昭和10年の沼津の風景を思い浮かべても、想像できない。昭和38年だったら、どうか。やっぱり、わからない。とはいえ、バブルの沼津も、平成の沼津も、おっさん3人にとっても、遠い昔のように思えてくる。昭和の初めからずっと、沼津で喫茶店を営む「ケルン」。奇跡のような出逢いを終えて、沼津を後にします。
高齢のママさんがアニメ『ラブライブ!』のファンたちのことを「ラブライバー」と呼んだときは、なんだかこそばゆくなったが、その後、登場人物のことを「ヨシコさん」と言ったときは微笑ましい気持ちになった。『サザエさん』じゃないんだから。
そんなママさんはコーヒーポットではなく、片手鍋でコーヒーを淹れ始めた。
本棚には古そうな雑誌が並んでいた。1冊手に取って見ると、『週刊現代』がなんと40円。
「……お店、いつからあるんですか?」
ママさんはニコニコ、少し含んだような笑い方で束の間僕を見た後、言った。
「1935年からです」
「えっ、戦前ですか!?」
やっぱりそうなんだ。ほんとに戦前だったんだ。そっか。レトロ喫茶によくある、ムード満点のあの凝った様式は、戦後から増えたものなのかもしれない。戦前にできたこの店が、あの様式にのっとっていないのは当然なのだ。たぶん。
「……あの、失礼ですけど、ママさんのお年訊いてもいいですか?」
ママさんはふふふ、とやっぱり含んだように笑ってから、言った。
「82歳です。このお店もあと1年やれるかどうか」
僕は言葉に詰まった。こんな奇跡みたいな空間がなくなるなんて……。
同時に、自分たちが偶然この店を見つけて入ったこともまた奇跡のように思えた。来年だったら、あるいはたどりつけていなかったかもしれないのだ。
しかし、さっきの「桃屋」といい、ここといい、今日の俺たちの“引き”は神がかっているな。そんなことを考えていたら、痛風エベがいつも眠そうな目をクワッと見開き、さっき僕が見ていた雑誌を手に取って言った。
「日付見てください」
12月19日号とある。今日は……12月19日だ!
僕らは互いに上気した顔を見合わせ、「やっぱり」と頷き合った。
中を開くと、 トップ記事のタイトルが「紅白歌合戦にあがるNHK横暴の声」だった。出場歌手の選定基準があいまいだの、潤沢な予算を湯水のように使って品がないだのと叩きまくっている。批判内容がいまと変わらないではないか。記事には「今年で14回目の紅白」とあるが、そんな頃から……。
コーヒーを飲み終えると、ママさんはお茶を入れてくれ、さらに蜜柑もくれた。
本当に温泉につかったように、僕らはゆるみきっていた。
「はあ、もうここで旅を終えてもええんちゃう……」と僕。
「ほんまですねえ……」とガリガリ君。
痛風エベも眠そうな目で恍惚としていたが、編集者の本分は忘れていなかったようだ。時計をちらと見た後、「わ、もう1時半だ」と小さく叫んだ。
沼津に着いたのは10時過ぎだったから、最初に降りたこの町に3時間以上もいたことになる。旅はまだ序盤も序盤なのに、何をやっとるんだ俺らは。時間の配分が悪すぎるだろ。
重い腰を上げ、会計をしてもらい、ママさんにお礼を言って店を出た。
駅に向かって歩いてると、『ラブライブ!』のマンホールが次々に現れた。どうやら主要な登場人物がひとりひとり描かれているらしい。
「……え?」
僕ら3人は足をとめ、固まった。
「……急ぎましょう。今度の電車を逃すと次はだいぶ後です」とエベ。
僕らは走って駅に向かい、ホームに来ていた列車に慌ただしく飛び乗ったのだった。
――つづく。
文:石田ゆうすけ 写真:阪本勇