「468」という暗号めいた名前の店で供される鮨とは?東京都立浅草高校夜間部(正しくは、昼から夜の授業を担当する三部制B勤務)国語教師、神林桂一さんによる浅草エリアのランチ案内です。足を運んで、食べて選んだ自作ミニコミ「浅草ランチ・ベスト100」より、関西流の棒寿司&箱寿司を紹介します。
合羽橋道具街に程近いタワーマンションの前の路地に謎の店がある。置き看板には「棒 468」とある。棒を468本売っているのか?上に目をやると、袖看板には「すし 468」とある。そうか、鮨屋なのか。
店の正式名称は「鮨 468(ヨーロッパ)」。同じ西浅草に「天ぷら 福岡 From New York」というニューヨークでゴジラ松井が愛用していた、アメリカ帰りの店が有る。ということは、ヨーロッパ帰りの鮨屋なのだろうか?
想像を膨らませながら大将の岩崎康次(こうじ)さんに伺うと、「ただのシャレです。少しでも目を引くかなと」。
確かに1度聞いたら忘れないだろう。箸袋にも謎の漢字が。国語の教員の僕にも読めない。それもそのはず、「4」「6」「8」を組合わせた岩崎さんの創作漢字だそうだ。
「図書館で習字の本を借りて書いたんです」
岩崎さんは京都出身。京都の寿司・割烹「すし岩」で10年間修業した後、「どうせなら東京で勝負してみたい」との思いでこの店を出したのが2005年。扱っているのは関西風の「穴子の棒ずし」等と「芋吸い」。
料理はどれも絶品なのだが、店主の岩崎さんは、とらえどころがなく、お茶目な“変な人”だ。数分おきにシニカルなギャグが炸裂するのだ。「芋吸いおいしいね」と言うと、「はい、それクノールです」という具合に。京風のユーモアに、僕たち東京人の笑顔は引きつるのだった。
関西流の押し寿司は東京では珍しい。そこで僕は、ギャグに負けずに、岩崎さんを質問攻めにした。すると、知らないこと、勘違いしていたことがたくさんあった。ネットにも誤りが多い。それをクイズにしてみたので、〇か×かでお答えください。
「江戸前・関西、すしクイズ~!」。
Q1 元々、「鮨」は関東の江戸前握り、「鮓」は関西の押し寿司を指した。
Q2 関西の酢飯が関東より甘いのは、関西人が甘口好きだからだ。
Q3 関東の穴子は煮穴子、関西の穴子は焼き穴子が基本だ。
Q4 同じ関西寿司でも大阪は箱寿司、京都は棒寿司が専門だ。
Q5 バッテラとはサバの押し寿司のことである。
Q6 和食の飾りや弁当箱の仕切りに使われる笹を「バラン」という。
A1「×」
両方とも中国の辞書には2000年以上前から載っているが、最も古い「鮓」は「馴れずし」。次に古い「鮨」は「魚の塩辛」が元々の字源だ(「東京すしアカデミー」HP参照)。確かに、関東は「鮨」・関西は「鮓」の字が使われることが多かったとはいわれるが。
A2「×」
「握り鮨にとって一番大切なものは、酢飯です。そのシャリも温度がとても大切で、人肌が握りの味を一定にするのです。」(「すきやばし次郎」HP参照)という江戸前に対し、関西ではつくってすぐに食べるのではなく時間が経ってから食べることが多いので、冷めたシャリを使う。同じく関西のシャリが甘めなのには、砂糖を多めにして時間が経ってもシャリが乾いたり硬くなったりするのを防ぐという保水の意味合いがある。
A3「〇」
江戸前は「煮穴子」にツメ(穴子の骨を煮詰めた調味料)を塗って提供する。一方の関西は「焼き穴子」である。「468」の穴子はふっくら仕上がっているので、蒲焼のように焼いてから蒸しているのだろうと勝手に思っていたが、焼いているだけだと聞いて驚いた。岩崎さんは、相変わらず「『食べログ』で『468では焼いて蒸している』と書いてあったので、へ~、僕はそうやってつくってるんだと知りました」ととぼけている。
A4「×」
江戸前の握りに対し、関西の伝統的な寿司は押し寿司だ。「箱寿司」は、四角い木枠にすし飯を詰め、具をのせたあと抑えてご飯と具材とを密着させるもので、断面は四角くなる。「棒寿司」は、一匹丸ごと(または半身)の魚とすし飯とを巻き簾(まきす)・布巾などで押して整形したもので、断面は丸みを帯びている。鯖の棒寿司は古くから京都の家庭で「晴れ」の日に作られてきた。一方の箱寿司は大阪発祥で、明治30(1897)年に「吉野寿司」が始めて木枠を使ったとされる。しかし、今ではどちらも関西では一般的で区別はない。
A5「×」
バッテラは大阪名物の箱寿司で、サバの上に白板昆布をのせて押す。バッテラの語源はポルトガル語で「小船・ボート」を表す“bateira”(バッテイラ)で、当時は箱型ではなく舟形だったという。発祥は大阪「寿司常」で、明治27(1894)年頃。「コノシロ」と使うのが最初からの形だ。だだし、「468」にはバッテラはない。
A6「○」
元々、関西は「ハラン(葉蘭)」(スズラン亜科)、関東は「クマザサ(隅笹)」が使われていた。後に緑色のプラスチック製の「人造バラン」が生まれ、ハランが連濁した「バラン」が一般名称となった。鮨屋を中心に「はらん切り・笹切り」という装飾が発展したのだが、「468」のハランでつくったカエルはお茶目だ。
「468」は、本場の棒寿司・箱寿司が味わえる貴重な店だ。この日は、「穴子・サバ・はこ・ぐじ」の4種盛合せをいただいた。看板の「穴子の棒ずし」は、鱧(ハモ)と同じぐらいの大きな肉厚の穴子(500~600g)を使う。「468」では、この大きな穴子を開き、鱧切りの要領で骨切りをする。
そして、ふっくらと焼き上げ、つけだれで食べる(関東風のツメではない)。香ばしく、豊かな味わいがたまらない。
「サバの棒ずし」も肉厚で脂が乗っており、満足感が違う。その他、ぐじ(甘鯛)の棒寿司、サヨリ・海老と玉子の「はこ(箱寿司)」がセットだ。キス・焼いたカマス・鱧(夏場)なども使うという。
昼も夜もメニューは同じだが、関西風のだし巻きや、じっくり干してから低温でゆっくり揚げた穴子の「骨」など酒のアテも充実している。「アテ」とは肴の関西風の言い方で、「酒席に“あてがう”おかず」のこと。僕は普段使わないのだが、今回は京風のお店に敬意を表して。日本酒も常時6種類ある。そそられる銘柄ばかりで、順次入れ替わる。
「468」はカウンター6席。人気店なので予約が安心だ。店内は岩崎さんの調理衣も、壁も、食器も、動物の置物も、すべて白一色で統一されている。
「白だと高級に見えると思って」とおどけるが、岩崎さんは『カーサブルータス』(マガジンハウス)の愛読者で、家・デザイン・アートなどにも通じている。
そうそう、もうひとつの名物が「芋吸い」。修業先直伝だそうで、いわゆるジャガイモのすり流し。とろみのある、薄味で上品な椀物だ。「芋粥」のような甘いものを連想して今まで注文しなかったことに大後悔した逸品である。お椀には蒸して潰し、揚げた椀種が入っているのだが、その中に控えめに忍ばされているものは何か……、それは食べてのお楽しみとしましょう。
今回は関東と関西との食文化の違いについて考えさせられた。醤油の違い、だしの違い、玉子焼きの違いなどの他にも、知らないことは、まだたくさんあるのだと実感した次第だ。
スケジュールが合わず、僕は撮影には参加できなかった。コロナウイルス対策で生徒は自宅学習になっているが、我々教員は、その対応と来年度への準備のために大わらわだったのでお許しください。
文:神林桂一 写真:大沼ショージ/萬田康文