東京都立浅草高校夜間部(正しくは、昼から夜の授業を担当する三部制B勤務)国語教師、神林桂一さんによる浅草エリアのランチ案内です。足を運んで、食べて選んだ「浅草ランチ・ベスト100」。第5軒目は肉料理部門からとんかつ&カツ丼の紹介です。
今回は「とんかつ」と「カツ丼」について。
とんかつの発祥は諸説あるが、銀座「煉瓦亭」も名前が挙がる1軒である。牛肉をソテーしていたフランス料理のコートレットをアレンジして、豚肉を天ぷらのように揚げて生キャベツ(それまでは温野菜)を添え、「豚肉のカツレツ」として発売したのが明治32(1899)年のことだ(富田仁『舶来事物起源事典』名著普及会)。同店では、現在も「ポークカツレツ」と呼んでいる。
浅草のお隣の上野は「とんかつの町」といえよう。「トンカツ」という呼び方は屋台発祥らしいが、平仮名で「とんかつ」としたのは上野「ポンチ軒」(東京大空襲で廃業・現在のポンチ軒とは別の店)だという(前出『舶来事物起源事典』)。
これにより洋食から和食化が進んでいく。
山本益博氏は『東京 味のグランプリ』(講談社)において、「上野とんかつ御三家」として「ぽん多」(ロースカツ)、「蓬莱屋」(ヒレカツ)、「双葉」(閉店)を挙げ、店の人気をさらに後押しした。
とんかつ界でも高級化・ブランド化が広がり、定食2,000円超の店が増えてきた。今シリーズの「浅草ランチ・ベスト100」に入れた「すぎ田」と、人気を二分する「とんかつ ゆたか」がともに『ミシュランガイド東京2019』のビブグルマンに選出されている。
しかし今回は、庶民派の代表として「浅草 とんかつ弥生」を紹介したい。
「浅草 とんかつ弥生」は1940年に、現在の女将の米林冴子(よねばやしさえこ)さんの祖父母が創業。もうすぐで80年を迎える。1945年の東京大空襲で丸焼けになったが、出兵していたお祖父さんの帰りを待ちながら、お祖母さんがプレハブで営業を続けたという。
店名は、お祖父さんが弥生3月生まれであること、それゆえ名前が弥太郎ということ、開店も弥生3月というおめでたい由来であることから。
弥生は「木草弥や生い(いやおい)茂る月」が語源で、草木が芽吹き育つという生命に満ちたイメージを持つ。
これ以上ないという店名だ。
現在の店舗は、2006年にテレビ朝日『大改造!! 劇的ビフォーアフター』の企画でモダンにリフォームされた。
女将さんとお父さんの二人で営んでいたが、お父さんが亡くなったあと、ご主人の雄二郎さんが今までの仕事を辞めて店に入った。今では美男美女おしどり夫婦の、にぎやかで楽しい店となっている。ことに冴子さんの接客が冴えわたり、老舗旅館の女将のようだと思うのは僕だけだろうか。
ランチは木曜、金曜、土曜のみだが、味もコスパも最高なので近所の常連さん中心に繁盛している。
まず、とんかつ定食800円を筆頭に、定食類が20種類以上ある。
昼はコシヒカリのご飯の大盛が無料だ。また、伝統の白味噌仕立て、玉子とじの味噌汁が旨い。定食屋は、みそ汁の手を抜いていると店全体の印象まで悪くなってしまうものだ。
ロースカツ定食は肉の厚みによって、並・上・特上の3段階ある。油はラード100%。ソースは昔から使っているものをベースに手を加えている。
なかでも衣にはこだわり、糖分低めのドライパン粉を薄めにまとわせ、黄金色に仕上げている(糖分が高いとこげ茶色になる)。
肉汁たっぷりのロース、サクッと香ばしい衣、絶妙な揚げ具合、オリジナルのとんかつソース、これらが素晴らしい味の相乗効果を生み出している。
ちなみに最近は塩で食べるこ
店オリジナルのソースと一体化してこその「とんかつの味」だと思うのだ。キャベツもドレッシングなどという軟弱なものではなく、ソースでワシワシ頬張りたい。僕は「とんかつ原理主義者」なのだ(……なんてね)。
夜は居酒屋風の営業をしているため、定食に加えて酒肴40種類以上、酒類40種類以上がメニューに並ぶ。これほどメニューが多いわけは、「お客さんに好きなスタイルで過ごしていただきたい」からだという。家庭的、かつ進化系のとんかつ屋である。
次にカツ丼について語りたい。
玉子でとじるカツ丼は、大正7(1918)年に早稲田「三朝庵」(2018年閉店)で誕生したという説が有名だ(それ以前に、やはり早稲田でソースカツ丼が生まれていたという説もある。ネット版『早稲田ウィークリー』「カツ丼早稲田発祥説」の巻が詳しい)。諸説あるが、総合すると、既にあった親子丼を参考に日本そば屋で誕生し広まっていったようだ。
その出自からか、カツ丼は高級店のメニューにはなく、そば屋、町場の食堂、庶民的な洋食屋などに名品が潜んでいる。これぞ庶民のご馳走だ。
僕が選ぶ「浅草カツ丼ベスト7」は次の通りだ
(「かつ」「カツ」の表記はお店の品書きに準じて)
【そば屋代表】「二天門 やぶ」のかつ丼。煮込みが浅く歯ごたえが残る。甘辛濃口。
【洋食屋代表】「リスボン」のカツ丼。香ばしい焼カツをカレー皿に盛りスプーンで食べる。
【喫茶店代表】「ロッジ赤石」のカツ重。円い塗りのお重入り。衣が細かく香ばしい。
【居酒屋代表】「ニュー王将」のかつ丼。浅草一の具のボリュームが圧倒的。
【大衆食堂代表】「水口食堂」のカツ丼。重箱を使用。生パン粉にサバ出汁のつゆ。
【ご当地代表】「三好弥」の名物・味噌かつ丼。本店が三河出身だったため。
【とんかつ屋代表】「浅草 とんかつ弥生」のかつ丼。肉厚、長ねぎ使用、あっさりつゆだくタイプ。
なかでも僕は「浅草 とんかつ弥生」のカツ丼が大好きだ。
まず、女将の祖母が芸者さんの集まりのために特注した丸い塗りのお重が渋い。
次に創業からの継ぎ足しという割下。時間の経過がつくり上げた上品で甘さを控えた、しかしキリッとしまった味は真似のできない宝だ。
そして、肉は「並」でも十分な厚みでジューシー、玉ねぎではなく長ねぎを使うというつくり方も祖父以来のもの。
まさに80年の伝統の味だ。
思わず我を忘れてかっ込んでしまう。これそ丼物でなければ得られない至福の瞬間なのだ。
あなたにも、ぜひこの幸せな時間を味わっていただきたい。
文:神林桂一 写真:萬田康文