昨今の東京は立ち飲みブームだが、そもそも、職人の町であった江戸では、仕事の傍らで早く食べられるものが求められてきた。その江戸の風俗が東京にも伝承しているかのような、粋なスタンドを3軒ご紹介します。
そんなにせっかちなわけではない。どちらかというと、のんびりした性分なのだが、立ち喰いの店に出会うと、行かずにいられない。全然江戸っ子でもないのに、おっと立ち喰いかい、ちょいと寄ってみねぇとな、なのである。
そもそも、旨いものを立って食べる文化は、江戸で花開いたものだ。世紀の初めには江戸の各所に繁華なところが生まれ、通りに屋台が並んだ。この屋台に席などない。車付きの屋台は明治になってからで、江戸の屋台は据え置きだったから、その様子は立ち喰いの店そのものだ。それが今に続いている。
そんな屋台で気の早い江戸っ子たちは食事をした。だから、立ち喰いでは鯔背でありたい。飲むなら、ぐでんぐでんなんてもってのほか。背筋を伸ばして、さっとすませて河岸を変えるか帰るか―そんな庶民の粋が光るのが、この立ち喰いだけれど、近頃は、庶民の声なんて黙殺される世の中である。だからこそ、今こそ、立ち喰い界の、横綱、三役たちを巡ってやろうと町に出たのである。
江戸の立ち喰いの大きな功績といえば鮨だ。それまで押し鮨などが主流だったのを、江戸の立ち喰い文化が、さっさと食べられる握り鮨を生んだのである。大井町の「いさ美寿司」は、広さは二坪くらいで、7、8人で店内は鮨詰めになる。屋根はあるが、お値段は屋台級にお手頃。だが、三代目店主の藤岡正明さんに、その秘訣を聞いても、笑って、
「こういうお店ですから」
と、一言だけ。しびれるなあ、こういうの。もちろん、ここは山葵も効いている。
両国橋の袂にある「江戸政」は大正13年創業の焼鳥屋だ。この店は、最初の注文はお決まりの“五本一組”のみで、まず、これを食べ、追加するもよし、勘定するもよしという仕組み。忙しい店だから、三代目の浜名久利さんは、いつもひたむきに焼き台に向かっている。ここは、なんというか、何から何まで、一本筋が通った感じがする。それは浜名さんの言葉にも表れる。
「新規の方も常連の方も変わりません。むしろ粋な常連さんは、新規の人の前では一歩引いてくれる」
こういうことを思っている人を、鯔背、というのだろう。人は羽を休めるときだって、それなりの格好というものがある、のだ。
最後は四谷の「鈴傳」である。角打から発展した立ち飲みで、昔から各地の旨い日本酒を取り揃えている。肴は煮物、揚げ物、サラダと豊富。売り切れることもあるが、缶詰もあるから安心。火事と喧嘩は江戸の華と言ったそうだが、ここは華やかだがそういうことはなし。立ち飲みながら、もたれるための鉄のバーまで設けてあり、隅々まで安心だ。やせ我慢を極力させない、こういう粋も洒落ているではないか。
無理ばかり通って道理は引っ込みっ放し、潔さが死語のように思える世の中で、こんな粋な店たちは貴重だ。ちょっと大袈裟だけれど、こういう立ち喰いに行くと、希望がわいてくるのだ。ま、こんなご時世だけれど、明日もちょっと頑張ろうと思うために、今夜あたり、ちょっと寄っていかねぇかい?
文:加藤ジャンプ 写真:伊藤徹也
※この記事の内容はdancyu2017年8月号に掲載したものです。