ドイツワインの轍。
ドイツワインが辛口の高みを目指した理由。

ドイツワインが辛口の高みを目指した理由。

世界のワイン市場において、ドイツワインはどのような位置づけにあるのだろうか。ドイツで最もワインの生産量が多いラインヘッセンで現地取材。そのレポートとともに、現代のドイツワインの魅力に迫ります。

ドイツワインに起きた革新。

ダイナミック、ビビット、自由、希望、未来性。そんな言葉が並ぶと、人はココロ弾む。それはきっと固着化された社会に私たちが日々生き、もがいても脱却できないことが多いからじゃないだろうか。
ドイツワインがいま魅惑的なのは、そんな躍動感や律動感に満ちているから。なかでも最も“動いている”地域が、ラインヘッセンだ。

ライン川沿いに続く急斜面の畑。表土が薄く、ブドウが太陽の光を効果的に取り入れられるため銘醸地が多い。

ドイツには全部で13のワイン産地があり、ラインヘッセンは最もブドウの栽培面積が大きい。ドイツ全体の実に3分の1を占める。それだけに誤解を恐れず言えば、ラインヘッセンはモーゼルやラインガウのように、いわゆる高級ワインの産地ではなかった。
安価な大量生産のワインを造る地域、といったイメージである。
いや、けれど、そんな地だからこそ、革新は起きた。ワインに限らず、どんな分野でも、権威的立場にある人たちからはラディカルな思想は起こりにくい。そこにとどまることですでに多くの権利や利益や栄誉に浴しているから。革新は、いつだって外周から起こる。

寒暖差のある気候のためドイツのリースリングは糖度が上がると同時に、美しい酸も保たれる。

かつてのドイツワインには、甘口のイメージが強かった。彼らはそこから脱却して、ラインヘッセンの土壌や気候というテロワールを映した、辛口ワインの高みを目指した。
その代表格であるリースリングを口に含んでみる。悠々と口中に広がる酒質、ミネラルと酸と熟した果実由来の甘味の調和。ワイン造りの北限に近い地域ならではの涼やかで、凛とした佇まいに陶然となる。
そう。現代の息吹をまとったモダンリースリングは、ひとたび飲めば、多くの人が心奪われるほど酒質が高い。事実、世界のガストロノミー界を牽引する北欧、最もビビットなワイン市場といわれるニューヨークではドイツワインが多々消費されている。
日本では残念なことに、まだまだ認知度は低いけれど。

快晴の初秋の1日。ドイツでライン川沿いの畑を見下ろしながら屋外で行われたテイスティング。

ラインヘッセンの変革は、どのように起こったのだろう?

実はドイツワインの法律は、かなり規制がゆるい。1971年に施行されたワイン法の基準はただひとつ、収穫時のぶどうの果汁糖度のみ。果汁糖度がどれくらいあるかにより、大きく4つのランクに分別される。糖度が高いほど高級という考え方だ。
たとえばフランスのワイン法では、ぶどう栽培や醸造についていくつもの規定があり、それらをクリアする必要がある。しかし果汁糖度のみというドイツのワイン法は、この国の気候の峻厳さをなにより物語ってもいるのだ。

ドイツの醸造所でよく見られる、伝統的な大型の木樽。1000Lを越えるものが多い。

なにしろ、1980年代までは10年間でわずか2、3年しかぶどうは完熟しなかった。ぶどうを完熟させ、糖度を上げることが、この地ではいかに困難だったか。だからこそ、甘口=高級品という思考論理は生まれた。
けれど、それはやがて「ただ甘ければ価値がある」へと転化されていった。そんな環境のなかで品質は低下し、ドイツワインへの信頼性も揺らいでいく。1980年代には輸出されるドイツワインの約60%がそんな手頃な価格の甘口「リープフラウミルヒ」であり、その一大産地こそが、ほかでもないラインヘッセンだったのだ。

ラインヘッセン北部のインゲルハイム村にある、試飲とワインの購入ができる施設。

「リープフラウミルヒ」とは「聖母の乳」の意味で、ラインヘッセンのヴォルムスにある聖母教会にちなんだ名前。1980年代、日本では「マドンナ」という銘柄が大流行したから、記憶にある人も多いだろう。
そんな中、甘口ワインに大事件が起きる。1985年、オーストリアに端を発したいわゆる「ジエチレングリコールスキャンダル」。ワインの中に自動車の不凍液(ジエチレングリコール)を入れると、高級ワインに似たコクと甘味が出ると、一部の生産者が使用したことが発覚。それにより、甘口ワインの権威は世界的に失墜した。
ドイツワインはそこから、自らのアイデンティティを模索することになる。甘口から辛口へ。量から質へ。その最先端を走ったのが、ここラインヘッセンの地だった。

ドイツパンは、雑穀やナッツを配合しているのが特徴。現地の試飲の際にも提供されていた。
ボリューム感のあるドイツの白は、魚だけでなく白身の肉などにも合う。じゃがいもはドイツ料理の定番。

――つづく。

文:鳥海美奈子 写真:German Wine Institute/浜村多恵/鳥海美奈子

鳥海美奈子

鳥海美奈子 (ライター)

ノンフィクション作品の共著にガン終末期を描いた『去り逝くひとへの最期の手紙』(集英社)がある。2004年からフランス・ブルゴーニュ地方やパリに滞在、文化や風土、生産者の人物像とからめたワイン記事を執筆。著書に『フランス郷土料理の発想と組み立て』(誠文堂新光社)。雑誌『サライ』(小学館)のWEBにて「日本ワイン生産者の肖像」を連載中。陽より陰のワインを好みがち。