万葉集に詠まれ、漢方薬の材料として珍重され、江戸中期からは料理や菓子に使われてきた葛。なかでも、奈良・吉野は、寒冷で水に恵まれ、葛の名産地として知られる。極寒の時季に根を掘り、“吉野晒し”という伝統の技法で手間隙かけてつくり上げる吉野本葛を求めて、奈良へ向かった。
私は葛の何を知っていただろう?国内外を旅する中で様々な食品に触れてきたが、今回ほど現場の体験がドラマチックに染み入ったことはなかった。
奈良県東部の宇陀市で十二代続く吉野本葛の老舗「黒川本家」の長男である黒川伸一専務に、葛掘りから精製作業までを見せていただけることになったのだ。吉野本葛といえば“白いダイヤ”と称されるほどの高級食材。そうやすやすと現場に連れて行ってはいただけない。近年これほどわくわくすることがあっただろうか。いや、ない!感謝を胸に同行する。
葛は春にツルと葉を伸ばし、夏に日光と水分を十分に取り入れ根を肥やす。それを冬に掘り起こすため、しばしば雪山での採掘となる。特に日当りが重要なため平坦な場所ではなく、人里離れた山の斜面が生育に向いているそうだ。大昔、葛粉は飢饉に備えた非常食でもあった。
黒川本家から車で一時間の山間へ車を止め、徒歩で林の中を三十分ほど歩く。伸一さんの足手まといにならぬよう、必死に追いかける。地面から出たツルを辿り、土の中の様子を推察する専務。ここぞ!という場所に鍬を降ろす。思ったよりも粘土質が多く固めの土だ。深さ五十センチの場所に葛根が横たわっていた。
黒川本家の工場は朝八時から稼働する。冷えた空気の中、従業員の皆さんがきびきびと作業に当たっている。寒中に作業するからこそ、余計な菌や虫がつかない純度の高い葛粉になる。粉砕された葛根を水の中で揉み、粗葛を取り出す。粗葛を大きな桶に入れ、井戸水で満たして撹拌する。沈殿したら上澄みを流し、またもや井戸水を入れ撹拌。これを五~六回繰り返す。この作業を“吉野晒し”と言うそうだ。
最終的に水を切ると、固めの豆腐のような状態になる。中層を切り出してせっけんほどの大きさに小分けし、浅い箱に並べて積み上げ、約三カ月間乾燥させる。箱の中でひっそりと乾燥を待つ白い葛が美しい。
乾燥が終わったものは手作業で適度な大きさに砕かれ、袋に詰めて出荷される。ほろほろと崩れるように見えるが意外と固く、同じような大きさに割るには技術が必要だ。冬山での掘り出しからここまで、江戸時代とほぼ変わらぬプロセスに、飢饉を生き抜いてくれた祖先への畏敬の念がこみ上げる。
吉野本葛にははっきりとした味や香りがない。取材した方々に尋ねると遠い目で「味はないのに、美味しいんですよね……」とつぶやく。まるで禅問答か、なぞなぞか。しかしあるとき、味以外の全てがあるとピンときた。「もちっ」「かりっ」などのあらゆる食感やのど越しや温度が、添えられる食材の味を極限まで引き上げるのではないか。たとえそれが砂糖一さじであったとしても。
吉野本葛を堪能するため、奈良市内に二軒を訪ねる。
まずは洗練された空間と雑貨のセレクトで知られる『くるみの木』のオーナー石村由起子さんが手掛ける『秋篠の森 なず菜』。センスの良さを感じる店内だが温かみもあるのは、お人柄か。石村さんにとって本葛は「特別扱いせずにどこかに使いたくなる、優しい味」だ。椎茸やショウガの入った葛餅を揚げた滋味深い“揚げ葛餅のあんかけ”や包まれるような美味しさの“葛の刺身”。“葛の胡麻豆腐”には本葛の底力を感じる弾力がある。本葛はどの皿でも立派に主役を務めていた。
次は奈良公園の一角にある「吉野本葛 黒川本家 東大寺前店」。黒川家の次男である黒川健常務が店長を務める。“葛あんかけ丼”に“葛入り生パスタ”、デザートには“葛餅”と、吉野本葛ずくめのメニュー。いずれも本葛を食べたという満足感が残る。
黒川専務と黒川常務の兄弟は自他ともに認める慎重派。四百年守ってきた伝統を、この先もずっと未来へ繋いでくれるだろう。少しでも関われるように、私も吉野本葛を常備しておこう。
文:森井ユカ 写真:公文健太郎
※この記事の内容は2018年3月号に掲載したものです。