dancyu本誌から
突き詰めるとこの姿になる。素朴にして究極の「鮭弁」

突き詰めるとこの姿になる。素朴にして究極の「鮭弁」

「飯には鮭があればいい!梅干までついたならもう最高!」 シンプル極まりない姿を眺め、焼き鮭を箸でほぐし、つやつやのご飯とともに口に放り込んだら、そう叫びたくなる──そんな幸せの鮭弁は、三軒茶屋にある。 2019年12月号「鮭とサーモン」特集で登場した「KIYOSHI」。本誌に収まりきらなかった店のお話をご紹介します。

田園都市線・三軒茶屋駅前から茶沢通りを進み、太子堂交差点から三宿へと抜ける「太子堂中央街商店街」。大正時代の関東大震災で焼け出された下町・谷中の人々が移り住んだ下の谷商店街から派生し、戦後に発展した昔ながらの商店街だ。ゆるやかに蛇行する小道をしばらく歩くと、鮮やかなブルーシートが視界に飛び込んでくる。この店こそが、近隣住民から極めて素朴にしてめっぽう旨いと評判の鮭弁を販売する惣菜店「KIYOSHI」なのだ。

「お惣菜の店 KIYOSHI」の店先。青いテントにブルーシートで、商店街の中でも目立ってます。

店主の名前はキヨシさん……ではなく、吉本甫(はじめ)さん。甫さんの父が昭和25年、世田谷・経堂駅前の市場に乾物食品店を開いた。“紀吉”という屋号は、出身地である紀州の「紀」と名字の「吉」から採ったそうだ。甫さんは子供時代、店の目玉商品である紀州の梅干と塩鮭を食べて育ったという。
「子供の頃はねえ、一番のご馳走は何と言っても鮭児(けいじ)だったよ」(甫さん)
昔は塩がきつく身が締まっていた塩鮭が当たり前で、晩秋に脂の乗った鮭児が何より美味しかったそうだ。鮭好きからすればなんとも憧れの子ども時代を過ごした甫さんは、やがて家業を手伝い始め、知人の紹介で奈良出身の元子さんと結婚した。

手づくりの惣菜や漬物など、日替わりのメニューが数多く並ぶ。

夫婦で独立し、この太子堂に惣菜店を開いたのは昭和46年のこと。江夏豊選手がオールスターゲームで9連続奪三振の記録を樹立し、日本にマクドナルドが上陸、大鵬が引退したこの年は、まさに高度経済成長が極まり好景気に沸いた時期。戦後から人口が増え続けた世田谷の片隅の商店街に出来た若夫婦のささやかな惣菜店は、開店するや繁盛店となった。夕方を前に店頭には惣菜を求める人垣ができ、店内から見ると人の顔・顔・顔しか見えなかったと、甫さんは、創業と新婚時代の店の様子を嬉しそうに振り返る。

関西風にしっかりと出汁を利かせ薄塩に仕立てた、元子さんお手製・家庭料理のお惣菜。そして、甫さんが四斗樽3つに塩だけで漬ける抜群の塩梅の漬物。すべてが正直な手づくりで生み出された優しい味わいの料理の数々は、創業から48年が経った今も変わらず地元の人々に愛され、近隣の食卓を彩っている。この「KIYOSHI」で、極めてシンプルな鮭弁が誕生したのは昭和50年代まで遡る。

鮭弁399円(税込)。

持ち帰り弁当、コンビニ旋風が勢いを増してきた頃。食材店に欠かせない計量器メーカーの営業担当から、「お宅も弁当を売ってみては?」と勧められたのがきっかけだった。しかし惣菜屋とはいえ、たくさんのおかずを詰めた弁当をつくるのは大変だし、売れ残って廃棄が出るのはもったいない。大手と同じような内容で、個人店が太刀打ちするのは難しい。ならば「弁当といえば塩鮭でしょ!」と、ご飯に鮭を載せただけの鮭弁を売り出すことにした。
「それに鮭とごはんだけなら、売れ残ってもチャーハンにしたら美味しいでしょ?(ニッコリ)」(元子さん)
そんなKIYOSHIの物語を聞かせてもらいながら、鮭弁をつくるところを覗かせてもらうことに。

年季の入った厨房で、美味しい料理が生まれる。

奥にある厨房に思わず目を瞠る。店の歴史を物語る真っ黒に燻し出された壁の前に昔ながらのかまどが二台、その横に長年の魚の脂で艶やかに黒く光るガスこんろが一台。元子さんはこれらをフル回転させて、毎日せっせと惣菜をつくり続けてきたのだ。庶民の家庭の食事を助け続けた説得力が厨房の裸電球に照らされてあぶり出されたようで、なんとも美しい勤労の姿を見た。

鮭の身は店で切り分け、絶妙な加減で塩を振る。

塩鮭を売り鮭児で育った甫さんが様々な塩鮭を取り寄せて納得いくまで食べ比べた、価格と味わいのバランスの取れた鮭をと選び抜いたのは、甘塩のチリ産銀鮭。
「チリ銀って言ったってねえ、ピンキリで、探せば北方産よりずっと旨いのがあるの。旨い鮭はねえ、尾の身でわかるんだよ」(甫さん)
店で切り分けた鮭は、甫さんがさらに粗塩を振って味を決める。
「毎日やるからね、日によって加減は変わっちゃうよね(ニッコリ)」(甫さん)

黒光りするこんろで焼かれる鮭は、煙を纏って香ばしく焼き上がる。
黒光りするこんろで焼かれる鮭は、煙を纏って香ばしく焼き上がる。
黒光りするこんろで焼かれる鮭は、煙を纏って香ばしく焼き上がる。

ここからは元子さんの出番。市販の魚焼き網に6枚ほどの切り身を一度にのせて、ガスこんろの火にかける。程なくして鮭の身から脂がしたたり落ちて、そこに火が付き白煙に包まれると、香ばしい匂いが厨房に充満する。元子さんによれば、コツは「美味しそうに焼く」「焼き過ぎない」こと。表、裏と返しながら身がいい焼き色になった頃には、盛大な炎と煙に当たった鮭は、ほのかな薫香を纏って皮目もパリっと焼き上がる。

鮭弁の他に、焼き鮭単品でも販売している。

盛り付けは甫さんが再登場。ご飯には“はえぬき”や“つや姫”など、冷めても美味しく艶やかで甘みのある米を選んでいると夫婦で目を輝かせて言う姿にプライドを感じる。炊きたてのほかほかを220グラム計ってパックに詰め、そこに焼きたての鮭をのせる。さらにはこの弁当の味わいに合う紀州梅干を添えて蓋を閉め、輪ゴムでパチン。熱々のご飯には、鮭の脂がしっとり染み込む。また、蓋をすることで鮭の身がご飯の湯気で少し蒸された状態になる。
「お客さんがねえ、焼いただけの鮭より鮭弁に入った鮭の方が美味しいって言うんだよ」(甫さん)
出来立てはもちろん、しばらく時間を置いて食べる頃に鮭の身がほっくりとしているのが、KIYOSHIの鮭弁の美味しさの秘訣だ。

店頭に並べられた鮭弁。タイミングが良ければ、カマから尾まで好きな部位がのった弁当を選べる。

ちなみに、元子さんはバランスの取れた美味しさの真ん中あたりの身を好み、甫さんは脂ののったカマが好きなのだそう。店頭に並ぶパックを見つめ、各々好きな部位がのった鮭弁を選ぶのも楽しい。

鮭を焼きながら、他の調理も同時に進める元子さん。

鮭弁の調理がひと段落すると、元子さんは再びコンロに火をつけ、網についた鮭の脂を焼き切って炭にして落としていた。鮭弁の美味しさは、こうした当たり前の作業を丁寧に、ひとつも省かず、真面目に繰り返すことから生まれるのだろう。

わずか399円(税込)で売られるKIYOSHIの鮭弁には、吉本さん夫婦が営む町の小さな商店の、歴史と誠実さが詰まっている。ここの鮭弁のファンになったら、ぜひとも次は、元子さんのつくるホッとする惣菜や、甫さんの漬物も味わってみてほしい。鮭弁に負けず劣らずシンプルで、毎日食べられる美味しさに溢れているから。

せっかくだからと、恥ずかしがるご夫婦に店先に立ってもらって写真をパチリ。味の旨さはもちろん、二人のあたたかい人柄に触れ、店のファンになる人も多い。

店舗情報店舗情報

KIYOSHI
  • 【住所】東京都世田谷区太子堂2‐29‐5
  • 【電話番号】03‐3411‐0825
  • 【営業時間】10:44~19:00頃
  • 【定休日】水曜
  • 【アクセス】東急田園都市線「三軒茶屋駅」より5分

文:堀内史子 写真:長谷川 潤