の皆さんがきびきびと作業に当たっている。寒中に作業するからこそ、余計な菌や虫がつかない純度の高い葛粉になる。粉砕された葛根を水の中で揉み、粗葛を取り出す。粗葛を大きな桶に入れ、井戸水で満たして撹拌する。沈殿したら上澄みを流し、またもや井戸水を入れ撹拌。これを五~六回繰り返す。この作業を“吉野晒し”と言うそうだ。

掘り出した葛の根を粉砕し、水の中でもんで粗葛を取り出す。粗葛を大きな桶に入れ、井戸水で満たして撹拌する。
沈殿したら上澄みを流し、また井戸水を入れて撹拌、沈殿させる。これを5~6回繰り返す。この作業が“吉野晒し”と呼ばれる。
純度の高い状態になり、最終的に水をきると、硬めの豆腐のような状態になる。
表面の汚れを削り落とす。
せっけんほどの大きさに小分けし、約3カ月乾燥させる。すべて丁寧な手作業だ。
手間暇かけてつくり上げられた本葛はまさに“白いダイヤ”だ。

最終的に水を切ると、固めの豆腐のような状態になる。中層を切り出してせっけんほどの大きさに小分けし、浅い箱に並べて積み上げ、約三カ月間乾燥させる。箱の中でひっそりと乾燥を待つ白い葛が美しい。
乾燥が終わったものは手作業で適度な大きさに砕かれ、袋に詰めて出荷される。ほろほろと崩れるように見えるが意外と固く、同じような大きさに割るには技術が必要だ。冬山での掘り出しからここまで、江戸時代とほぼ変わらぬプロセスに、飢饉を生き抜いてくれた祖先への畏敬の念がこみ上げる。

乾燥
井戸水で晒しを繰り返し、固形状にした本葛は、箱に並べて積み上げる。3カ月ほど乾燥させてやっと完成する。

吉野本葛にははっきりとした味や香りがない。取材した方々に尋ねると遠い目で「味はないのに、美味しいんですよね……」とつぶやく。まるで禅問答か、なぞなぞか。しかしあるとき、味以外の全てがあるとピンときた。「もちっ」「かりっ」などのあらゆる食感やのど越しや温度が、添えられる食材の味を極限まで引き上げるのではないか。たとえそれが砂糖一さじであったとしても。

製葛録
文政11(1828)年発行の『製葛録』という本に当時の葛づくりが解説されている。鍬で葛根を掘り、沈殿を繰り返す“吉野晒し”を行なうなど、基本的な製法は今もほぼ変わりないことがわかる。

吉野本葛を堪能するため、奈良市内に二軒を訪ねる。
まずは洗練された空間と雑貨のセレクトで知られる『くるみの木』のオーナー石村由起子さんが手掛ける『秋篠の森 なず菜』。センスの良さを感じる店内だが温かみもあるのは、お人柄か。石村さんにとって本葛は「特別扱いせずにどこかに使いたくなる、優しい味」だ。椎茸やショウガの入った葛餅を揚げた滋味深い“揚げ葛餅のあんかけ”や包まれるような美味しさの“葛の刺身”。“葛の胡麻豆腐”には本葛の底力を感じる弾力がある。本葛はどの皿でも立派に主役を務めていた。

胡麻豆腐
一見、普通の胡麻豆腐だが、本葛を練り込むことで食感にややむちっとした厚みが加わり、濃厚な旨味が口の中に長く広がる。本葛は多彩な役目を果たせることに驚く。

次は奈良公園の一角にある「吉野本葛 黒川本家 東大寺前店」。黒川家の次男である黒川健常務が店長を務める。“葛あんかけ丼”に“葛入り生パスタ”、デザートには“葛餅”と、吉野本葛ずくめのメニュー。いずれも本葛を食べたという満足感が残る。

葛あんかけ丼
海老の天ぷらや豚柚子胡椒焼きなど具沢山な丼にだしで溶いたあんをかける。まろやかな旨味が広がる。本葛は意外なくらいに応用範囲が広いのだ。

黒川専務と黒川常務の兄弟は自他ともに認める慎重派。四百年守ってきた伝統を、この先もずっと未来へ繋いでくれるだろう。少しでも関われるように、私も吉野本葛を常備しておこう。

森井ユカ
森井ユカ。立体造形家・雑貨コレクター。専門はキャラクターデザインと、国内外の日用雑貨や食品パッケージの研究。近著に『10日暮らし、特濃シンガポール』(晶文社)、『旅と雑貨とデザインと』(ダイヤモンド社)。桑沢デザイン研究所卒、東京造形大学大学院修了。

文:森井ユカ 写真:公文健太郎

※この記事の内容は2018年3月号に掲載したものです。